第2話 天国の不動産屋
南青山と西麻布の狭間、青山霊園のすぐそばの外苑西通りに面したビルの1階が、天国不動産の事務所だった。
元カフェの居抜き物件のそこは明るい日差しが差し込んでいた。グレイッシュな緑色の布張りのソファの上にシンプルなクッションが置かれている。商談用のテーブルにナチュラルウッドのY字の背もたれが特徴的なチェアが収まって、北欧王室御用達ブランドのブランケットが無造作にかけられていた。ソファの脇にドラセナが置かれている。
「……変なとこに事務所があんだね。お客さん来るの?」
「ミーハーな馬鹿がよく引っかかる」
「なるほど」
男が頷いた。
「やるならさっさとやってくれ。仕事が山積みなんだ」
「料金先払い」
男は手を出した。
「……詐欺じゃないだろうな」
「自覚あるんだろ。背中に女が乗ってる。クソ怠い、背中が寒い、なんかわからないけど電子機器の動作がおかしい」
確かに事故物件のオーナーの話を聞いてからスマホの動作は挙動がおかしい。妙な疲労感もある。
「じゃあサービスだ。前金2万。祓えたら追加で3万。これなら文句ないよな」
「結局払う額一緒じゃねえかよ」
栄は財布から五千円札を取り出した。
「前金だ。後の額は……祓えたら、考えてやる」
男は舌打ちをすると紙幣をひったくってコンビニの袋の中に入れる。そのまま、袋から何か取り出した。金色に光る、寺院で見かけるような法具。何かブツブツと呟くと、片手でその法具を握り、もう片方の手で印を作る。
「
短く、鋭い声だった。空気がパンッ!と弾けるような破裂音が鼓膜を打ち、驚いた栄はびくりと肩を揺らした。部屋の空気が、一瞬で凪いだ。
「……はい終わり」
「は?え?」
確かに、身体が軽い。風邪の引き始めのような嫌な寒さが消え、スマホは通知が止まらない。まるで止まっていたものが動き出したように。
「約束守りなよ、社長。4万5千円」
欠伸をしながら男は手を差し出した。
「…五千円札がもうない。焼肉奢ってやる。それでチャラにしろ」
「マジ?」
男の顔が変わった。
「よっ、しゃあ……!久しぶりにまともな飯にありつける……!」
「だが、今は緊急事態宣言中だ。店はどこもやってねぇ」
栄はスマホを取り出し、フードデリバリーアプリ『Super Eats《スーパーイーツ》』を起動した。
「デリバリーだ。特上カルビ弁当、ご飯大盛り。……これで文句ないな?」
「最高。ていうか普通にコンビニの廃棄とかじゃなければなんでもいい」
「どういう生活してんだ、お前」
ふと——栄は気付いた。この男、使える。事故物件を無理やりリノベしていたが、そこに除霊のステップを挟めば——顧客の安心感は跳ね上がる。どうせ根無し草だ。安く使ってもばれやしない。
「お前、俺に協力しろ」
「は?」
男が怪訝そうな顔をする。
「いいか、俺が扱うのは事故物件だ。地縛霊だかなんだか知らねえがそういうのが出たりする。お前が祓う。で、俺はそれをきれいにして売る。売れたらお前に報酬を払う。どうだ」
「俺を雇うってこと?」
「そういうこと。ついでだ。お前事故物件に住め。光熱費は出してやる」
「うわ……告知義務のロンダリングってやつ?最悪だな」
「屋根あんだから文句言うな。まだ今の時期は夜寒いぞぉ?」
「食費も出せよ。俺が餓死したら大事故になるだろ?」
「……仕方ねえな」
「交渉成立だ。俺の名前は
紫苑は眠そうな顔をしたまま、手を伸ばした。その手は薄汚れ、爪の間には土が詰まっている。栄は一瞬眉をひそめたが、諦めたようにその手を握り返した。高級焼肉弁当は会議費。家賃は福利厚生費。こいつはただの除霊師じゃない、俺の節税対策だ。
「……しっかり働けよ、紫苑」
「へいへい」
栄はニヤリと笑い、紫苑は大きな欠伸をひとつこぼした。
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