2、[姉]記録より記憶を残せ

「その話、何度も聞いたよ。そらで言えるくらいには」


 ムルク・イツァエは狭い部屋の壁にもたれかかり、文句をつける。実際のところ、目の前に座る老婆から双子の話を聞いたのは、物心つくかつかないかのころから数えたら百回を超えているはずだ。自分たちの成長に合わせて少しずつ話は進んでいるが、とはいえほぼ同じ内容をこれだけ聞けば、さすがに飽きてくる。


「ムルク・イツァエ。ならばわかっているだろう。我らが生きた証を残すには、人から人へと語り継ぐ言葉が何よりも大切なのだと」


 小ぶりな火器にくべられた炎が、老婆の顔をちらちらと照らす。しわが多く、一人では立ち上がれないほど下半身が弱っている年老いた女はしかし、鋭い瞳とはっきりした言葉を武器にこの年まで生き抜いてきた。ゆえにムルク・イツァエも彼女の言葉に正面から逆らうことはしない。


「人間の頭は神により与えられたもの。だからそれを使うことが、何よりも神への手向けになる、ってことね」

「そうだ。ゆえに同じ話を何度でも繰り返し聞き、覚えるのだ。我はもう先は長くない。若い者に語り継がねば、神のしもべとしての役目を果たせない。もはや、外に出歩くこともかなわぬからな」


 頭に限らず、人間の肉体はトウモロコシから造られた。少なくとも目の前にいる老婆はそう信じているし、王権も近しい神話を前提とした政をおこなっている。しかし、ムルク・イツァエにはどうも納得がいかない部分があるのだった。


「おばあの言うことはわかるよ。でもマヤの人たちみたいに、文字を残したほうがいろんな人に覚えておいてもらえるんじゃないかって思うんだよね。だって話をしなくても伝えられるんだから、自分が冥界シバルバに行った後でも有効じゃない?」

「いや、文字伝承こそ危険なのだ」


 老婆は青白い顔から飛び出さんばかりの眼玉を見開き、滔々と語る。


「文字が残っていれば、人間は自分にとって都合の良いように解釈してゆく。ときと場合によって、違う意味にとったりもする。だが脳裏にしみ込んだ言葉を、その意味を書き換えることは容易ではない。文字は人が生み出したもので、人の口は神が生み出したものだからだ。人は人が生み出したものを改変するのは容易いが、神が生み出したものを変化させることなどできないのだから」

「うーん。おばあの話は線でつなげることはできるんだよね……でも、なんでしっくりこないのかなぁ」


 人は神の手で造られた。だから身体のつくりを変えることは簡単ではない、というか無理だ。「造るもの」と「造られたもの」の間に上下関係があるので、両者の立場をひっくり返すことはできない。人が無からトウモロコシを生み出すことができないのと同じだ。

 対して人が造ったものを、別の人が造りかえることはできる。市場で売っている質素な火器に彩色して、色鮮やかな空間を演出する置き物へと変えるように。「文字」も、言ってしまえば人が造ったものだ。

 ムルク・イツァエの家には黒いメタテがあり、それに白くて柔らかい石の粉を押し付けて文字を書くことがある。だが、メタテは基本的には調理道具だ。母と食事を用意するときは石粉を払いのけ、代わりにトウモロコシの粉を延ばすのに使う。この文字をどうにかして長く残す方法はないものかと、考えるのが最近のムルク・イツァエの関心ごとだった。


「そなたがしっくりいかないのは、そなたの言葉を伝承する相手がいないからではないのか?」


 自分の考えにふけっているときに老婆から投げかけられた言葉に、ムルク・イツァエははっとする。確かに、老婆と己には大きな違いがある。老婆が語る言葉を多く持つのに対し、ムルク・イツァエは伝えるべき言葉も、伝えたい相手もいない。大きな原因はムルク・イツァエが集合住宅ノホチ・ナハの外に出られないことだ。当の集合住宅ノホチ・ナハの中に、己よりも年少の者がいないのも理由に含まれる。


「わたしよりも小さい子が集合住宅ノホチ・ナハの中にいて、ばあやみたいに話ができたら違う考えも持てたのかな」

「ありえるな。もはや我には、言葉を語ることしか生きるすべを持たぬ。しかし、語る相手は年々数を減らしている。集合住宅ノホチ・ナハも、そなたらが生まれて以降新たな命は誕生しておらんからな。新たな住人が住み始めることもない。生きた住人が増えることは、もうないやもしれぬ」


 だったら、とムルク・イツァエは心の中で老婆に問いかける。言葉を語り継ぐ相手がいない己は、いったいどうやって記憶を他者に伝えればよいのか。


「生き残ることだ」


 老婆は、ムルク・イツァエの心を見透かすように告げる。だからその言葉は唐突だったが、ムルク・イツァエの脳裏にしかと刻まれた。


「たとえ集合住宅ノホチ・ナハに住む者がいなくなったとしても、何としてでも生き延びるのだ。住人がいなくなれば、そなたの正体を知るものもまたいなくなる。人は神をあざむくことはできないが、人をごまかすことはできる。生き残り、そなたを受け入れてくれる場所で、我の言葉を伝えてくれ。そうすれば、我が生きた意味も、そなたが生きた意味も残るであろう」

「……わかった」


 生き残るために、生きる。変な話にも聞こえるけれど、ムルク・イツァエはそれを指摘したり聞き流したりすることはできなかった。正直なところ、自分が何のために生きているのか、生かされているのかがよくわからなくなることが最近増えてきているから。

 父と母が弟を生かしたかったのはわかる。ムルク・イツァエだって弟が好きだ。もし三歳で生け贄にされていたら、あとで両親を責めただろう。だから表に出ざるを得ない弟の代わりに己が隠されて育てられたことも理解できる。


 しかし、己が生かされた意味は果たしてあったのだろうか。王権は生け贄に女を求めていない。だからムルク・イツァエの存在が知れたとしても、待つ先は生け贄ではなく懲罰だ。その場合、咎を受けるのは己だけでなく、両親と弟も巻き添えになるだろう。もう十七歳になった弟が生け贄にされるのかはわからないが、家族全員の人生が危うくなることを、ムルク・イツァエはよくわかっていた。

 だからこそ、考えてしまう。生まれ落ちたその時に、己の命を見捨てる選択を両親がとっていたのなら。家族は何の不安も抱かず、幸せに生きていけたのではないだろうか、と。むしろ今からでも遅くはない。自分が姿をくらませて、初めからいなかったことにしてしまえば、家族はもっと楽に生きていけるのではないか、と。


 だが老婆はムルク・イツァエに生き残れ、といった。生き残るだけでなく、言葉を伝えるためには「行方不明になって、一人でひっそりと生きる」ことはできない。老婆はおせじのたぐいを一切言わない。ただ、己の信じる神に従い、己が見聞きし伝えてきた神の歴史と人の人生を、集合住宅ノホチ・ナハの住民たちに伝えるだけだ。

 ときどき納得いかないこともあるが、老婆の話に一本筋が通っていることはムルク・イツァエも認めている。だから、少なくとも今の自分は生きていていいんだ、と素直に思えた。

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