とある(福祉)事業所M 新刊 完結

あらいぐまさん

第1話 統計と私


 精神障害者は全国で563万人以上いるという。国の統計によれば、その数は今後も増え続ける見込みだ。日本の人口が約1億2千万人とすれば、20人に1人が精神障害を抱えている計算になる。決して少ない数ではない。


 私がこの世界に執着するのは、身体的障害もさることながら、精神障害から生じる「指示の喪失」があまりにも多いからだ。私は、指示されたことを最後までやり遂げることができない。これでは社会で通用しない。


 では、良い所はどこだろう。例えば仕事と創作――この二つの営みは、まるで異なる脳を使っているかのようだ。両輪が上手くかみ合っている。

 この作品を読んだ人が抱く印象は、頭が良いと思われがちだが、実際は、やっと作業についていけるという感じだ。その落差に読者は驚くかもしれない。


 だが、そこには救いもある。弱者と呼ばれる人々に、希望となる「越後の魂」の種を、植え付けている。これは、他の人達の様子を見ていると、中々、学のする様には出来ない様だ……。


 やがて、事務所の体制が整うにつれ、支援員との関係も少しずつ打ち解けていった。

 支援員の一人の朱莉さんは、いつも学に言う。

 「世の中は厳し~いの。ここにいた方がいいわよ」

 その言葉は優しさと警告の入り混じった響きを持っていた。


 でも、これは私の人生だ。選択は常に私自身の手に委ねられている。

 学はキッと奥歯を噛みしめる。


 しかし、職安で耳にしたのは、望む会社は発展した地域にしか存在しないという現実だった。唯一の救いは、仲間に就職活動をしていることを秘密にしているため、余計な波風が立たないことだった。


 そんな中、練子は他の男性に取られてしまった。順子はいるが年齢の差が大きく、茜さんは“ツンツン”していて近づく隙がない。人間関係の不完全さは、時に心に棘を残す。


 それでも日々は流れていく。


 作業所での仕事は単調だが、仲間たちの笑いや小さな失敗が心を和ませる。学もまた、指示理解を失うことは多いものの、仲間の支えがあれば何とか仕事を仕上げられる。


 「俺たち、ここで生きているんだよなぁー」

 ふと漏れるその言葉は、社会の厳しさを思えば、この場所が小さな避難所であることが実感される。


 一方で、学の就職活動の火は胸の奥でくすぶり続けていた。発展した街に行けば望む会社があるかもしれないという……。しかし、通勤は負担が大きく、かといって転居や、そこでの生活の不安を思うと、足がすくむ。

 挑戦するべきか、ここに留まるべきか――その選択は人生を大きく左右する。

 だが心の奥底では「自分も変わりたい、決めたい!」という芽が静かに膨らんでいた。


 その夜、机に向かうと小説の世界が広がる。現実の葛藤や仲間との関わりが、物語の中で別の形をとり、言葉となって積み重なっていく。仕事と創作――二つの世界を行き来することで、私はかろうじて自分を保っているのかもしれない。


 練子を失った痛みはまだ残っている。順子や茜との距離感も埋められない。だが、人間関係の不完全さこそが物語を生む源泉なのだと気づく。 

 弱さや孤独を抱えながら、それでも前へ進もうとする姿を描くこと――それが、私にできる唯一のことなのだ。


 翌日、仲間の一人が言った。

 「俺、クローズで就活するんだ」

 「そうなんだ」

 ※障害を明かして就活するのが「オープン」、明かさないのが「クローズ」と呼ばれる。


 仲間の夢を素直に喜べない自分に気付くと、心は急に暗く重くなった。世の中は非情だ。すべてを手に入れることはできない。


 学は定額預金を取り崩し、「とある事業所M」の自費出版を考え始めた。もう永久に車を運転することはできないかもしれないと思いつつ。


 この現場は、日本社会の課題を映す鏡である。






  

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