透明な猪

第1話 始めに

 

 私たちは、誰しも自分の世界を持っています。その世界の中には誰がいるでしょう。家族、友人、パートナー。もしかするとペットも入るかもしれません。それでも、ほとんどの「世界」には人間以外の生き物は入れないものです。もしも、私たち人間がほかの生き物と対等に言葉を交わせたなら。私たちはどうやって成長していくのでしょうか。私たちの目には、どんな世界が映るのでしょうか。そもそも私たち人間は他の生き物とどう違うのでしょうか。

 「成人する」という言葉があります。「人」に「成る」と書きます。では、人はいつ「人」に「成る」のでしょうか。成人式という式典を迎えたらでしょうか。それを迎えるまでは「人」ではないというのなら、その式典以前の私たちはいったい何なのでしょうか。人とはいったい何で、ほかの生き物たちとはどう違うのでしょうか。ふと、自然(「人工」という言葉の反対の意味として、あえて森や林といった具体的な単語は用いずにこの言葉を使います)の中を歩くと思うことがあります。このちっぽけな私はどこに向かっているのだろう、と。何のために生きているのだろう、と。例えば突然熊に襲われれば、私はなすすべなく食い殺されてしまうでしょう。襲われることがなくとも、私たちにとってこの世界にはあまりにも残酷です。例えば病気、怪我、そして飢え。自然の中で悠々と歩き、まるで敵など存在しないかのように堂々と振舞う私は、実際のところ蛇に睨まれた蛙よりも無力で小さな存在と言えるでしょう。だからこそ、なぜ、何のために生きるのかという問いは人類が長い時をかけて議論しても答えが出ないのでしょう。その答えを明白にして生きている方々にとっては、これから始まる私の冒険譚は価値のない、つまらないものになってしまうかもしれません。しかしほとんどの人にとって、その答えは生涯を通しても見つからないほど果てしないものであり、その答えを見つけることこそが生きる目的であるとも言えるのではないでしょうか。私たちはその中で多くの生き物に助けられ、多くの他人を助け、時に迷惑をかけあいながら、笑ったり泣いたりしているのです。誰の助けも借りず、何の命も脅かさない者があるとしたら、それは生きているのではなくただ存在しているだけだというべきでしょう。

 さて、人がいつ「人」に「成る」のか、というお話でした。こうして今を生きている私も、答えを見つけられたわけではありません。ともするとまだ私は「人」になれていないのかもしれません。しかしたくさんの生命と触れ合ううちに、自分という殻をだんだんと破れていった自覚があります。鳥は卵を割って外に出た瞬間、鳥としてか細いながらも確かな産声をあげます。蝉は長い時間を土の中で過ごし、懸命に木を登ってその殻を破り、大きな声で夏の空に叫びます。人は母体から生れ落ち、けたたましい産声を上げた瞬間はまだ「人」ではないというのなら、自分という殻を破り、ほかの「人」と対等に話せるときが来たのなら、「成人」したと言えるのではないか、と考えると、我々人間にも彼らとの共通点が見いだせるかもしれません。鳥のように固い殻に守られていることも、蝉のように、まだ見ぬ世界で鳥やほかの虫に喰われるのを恐れながら木によじ登ることもない我々人間は、自らが「人」に「成った」ことをなかなか自覚できません。我々は、気付きにくいことですが、産まれてからずっと守られているのです。そう考えれば、物理的な天敵や障害に見舞われることの少ない我々は「生きている」という確信が得づらく、それを求めるがあまりに道を踏み外してしまうのでしょう。こうして自身の過去を振り返っている私も、その一人でした。

 この世に生を受けることも、何かを飲み、食らうことも、自分の足で立つことでさえも誰かの助けが必要なか弱い人類は、しかしその助けを受けていることに対してあまりに鈍感であり、怠惰です。私自身、その気付きを得るのに随分と時間がかかってしまいました。あるいはそう自分で思っているだけで、まだ私自身旅の途中なのかもしれませんが。きっと成人式とは祝福の祭りではなく、我々一人一人が道を違えぬよう気付きを与える、一種の戒めの儀式なのでしょう。しかし私は愚鈍にも、本来そうすべき時期に「人」に「成る」ことができませんでした。殻を破れぬ雛が息絶えるように、「人」に「成る」ことができなかった私はきっとあの時死ぬべきであった、あるいは本当に一度死んだというべきでしょう。そしてその死人に与えられるのは、孤独という罰です。何者からも見られず、助けられず、ただ朽ちていくのを待つだけの死体に、それでも手を差し伸べてくれる者がありました。今となって思えば、彼らは私にかつての彼ら自身の面影を見たのでしょう(それをこうして私自身が語るのは些か傲慢と言わざるを得ませんが)。というのも、私はこうして旅の途中でありながらも、かつての私のように腐っている者には手を差し伸べたいと思っているのです。私に水を与え、食べ物を与え、友を与え、師を与え、それでもなんの見返りも要求しなかった彼らはいったい何者だったのでしょうか。「人」として生き始めてしまった私に、もはや彼らの姿は見えません。結局私は何の恩返しもできていないことが、こうして回想してみると心から悔やまれます。しかし、こうして彼らが生きた証を語り、そして私自身、自分の人生を生きていくことこそがその恩に報いる手段だと考え、こうして語るのです。これは、たくさんの不思議な出会いを通じて私が「人」になっていくお話です。


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