骸の父は夢を見ない・狂愁のエルフ、ヴァリアロンドの旅
ケロリビドー
骸の父は夢を見ない
「悪いがその依頼をこの報酬で受けるやつはここにはいねえよ」
雨上がりのむっとした空気に満ちた午後、安酒の臭いがして昼間から酔っている荒くれどもの調子っぱずれの歌が響く酒場のテーブルで、冒険者の男は俯く若い娘の差し出した革袋を押し返した。
「その話を聞くに、相手は人間じゃない、バケモンだ。バケモンの相手はバケモンに慣れてるやつしかやりたがらない。そんで、そういうやつの命は高いのさ。気の毒だがそういうもんだ」
まだ面持ちに若さを残している冒険者はかなり優しい男のようだった。娘もそう思えたので髭面のむくつけき男たちの中から彼を選んで声をかけた。隣で酒を飲んでいる女冒険者も横合いから「そいつの言ってることはホントだよ」とだけ声をかけてくる。俯いた娘の瞳からは涙が零れ落ちそうだった。男女の冒険者は少し心が痛んだが、別に珍しいことではない。化け物相手でなくても報酬が払えない者が泣き寝入りするのをいちいち全部拾い上げてはいられないのだ。
「ありがとうございました……」
礼を言って席を立ち、娘はもう一度だけ別の誰かに話を持ち掛けて、それでもだめだったら諦めようと思った。そんな彼女の目に酒場の一角がふと目に入る。そう広くはない酒場の中でその一角だけ遠巻きにされていてその中心にいる者の存在感を高めている。
(耳が長い……エルフ?)
そのエルフの男は黒ずくめに身を包んでいるが、髪と肌が青白いため、そこだけ白く浮き上がるように目立っていた。エルフは化け物退治に長けていると、どこかで聞いたことがあったような気がする。娘は彼に声をかけようとして口を開きかけたところで、さっきの冒険者に手を引かれて止められた。
「おい、やめとけって。あいつに関わらないほうがいい」
どうして? と娘は訝しむ。依頼を受けてくれない上に他の者に声をかけるのも邪魔をするのか……と怒りすら湧いた。
「どうして止めるんですか……私にはもう他に……」
「見ればわかるだろ。どう考えてもおかしい。よく見てみろ、あれを」
冒険者が顎をしゃくった先を娘が見ると、エルフが食べている料理の皿以外にも何かがテーブルに乗っている。それがなんなのか一瞬わからなくて凝視した娘は、その正体に気付いてぞっとした。それは二つの人間の頭蓋骨だった。エルフはその頭蓋骨を愛おしそうに撫でながら、上顎しかない口元にそっと一口ぶん差し出したりしながら何やらぶつぶつと一人で喋っていた。
「あいつ、いつもあれを腰からぶら下げて独り言を喋ってる。腕は立つみたいなんだが気持ち悪いんで誰も一緒に仕事をしたがらないのさ。まあ、それでも依頼するってのならこれ以上止めはしないが……。死者と旅をしてる奴に関わらないほうがいいぞ。ろくなことにならないからな」
親切な冒険者はそう言ってくれたが、娘にはもう他に頼れる者はいなかった。忠告に礼を言ってエルフのテーブルに近づいていく娘の後姿を眺めながら、冒険者はため息をつき、酒のジョッキをあおった。
「あの、よろしいですか。私、ネリアっていいます。粉屋の娘です。仕事を受けてくれる冒険者を探しているんですが……」
「……食いながらで良ければ聞こう。俺はヴァリアロンドという。こっちは妻のマルティアで、こっちが息子のエオだ」
ヴァリアロンドと名乗ったエルフはテーブルの上に冷たく乗せられている頭蓋骨をまるで生きている人間のように紹介してくる。娘……ネリアはヴァリアロンドの病的な目元に少し怯んだが、勇気を振り絞って彼の向かいに座り、この酒場に入って二度目になる依頼の説明を始めた。
「行方不明になった義兄さんを探してほしいんです」
ネリアの話によると義兄……トーリスが失踪したのは、彼女の姉が不気味な夢を見た夜だった。姉は出産を控えている妊婦で、トーリスも産まれてくる子供を楽しみにしていた。夫婦仲はむつまじく、恨みなどを買うような性質の男でもないというのに。
「どんな夢をみたんだ?」
ヴァリアロンドの問いに、ネリアは姉の見た夢の内容を話す。姉は暗闇の中、真っ黒な影のような何者かが彼女の臨月の腹を覗き込んで「この子は食べごろを過ぎているな。では代わりに父親のほうをもらっていこう」と言ってくる夢を見て、叫びながら目を覚ました。そして隣で寝ているはずの夫がいなくなっているのに気が付いたという。
「姉はそのまま産気づいてしまって、それどころではなくなってしまったのですぐには義兄さんの捜索はできなかったんです。姪が産まれてやっとおちついたのでこうやって探しているのですが、まだ誰にも引き受けてもらえなくて……。
「……それは夢魔の仕業だな。胎児の無垢な夢を好んで食べる奴もいる。そういう奴に目を付けられたんだろう」
「引き受けてはくれませんか。お金が少ないのはわかっています。私にできることなら他になんでもしますので……」
幸せの絶頂にいたはずの大事な姉がうちひしがれる様をネリアはこれ以上見たくはなかった。だから自分が身体で払うようなことになったとしてもトーリスを見つけ出したい。穢れない乙女の身だったがただの粉屋の娘の自分が払える対価などほかにはない。だから覚悟を持って、ネリアはなんでもすると言った。しかし、ヴァリアロンドの口にした対価はそれとはまったく違ったことだった。
「産まれてきた姪っ子は、エオの友達になってくれるかな?」
「えっ……」
ヴァリアロンドが愛おしそうに撫でているエオと呼ばれる頭蓋骨はネリアがよく見てみればとても小さかった。何歳で死んだのか、まだ赤ん坊と言ってもよさそうな大きさだ。
「俺たち一家は腰を落ち着けられる場所を探して旅をしているんだ。マルティアとエオに仲良くしてくれる人たちがいて、居心地が良ければ家を建てて定住したい。産まれてきた姪っ子をエオに紹介してくれるのならその報酬で引き受けてもいいだろう」
「あ……」
ネリアは恐怖した。ヴァリアロンドは完全に狂っている。エルフらしい美貌の目元は薄黒く落ちくぼみ、ぎょろりとした目つきは死者のいる世界を見ていた。恐ろしかったが、自分の持っている財産で引き受けてくれる者が他に現れるとももう思えない……。
「お願いします。義兄さんを見つけてください」
ヴァリアロンドはネリアのその言葉ににっこりと笑うと、彼女の依頼を引き受けた。
「夢魔は健康で丈夫な男を夢で操って食料を集めさせることがある。おそらくあんたの義兄、トーリスは召使にされているんだろう。それにおかしな夢を見たのがあんたの姉だけということはないはずだ。近隣の村で夢を見た者がいないか、それとトーリスを見かけた者がいないか調べよう。俺はトーリスの顔を知らないから一緒についてきて確認してくれ」
狂っている割にてきぱきと仕事をするヴァリアロンドに安心半分、不安半分でネリアはついていく。マルティアとエオは革ひもで繋がれてヴァリアロンドの腰でカラカラと揺れていた。こんな者が一般の家で聞き込みをしたら恐れて何も話してくれないかもしれない。そう思い、ネリアは彼に任せきりにしないで自分も率先して調査をすることに決めた。二人はまずネリアの家を調べることにした。ネリアの家族、粉屋である父母は仕事に出ていておらず、姉は生まれた赤ん坊と共に今は親戚の家で保護されているらしく、家には誰もいなかった。
「魔力の痕跡が残っている。やはり人ならざる者がこの家に侵入しているようだ」
先ほど降った雨でほとんどの痕跡が消えておりトーリスのものをはじめ怪しい足跡などは残っていなかったが、ネリアにはわからない魔力の痕跡とやらが家の壁を這うようにへばりついているらしかった。エルフにはそれが見えるらしい。暗がりを睨むヴァリアロンドの目が猫のように光っていて、ネリアは彼が人間とは違うのだと改めて思った。
「もし他にも攫われた者がいるならそいつの家にも同じ魔力が残されているはずだ。この村にいなくなった女はいるか? 夢魔はトーリスを使って食料を集めている可能性が高い」
「うちの近所ではいないです。いなくなったのは義兄さんだけで」
「ふむ……」
この家から魔力の痕跡を追うのは時間が経ちすぎていて無理だとヴァリアロンドが判断したので、二人は今度は別の調べものを始めることにした。
「うちも娘がいなくなったんだ。変な夢を見たとか言ったその後に……」
「うちは嫁さんが」
「妹が」
二人が近隣の村に訪れて調査を進めていくと、若い女が複数名行方不明になっていることがわかった。そしてその村の人間ではない顎に傷がある赤毛の男がうろついているのを目撃した者もいた。
「顎に傷があって赤毛……義兄さんです。生きているんだわ」
「どこか近くに夢魔の根城があるはずだ。おそらくトーリスと、運が良ければいなくなった女たちもそこにいるだろう」
行方不明になった者の家を調べる許可は異様なヴァリアロンドのいでたちのせいもあってなかなか出なかったが、ネリアが交渉するとつい昨日いなくなった女の家を調べられることになったので二人で彼女の家に赴く。
「争った形跡はありませんね……」
「だが魔力はべったりと残っている。そして、足跡も」
しゃがんで視点を落としたヴァリアロンドが指さした地面に、くっきりと男のものと思われる大きめの靴跡が森まで続いていた。
「足跡は一つしかない。女を抱えて行ったのだろうな」
「義兄さんは粉屋の跡継ぎですから、腕力自慢なんです」
「そうか。もし仲良くできたら家まで粉を運んでもらおうな、マルティア」
森に夢魔がいる可能性にたどり着いたがもう日が暮れ始めている。夜に森に入るのは人間の娘であるネリアにとっては危険なので次の朝まで待つことをヴァリアロンドが提案したが、ネリアはすぐにでもトーリスを探しに行きたかった。
「少しでも早く姉と姪の元に義兄さんを返してあげたいんです」
「ふむ……。ならトーリスを見つけるところまでだな。あんたがトーリスを確認出来たらあとは俺たちだけでやる」
俺たち、と言いながらヴァリアロンドは腰に下げている頭蓋骨を撫でる。ネリアはそれを見てこのエルフには世界がどう見えているのだろうと思ったが、余計なことは言わずに黙っていた。
「森への道は狼と、幽霊が出るから行ってはいけないと子供のころから言われていました。でももたもたしているうちに義兄さんが死んでしまったら産まれたばかりの姪が可愛そうだから。だから私ががんばらなきゃ」
「幽霊か。俺でよかったな。ちょうど幽霊が斬れる剣を持っている」
腰に頭蓋骨を下げているので剣を佩けないのだろう。ヴァリアロンドは得物を背中に括り付けていた。
「マルティアは俺たちの故郷で一番の鍛冶屋の娘で、この剣は俺たちが婚姻したときに義父から贈られたものなんだ。エルフの剣は幽霊でも夢魔でもなんなく斬れる。他の者ではもっと苦戦するだろう。ん? どうしたマルティア。恥ずかしいのか? 誇らしいことだろう?」
エルフの頭蓋骨だったのか、とネリアは思った。かつては長い耳を持っていたであろう頭蓋骨は朽ちて人間のそれと見分けがつかず、恥ずかしがっているらしい表情もヴァリアロンドにしか見えない。
「一応聞くが、戦闘の経験は?」
「……あるわけないじゃないですか」
「では、俺から離れるな」
森の中の道を、ヴァリアロンドはネリアの手を引いて走り出した。森の足元には薄い霧が立ち込め、湿った落ち葉の上を二人が駆けるとねちゃねちゃとした重い音が鳴る。霧の向こうから遠吠えが響き、ギラギラと光る眼だけが闇に浮かんでいる。狼だ。ヴァリアロンドが開いているほうの手で背中の剣をずらりと抜くと、その剣の刀身にびっしりと刻まれたネリアの知らない文字が青白い光を放って虚空に残像を残す。ヴァリアロンドは暗がりに剣を掲げて狼たちを指し示し、エルフの言葉で何やら鋭く呟いた。ごうっと音を立て、木々を縫って火花が奔る。エルフの精霊魔法だった。小さく悲鳴を上げるネリアの手を引いたままヴァリアロンドが何度か同じ魔法を繰り返して火を放つと、恐れをなした狼たちの遠吠えはやがて遠ざかっていった。
「はあ、はあ、待って。もう走れない、息が……」
「止まっている場合ではない。すぐに次が来るぞ」
「ごめんなさい、でも……」
「仕方がないな。許せ、マルティア。お前が一番だ」
「きゃ……」
ヴァリアロンドは腰にぶら下がった妻に一言詫びるとネリアを抱え上げた。バランスが崩れるのを恐れてネリアは彼の首に手を回す。男慣れしていない彼女が頬を染めるよりも早く、狼が去っていったきりの中から怪しげな明かりが揺れながら近づいてきていた。幽霊だった。幽霊は深くフードを被ってランタンを掲げた男の姿をしており、すいと滑るように近づいてくる。ネリアは恐ろしさのあまり固く目を瞑ってしっかりとヴァリアロンドの首にしがみつく。時折彼の鋭い息遣いと幽霊の断末魔が聞こえる中、ネリアは戦闘中のヴァリアロンドの燃えるように熱い体温だけを心の支えに耐えていた。男の人に抱かれるってこんな感じなんだ。恐怖から逃避するためとはいえ一瞬そんなことを考えてしまった自分をネリアは恥じた。
「着いたぞ、降りろ」
「す、すみません」
しばらく走って、顔を上げたネリアの眼前に、朽ちかけた廃墟が建っていた。元は整っていただろう庭、その中に厩舎と居宅が入っている。おそらくかつては貴族が狩り用の別荘に使っていたのではないだろうかと思われる、一介の村人である彼女にとっては立派な建物だった。
壊れた門から中に入ろうとすると、門の脇に一人の男が死んでいた。死後何日かたっているのだろう。死体を見るのは初めてのネリアも今は危険な森を抜けてきた興奮で心が麻痺しており、落ち着いて確認することができる。獣に食われてばらばらだったが、散らばった頭髪は赤毛ではない。トーリスではないようだった。
「おそらく、この召使が用済みになったので代わりにトーリスを連れてきたのだろう。探すぞ。あの厩舎が怪しい」
厩舎に近づくと、生き物の気配だけが外からも感じられた。なのに馬のいななきや馬蹄を鳴らす音などは聞こえず、気味が悪いほど静かで異様な雰囲気が漂っていた。ヴァリアロンドがそっと厩舎の扉を開けるが、誰かが反応して声をあげるでもない。依然として静寂が場を支配している。中に入る彼の後ろから恐る恐る足を踏み入れたネリアは、目に入った光景を見て思わず悲鳴を上げた。
「何ッ! これどういうことッ!?」
「いなくなった女たちだ。全員深く眠っている……」
木造の壁に沿って小分けに並んだ馬屋の一つ一つに女が一人ずつ横たわっていた。厩舎の床に板は敷いておらず、剥き出しの地面のままだったが女たちの眠る場所にはわらが詰まれて体温を奪われないようにしてあった。そしてどの女たちも大なり小なり腹が膨らんでいた。
「……みんな、妊婦さんだわ……いなくなったっていう女の人たちかしら。生きていてよかったけれど……」
「もともと孕んでいたのかここに来てからこうなったのか……前者だといいな。トーリスを探そう」
トーリスを攫った夢魔は元々ネリアの姪の夢を食べようと彼女の家に侵入した。食にこだわりがあるため、こうやって食料を生かして保存しているのだ。反吐が出そうだとネリアは思った。
「義兄さん、いるの? 義兄さん……」
馬屋にトーリスの姿は見えない。二人はトーリスを探して、馬具などを置いておくための倉庫の扉を開いた。
「義兄さんッ……! 見つけた! 私よ! ネリア!!」
中を覗き込んで、ネリアが駆けこむ。顎に傷のある赤毛の男がそこに何をするでもなくまっすぐ立っていた。今度こそ間違いなくトーリスその人だった。ネリアは彼を呼びながら身体を掴んで揺するが、トーリスは全く反応しない。うっすらと開いた目はどこも見ておらず、夢うつつのようだった。
「使っていないときはこうやって夢で縛っているんだ。おそらく夢魔を殺せば解放されるだろう」
「助かるの?」
「おそらくな。あんたはここで待て。夢魔退治は俺たちだけでやる。夢魔があんたを殺すようにトーリスに命じることも予想できるから今からトーリスを拘束するがいいな?」
ネリアの返事を待たずにヴァリアロンドはそこにあった縄で無抵抗のトーリスを縛り上げる。戻ってくるまで妊婦たちの様子を見ていてくれと言い残して、彼は夢魔が潜むであろう居宅のほうに歩いて行った。
厩舎と同じく居宅は静まり返っていた。重い扉には鍵がかかっておらずヴァリアロンドが押すと簡単に開く。灯りのない暗闇が中に広がっているが、夜目の効くエルフにとってはさしたる問題ではなかった。彼には壁の漆喰に入ったひび割れまでよく見える。そのひびがゆっくりと形を変え、まるで生き物の血管のように息づきはじめる。まるで建物全体が大きな生き物で、その体内に入ってしまったかのようだった。
(この廃墟は夢魔の夢に満ちている……)
ヴァリアロンドは再び背中の剣を引き抜いた。腰の家族がコロコロと揺れる。
「エルフの夢はまだ食ったことがない。男の夢は好みではないが、エルフの夢なら話は別だ……」
背後から聞こえた声にヴァリアロンドは振り向く。先ほど入ってきたはずの扉は消え失せ、そこには異形の者が立っていた。声と輪郭からは男だと推察できるのだが、まるで複数の肖像画を千切って貼り付け直したようにばらばらの大きさの目鼻を持ったちぐはぐな姿をしている。
「腰に骨をぶら下げているな。それはお前の家族か? かわいそうに。人間なら短い生の中で愛する者の死を忘れ和らげることもできるだろうが、長命のせいで癒えぬ悲しみを長い間抱えすぎていると見える。お前も幸せな夢を見ろ。夢の中なら失った家族と再会できる。お前が死ぬまで幸せに仲良く暮らすこともできるぞ? なぁに。代わりにその夢を少ぉしずつ齧らせてくれればいいだけだ……」
おぞましく掛け違った姿をしているのに、夢魔の声は甘く美しかった。聞いているだけで安らぐようなその声で、ヴァリアロンドに夢を見ろと迫り近づいてくる。
「失った家族と、再会できる……?」
「そうだ。悪い話ではないだろう? お前も夢を見ろ……」
夢魔が異様に長い骨ばった手でヴァリアロンドの額に触れようとした瞬間、彼は背中の剣に手を伸ばし、抜きざまに夢魔の身体を斬り伏せた。その挙動の速さに驚愕の声を上げる夢魔。
「な、なに……、何故だぁ……!!」
「ふざけたことを言うな。俺は何も失っていない。エオもマルティアもここにいる。俺たちは最初から仲良く一緒にいるぞ」
「ま、まて! ぐわあぁ!!」
ヴァリアロンドは続けざまに夢魔に何度も切りつけた。エルフの文字の浮かんだ剣はちぐはぐの肖像をばらばらに切り刻んでいく……。
「こいつは、く、狂いすぎている……精神に干渉できな……ぐ……あ」
「おやすみ夢魔。お前は夢を見なくていいぞ」
ヴァリアロンドが夢魔の不自然に大きな片目へとどめとばかりに剣を突き刺すと同時に、空間はもとのつまらない廃墟に変わった。こと切れると同時に夢魔の姿も消えうせ、あとには灰の山だけが残る。暗闇の中目を伏せたヴァリアロンドだけが一人立ち尽くしていた。夫の、父の勝利を喜ぶ家族の声が彼の長い耳にだけは聞こえているのだろうか。
「はっ……ここは。どこだ。おれは……」
「義兄さん! 私がわかる!?」
「ネリア……? どうして……」
ネリアが待機していた厩舎の倉庫でトーリスが目を覚ました。縄で拘束されていることに困惑していたが、身体に異常はないようだった。そこに、廃墟からヴァリアロンドが戻ってきた。
「夢魔を殺した。さあ、さっさと帰ろう。女たちが生きていたことも伝えなければ」
トーリスを伴ってヴァリアロンドとネリアは村に戻ってきた。戻る道すがら腰の頭蓋骨に「お友達、きっとエオのことを好きになってくれるよ」などと話しかけている薄気味悪いエルフを見てトーリスは居心地悪そうにしていたが、その頭蓋骨に生まれた娘を合わせるという条件で格安で命を救ってくれたと聞いてそれ以上何も言わずに黙っていた。
「姉さん、義兄さんを見つけて来たわよ……」
ネリアの家には父母と姉が戻ってきていた。ネリアは契約のことを説明し、姪をエオに会わせてやるように頼んだが父母と姉はそれを拒否した。
「トーリスを見つけてくれたことはありがたいけど、わたしたちはもうこれ以上気持ちの悪いことにかかわりたくないの」
「今日の売り上げを報酬に上乗せするから、これを持って帰ってくれ…!」
「そんな! ヴァリアロンドさんは私たちを助けてくれたのに、そんなのってないわ……」
ネリアは両親と姉に抗議したが、トーリスもネリアの肩に手を置いて首を振る。
「すまない。命の恩人だし感謝している……だがおれもあんな男にうちの子を近づけたくない」
ヴァリアロンドはそんな粉屋の一家の言葉を少し悲しそうに聞いていたが、ごねることなく報酬を受け取ると踵を返して扉から出て行った。
「待って! ヴァリアロンドさん! ごめんなさい。こんなことになるなんて思ってなかった!」
別れも言わず立ち去ろうとするヴァリアロンドに詫びながらネリア一人が追いかけてくる。そんなネリアの様子を見て、彼は少しだけ微笑んだ。
「親があんなに嫌がるなら、エオの友達にはなれそうにないというだけだ。気にするな。俺たちはまた居心地のいいところを探して旅をするだけさ……」
そう言って、ヴァリアロンドは再び歩き出す。今度はネリアが何度名前を呼んでも振り向くことはなかった。ただ腰から下げた母子の頭蓋骨を撫でながら優しい声で「次はきっと友達ができるよ」などと呟き、そのままネリアから遠ざかっていく。
(ヴァリアロンドさんの求める居心地のいいところなんて、どんなに探したってこの世にはないのに……)
ネリアは自分に家族を取り戻してくれた恩人の孤独な旅がいつまでも続いていくであろうことを思って、そのやるせなさに涙する。
「さよなら、親切なエルフ。ヴァリアロンドさん……ありがとう……」
村を後にするエルフの腰に下がった二つの頭蓋骨だけがカラカラと風に揺れていた。
骸の父は夢を見ない・狂愁のエルフ、ヴァリアロンドの旅 ケロリビドー @keroribido
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