第6話 マルコと共に

 あっという間に裏路地は静かになり、表通りの喧騒がよく聞こえるようになる。


「――お疲れさまです、お兄様」


 路地の入口で事の成り行きを見守っていたチアヤが、傍まで寄って労いの言葉をかけた。


「疲れちゃいねえよ、こんな三下ども相手に」


 ジークはそう吐いて捨ててから、目の前で腰を抜かしている少年に向けて手を差し伸べる。


「おいお前、立てるか?」

「あ、ありがとう……」


 マルコは落ちているハンチング帽を被ってから、差し伸べられた手を取って立ち上がった。


「あー、もしあれだったら病院連れてこうか? 結構な怪我だと思うけど」

「……いや、大丈夫。こういうの慣れっこだから」


 最終的に顔面も殴られたマルコの口元は赤く腫れ上がっていたが、彼はこの程度の怪我で医者にかかったことは一度としてなかった。


「それより、その……ごめんなさい。あなたの大切な懐中時計盗んじゃって……お母さんの形見だったなんて、知らなくて」


 心底申し訳なさそうにするマルコだが、ジークは気まずそうに自らの首元をさする。


「ああ、そういやそんなこと言ったっけ――嘘だよ」

「え?」


 マルコが驚いて目を丸くすると、ジークは説明を加える。


「だから、母親の形見だって話は嘘だ」


 真相を知った瞬間、マルコはほっと胸を撫で下ろした。


「な、なんだ。そうだったんだ……」

「でもな、大切な時計だってのは本当だぜ? なにしろ皇女様から頂いたもんだからな」

「へえ、そうなんだ……ってえぇ!」


 続いて告げられた事実に、マルコは再び仰天する。


「皇女様って、あの皇女様!?」

「うん、あの皇女様」


 中央の威光が一応この地域にも届いていることを確認したジークは、ポケットから懐中時計を取り出し、その表面を見せる。


「ほら、見てみ。天秤があるだろ。押しも押されぬ《調停官》の証、《金色の天秤》だ」

「……《調停官》ってことは…………やっぱりあなたは《魔術師》なんだね」


 マルコの声が突然、ワントーン低くなった。


「《魔術師》は嫌いか?」

「この町に好きな人なんていないよ」


 はっきり言われて、ジークは苦笑する。


「まあそう言うなよ。俺達はこの町を救うために来たヒーローなんだぜ?」

「ヒーロー?」

「ああそうだ。お前も知ってるだろ、ここ連日新聞の一面を騒がせてる《ロッソ》と《ディアボロ》の抗争をよ。俺達はそれを止めに来たんだ」

「……そんなの余計なお世話だよ」


 マルコは被っているハンチング帽のつばを手で少し下げ、目線を落とす。


「《ロッソ》があんなやつらに負けるわけない。放っておいたってこの争いは《ロッソ》の勝利で終わるはずさ」

「随分と《ロッソ》の肩を持つんだな」

「僕はごく普通のエリーセ市民だからね」

「そうだな。そして、ごく普通のアルガシオン皇国民だ」


 こういうことがあるから歴史の勉強は大事なのだと、ジークは痛感する。そして、《調停官》という仕事がいかに難しいものかということも。チアヤがジークのコミュニケーション能力についてあれこれ言うのも尤もなことなのだ。


「……《ディアボロ》にはかなり厄介な《魔術師》がいて、そいつを野放しにしておくのは皇国のために、もちろんエリーセのためにもならない――つい先日、エリーセ北東部ノース・エンドラ地区で起きた惨劇については?」

「知ってるよ……知らない人なんてこの町にはいない」

「だろうね」


 ジークは頷く。


「《ロッソ》の構成員とその家族が多く住むことで知られるノース・エンドラ地区が《ディアボロ》に襲撃され、今や廃墟と化してる。俺達はぜひその現場を調査したい」

「あそこはロッソの人達が封鎖してるよ。誰も入っちゃいけないって……あなた達は《ロッソ》から許可を貰ったの?」

「どうして正義の代行者が犬コロの顔色を窺わなきゃならないんだ?」


 少し感情的になってジークが言い放つと、マルコは表情を強張らせて左右を見回す。


「あまりこの町でそういうこと言わない方がいいよ。誰が聞いてるかわからない」


 彼の言うことも尤もだった。


「じゃあ、僕もう行くね。一応ありがとうって言っとく」

「待て」


 その場から立ち去ろうとするマルコの腕を、ジークはしっかり掴む。


「なあ少年、お前はさっき俺からコレクターに売り払えば皇都に屋敷が建てられるくらいの価値ある懐中時計を盗んだ。本来なら今すぐにでも警察署に引きずっていって、盗みをしなくても毎日とびきりの御馳走が食えるよう署のお偉いさんに掛け合ってやったっていいんだ」


 ジークの言わんとしていることを察したマルコは、深いため息を吐く。


「はぁ……わかったよ。何をすればいいの?」

「そう嫌そうな顔するな、そんな難しいことじゃない。ただ俺達をノース・エンドラ地区へ案内してくれればいい」

「嘘でしょ? そんなことはしたくない」


 《ロッソ》を支持するマルコは当然難色を示すが、ジークは折れない。


「入口まで連れてってくれるだけでいいんだ。それで《調停官》への犯罪行為がチャラになるんだから、悪い話じゃないだろ?」


 権威を笠に着る人間を心底嫌うマルコだが、だからと言って権威に真っ向から反抗するだけの気概はなかった。


「わかったよ……入口まで案内する」

「ありがとう少年、恩に着るよ」


 ジークはそこでようやくマルコの腕を離した。マルコは掴まれていた箇所をしばらく手でさすった後、


「じゃあ、ついてきて」


 とだけ言ってすたすた歩き出す。ジークとチアヤは並んでその後をついて行く。


 元のエンドラ通りに戻り、やはり彼らが一度通った道を辿って北へ進む。


「あ、そうだ。ちょっとここで待っててくれ」


 その途中で先刻立ち寄ったブドウケーキの露店を見つけ、ジークは一人で向かう。


 ややあって戻ってきた彼の左右の手には、紙に包まれたブドウケーキが一つずつあった。

 その内の一つをチアヤに渡した後、もう一つをマルコに差し出す。


「ほら、これ」

「え。いいよ」

「なんだ、甘いの嫌いなのか?」

「いや、ブドウケーキは好きだけど……」

「じゃあ食えよ。俺は甘いの苦手だからな」


 それでもなおマルコが逡巡していると、


「私もう一ついけます! これ、すっごく美味しい!」


 口の周りにクリームを付けたチアヤが黄色い声を上げる。


「欲しかったら自分の金で買え」


 そんな彼女をジークが冷たくあしらってようやく、マルコは決心がついたらしい。


「じゃあ。いただきます」


 マルコがブドウケーキを受け取って、三人は再び歩き出す。食べ歩きスタイルで、マルコはすぐにケーキを完食した。


「なあ。ところで俺達、自己紹介がまだだったよな」


 チアヤとマルコが道路脇にあったゴミ箱にケーキの包み紙を捨てたところで、出し抜けにジークが言う。


「俺はジーク、んでこっちがチアヤ。お前は?」

「……マルコ」

「マルコか。いい名前だ、よろしくな」


 それに対しマルコはこくんと頷き、また歩き出した。ジークはすぐその後を追い、並んで歩く。


「ところで、ずっと気になってたんだが――お前さ、《魔術》使えるだろ」


 その質問を受け、今まで一貫して先を急ぐような素振りをしていたマルコがぴたっと立ち止まった。


「気づかれないよう人の胸ポケットにある懐中時計を盗むなんて芸当、《魔術》を使わないとまず無理だからな。恐らくは《空間転位》系の《上位魔術》だが……練度が足らず発動と効果にかなりシビアな制約がある。違うか?」

「……そうだよ。僕は《魔術》を使ってスリをやってる」


 そう打ち明けたマルコは、再び足を動かす。ジークはその少し後ろを歩きながら、質問を重ねた。


「《空間転位魔術》は《上位魔術》の中でも《最上位魔術》に限りなく近いとされるほどの高度な《魔術》だ。親御さんが《魔術師》なのか?」

「おじいちゃんがそうだった。アミリア王家に《宮廷魔術師》として仕えてたんだけど……二十年前の革命の時、《魔術師》であることを辞めた」

「――だが、その力は孫であるお前に受け継がれた」


 マルコはそこで、被っているハンチング帽のつばをぐっと引き下げた。

彼にとってこの話題がいかに辛いものなのか、ジークは当然理解していたが、それでも話を変えない。


「《魔術学校》には通ってないのか?」

「この町にそんなものはないよ」

「親元を離れても通うべきだ」

「そんなお金もない」

「奨学金制度を利用すればいい。厳しい選別があるが、お前なら絶対に通る」


 ジークはそう断言するが、マルコの心を動かすには至らない。


「僕には病気のお母さんがいる。お母さんを放って町を出るなんてありえない」

「父親は?」

「ずっと前に死んだよ」


 そこでとうとう、マルコは足を止めてジークの方を振り返った。


「それとね、勘違いしてるようだけど、僕は《魔術師》になりたいなんてこれっぽっちも思ってない。むしろ逆さ――僕は《魔術師》を憎んでるんだ」

「どうしてだ?」

「それは……あんたにはわからない」


 それだけ言うと、マルコはまた歩き出す。


 問題が根深いことを察したジークは、その件についてそれ以上踏み込まなかった。そもそも彼がどう生きようが所詮は他人の人生だ、ジークにとって何ら関係ない。


 しかし、人間の性として明らかな矛盾は指摘したくなってしまう。


「《魔術師》が嫌いだって言うけどな、《ロッソ》にだっているだろ、《魔術師》が」

「ダリアさんのこと?」

「そう――ダリア・ロッソ。ボスの右腕と呼ばれる男。聞いた話によると、こいつは《魔術師》だってのに市民から熱狂的な支持を受けてるとか」


 聞きかじった程度で事情をよく知らないジークは、なぜ《魔術師》であるダリアという男がエリーセ市民から愛されているのか、不思議でならなかった。


「ダリアさんは別さ。あの方は、いつだって僕達みたいな弱い立場の人にも優しくしてくれるんだ……何よりダリアさんは《精霊魔術師》だし」

「《精霊魔術師》ならオッケーなのか?」

「当然さ。《精霊魔術》は《大精霊ルナド》からの贈り物だよ? それを使う人が悪者なわけないもの」


 その発言を聞いて、ジークはそういえば《精霊教会》の総本山サン・デオンニーノ市はアミリア州にあったなと思い当たる。


「なるほど……俺の同僚にも一人いるよ、素敵な《精霊魔術師》が」

「うん。《精霊》と契約できるのは綺麗な心の持ち主だけだから、きっとその人もダリアさんみたいな人格者なんだろうね」


 ……不見識による先入観は全く恐ろしいものだと、ジークは改めて確認した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る