第3話 謁見

 結局、ジークとチアヤは徒歩でエリーセ宮殿まで向かい、一時間近く歩いてようやく表門まで辿り着いた。最後十五分くらいは結構な山道を歩いたが、二人の顔に疲労の色はない。


 表門を固めている騎士のような格好をした守衛に話を通すと、すぐに取次役の老執事がやって来て、二人を敷地の中へ案内する。


 さすがは一国の主の別邸として建てられただけあって、表門の奥に広がる庭園は見事だった。生垣が迷路のように入り組んでいるが、上から見ると複雑な幾何学模様を成していて、何もかもが完璧に計算し尽くされて設計されている。その迷路に囲われるようにして、ちょうど庭園の中央で壮麗な噴水が飛沫を上げていた。


 ジークとチアヤは庭園の美しさに目を奪われながらも、老執事の後について舗道を歩く。


 やがて宮殿の入口に到着し、二人は中へと招き入れられた。


「閣下は二階の執務室にいらっしゃいます。どうぞこちらへ」


 入って早々広大な大広間が広がっており、その先に大きな階段があって二階へ続いていた。執事に先導され階段を上り、さらにそこから玄関扉側へ折り返されている通路を行き、ちょうど玄関扉の真上に位置する巨大な窓がある突き当りを左に曲がる。そのまましばらく歩くと邸の南東角の突き当りに差しかかるのだが、そこをさらに左に曲がってずっと歩いたところにあるのが執務室だった。


 両開きの扉を老執事がノックすると、中から「入れ」という男の低い声がする。

 扉を開けた老執事は恭しく頭を垂れ、主人にこう告げた。


「失礼します。《調停官》のジークフリート・ローズエンデ様とチアヤ・ローズエンデ様をお連れしました」


 初老の男――アミリア大公ことクラウス・シャスティリアンは、マホガニーの杖を手にしながら、部屋の右手前に向かい合うようにして置いてある二つのソファの内、奥のソファのちょうど真ん中辺りにどっしり腰を据えていた。


「ご苦労」


 老執事には目もくれず威厳ある声で言うクラウスだったが、すぐに客人であるジークとチアヤに顔を向け、柔和な笑みを見せる。


「やあやあ、ようこそ我が邸へ。皇都から遠路はるばるこんな片田舎までいらして、さぞお疲れでしょう」

「いやまあ、そんなことはないけど……」


 予想より遥かにフランクな対応を受けジークはとっさに畏まるが、それでも敬語は使わない。

 ジークが室内に足を踏み入れ、続いてチアヤも中へ入ろうとする。が、そこで扉脇にいた老執事に呼び止められる。


「申し訳ありませんが、武器の類はこちらでお預かりさせていただきます」


 チアヤの腰のベルトに差し込んである《魔剣カグヤ》のことを言っていた。しかし、《魔剣》はその性質上おいそれと他人に渡していい代物ではない。

 そのことを心配してチアヤが逡巡していると、見かねたクラウスが助け舟を出す。


「構わん……大体そちらの方が腰に差しているのは《魔剣》だ。《魔剣》に認められた者以外は触れただけでとんでもないことになる」


 それからすぐ、老主人は客人二人に目を向ける。


「すいませんな、お二方。この者は《魔術》に関してとんと無知なもので」


 謝罪を受けたチアヤがすっかり恐縮して頭を下げると、クラウスは優しく微笑む。


「まあ立ち話もなんですからお座りください。すぐに紅茶が入りますからな――そうだ、この間シュナから取り寄せたチョコレートの残りがまだあったような」

「紅茶だけでいいよ、チョコはあんまり好きじゃない……よっと」


 ジークは言われた通り、クラウスと向かい合うようソファに深々座る。クラウスはチアヤにも座るよう勧めたが、彼女は固辞してジークの斜め後ろに立った。

 お互い簡単な自己紹介を済ますと、タイミングよくメイドがやって来て、主人と主賓に淹れたての紅茶を差し出す。


 角砂糖をたっぷり入れた紅茶を上品に飲んでから、クラウスはやおら口を開いた。


「あなた方の上司、カイルバース殿とは十年来の付き合いでしてな。時々チェスのお相手もさせていただく程の仲なんですよ」

「エリーセに着いたらまず閣下に挨拶しにいくよう言われてね。『よろしく伝えておいてくれ』って言ってたよ」

「おお、それは嬉しい限りです。ご気遣い痛み入りますとぜひお伝えしておいてください。いやぁ、中央で大活躍をなさっているカイルバース殿からそんなありがたいお言葉をいただくとは、幾分寿命が延びたような気がいたしますなぁ……あっはっは」


 ――心にもないことを口にしている。ジークはそう思ったが、何も言わない。

 続いてクラウスは、抜かりなくジークとチアヤに対してもおべっかを口にする。


「しかし、《調停官》が来ると聞いてまさかあなた方のようなお若い方が来るとは思ってもみませんでした。その歳で《上級魔術師》とは驚きましたよ……いやあ、私の娘もお二人と同い歳くらいなんですがね、一応魔術師を志しているんですがまだまだ半人前で」


 そこまで言ったところで、クラウスは依然柔らかい笑みを浮かべながらも――突然次のように切り出す。


「それで――エリーセにはどういったご用件で?」


 目の前にいる男の底の見えなさに薄気味悪いものを感じつつ、ジークは慎重に言葉を紡ぐ。


「つい先日起きた、《ノース・エンドラの惨劇》については?」

「もちろん存じております。なんでも被害者の悉くが氷漬けにされたとか」

「そう。そして、その被害者全員がエリーセに本拠地を置く《ロッソファミリー》の構成員だってことも知ってるよな?」

「……ええ、存じております」


 クラウスは一度目を閉じて黙したが、すぐにまたジークを見やる。


「ですが、この件は守旧勢力の《ロッソファミリー》と新興組織である《ディアボロ》との間で起きた《ファミリー》同士の抗争に過ぎない。あなた調停官が介入する理由はないと思いますが?」

「――《女帝》は知ってるか?」


 ジークが出し抜けに問うと、老紳士はほんの少し眉を動かしたものの、すぐ元の顔つきに戻って答える。


「ええ、それはもちろん……《三賢聖》の一人、アレクシア・サラヴァント殿のことでしょう? それが何か?」

「《氷結魔術》はサラヴァント家に代々受け継がれている《最上位魔術》だ。物体の温度を下げたり氷の刃を生成する程度の使い手は相当数確認されているが、人間を丸ごと氷に閉じ込めるなんて芸当ができるのは、少なくともアルガシオンには《女帝》を含めて二人しかいない」

「なるほど……あなた方は《二人目》を探してらっしゃると」

「そういうことだ」

「その《二人目》の素性は、訊いても教えていただけないんでしょうね」

「あんたが知る必要はない」


 ジークがそう言い捨てると、クラウスは背もたれにぐっと寄りかかり、よく整えられた顎鬚を何度かさすった。


「まあ……そうですな。私には関係のない話だ」

「そうだな。ただし、こちらに協力はしてもらわないと困る」

「私にできることなどたかが知れてますが。一体どんな協力を求めておいでかな?」

「話は単純だ――俺達の邪魔をするな」


 声のトーンを低くさせたジークはさらに、背もたれから体を離して前傾姿勢を取る。


「あんたが警察上層部と深いパイプを持ってるのは知ってる。あんたなら、この町の警察署のお偉方とチェスでもして俺達の捜査に横槍を入れないよう『お願い』することくらい簡単にできるはずだ」

「……失礼ですが、そうすることによる私のメリットは?」

「これ以上事が大きくなれば《軍》が動く。やつらが俺らほど気の長い集団じゃないことくらい、アミリア大公シャスティリアン閣下は知ってると思ったんだがな」


 脅迫じみたジークの言葉を受け、クラウスはしばし目を伏せる。


「いいでしょう……話を通しておきます」


 その返答に対し、ジークは取ってつけたような笑みを浮かべた。


「ご協力感謝します、閣下。安心してください、我々調停官は偉大なる皇国に秩序と安寧をもたらすのが職責ですから」

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