比翼連理の遥かなる旅路
@aoyamauzuki
第1話 比翼連理の旅の始まり
汽車後方の二等客室にて、白いワイシャツの上にアッシュグレーのウールセーターを着込んだ少年と、黒のセーラー服を着た少女が、向かい合って座っていた。
「――お兄様、『比翼連理』って知ってますか?」
腰まで伸びた艶やかな濡羽色の黒髪とスミレ色の瞳が美しい少女は、読んでいた文庫本を栞も挟まず閉じ、向かいに座る少年に問いかける。
「知らん。何それ」
指抜きグローブをはめた手で頬杖を突き、車窓の景色をぼうっと眺めていた銀髪の少年――ジークフリート・ローズエンデは、耳につけた星型のイヤリングを揺らしつつ、エメラルドグリーンの瞳を向かいの少女にやる。
少女の胸元にもまた、赤いスカーフの上で、少年のイヤリングと同じ店で買った三日月のネックレスが輝いていた。
「その昔、遠い遠い国の王様が愛する妻に向けて送った言葉です。『比翼』は目と翼が片っぽずつしかなくて一緒になって空を飛ぶ二羽の鳥を、『連理』は永遠の愛を誓い合った夫婦のように繋がっている二つの木の枝のことを指しています」
「ふーん。で、その『比翼連理』がどうしたんだ?」
ジークが訊くと少女――チアヤ・ローズエンデはほんのり頬を赤らめ、その両頬に手を当てて伏し目がちになった。
「いえ、その、ですね……まるで私達みたいだなぁって、思いまして……」
「おい待て。一体どこが『私達みたい』なんだ」
「だってだって、私達って永遠の愛を誓い合った仲じゃないですか? 健やかなる時も病める時も、お互いを支え合うことを誓い、同じ時を生き同じ時に死に、死んでからもずっと肩を寄せ合い続けあの世でもちゅっちゅイチャイチャするって誓いましたもんね」
「……そんな気色悪い誓いを立てた憶えはないんだが」
「えっ、お兄様ちゃんと誓ってくれましたよ! 私が昨日見た夢の中で!」
――二人にとって、このようなやり取りは日常茶飯だった。
二人は戸籍上兄妹であり、加えて言うと彼らが住まうアルガシオン連合皇国において兄妹の結婚は禁忌だった。にも関わらずチアヤがジークに対して「兄妹愛らしからぬ愛」を示し続けるのは、彼女の想いの強さの表れでもあるのだが、やはり二人に直接の血の繋がりがないことも理由の一つであろう……。
その日は十月初めの土曜日。彼ら兄妹は、皇国を構成する五つの州の内最も南にあるアミリア州、その南奥に位置する州都エリーセに向かうべく、早朝より汽車に乗っていた。
午後二時過ぎにはエリーセに到着する予定で、二等客室の長椅子に向かい合って座っていたジークとチアヤは、それぞれの時間を過ごしたり、あるいは今のように他愛のないやり取りを交わしたりしていた。
しかし――そんな二人の穏やかな時間は、何の前触れもなく突然終わりを迎える。
客室のドアが粗雑に開かれた。ドアを開けたのは、一人の大柄な男だった。
「おい、お前ら! さっきからうるせ――」
突然現れた闖入者は怒気孕んだ声でそう口走ったのだが、最後まで言い終えることなく後方へ吹き飛ぶ。
さらに――
「え、なっ……おぐあっ!」
その斜め後ろに控えていた男も、続けざまに意識を失う。
それぞれほんの一瞬、ほんの刹那の出来事だった。
「ふぅ……で。一体なんなんだ、こいつらは?」
「わかりませんけど。鳩尾に正拳突きを食らわせて然るべき輩ではあるようですね」
突然の闖入者二人は、検札に来た乗務員でも、エリーセ名物のブドウピザを食べに来た観光客でもなかった。
他の乗客に紛れるため恰好こそカジュアルだったが、その手には旧式のライフル銃が握られていたのである。
「ですが、わざわざお兄様が手を下すまでもありませんでしたよ。《下位魔術》すら扱えない《新人類》なんて、私のこの《魔剣カグヤ》の一振りで瞬殺できますから」
《新人類》とは、この世の理から外れた奇跡、《魔術》を扱うことのできない圧倒的多数の人々に対する通称である。
現在アルガシオン連合皇国において、全人口の九十パーセントがこの《新人類》に該当する。
「力の加減ド下手なお前に任せたら列車がとんでもねえことになるだろうが。この前ボスに言われたろ、『次問題を起こしたらローズエンデ卿に報告する』って」
ジークが通路で倒れている男を足で何度か突きながら応じると、チアヤが大きなため息を吐く。
「まったく、部下を庇えない上司など酸味の効いてないチーズケーキより無価値ですよ。しかも、あろうことかフィオナ様の手を煩わせようとするなんて……いっそ、あの赤髪天パ男を八つ裂きにしてやりましょうか」
「やめて、それやったら俺の人生終わるから」
――このイレギュラーな状況にあって、兄妹は至って冷静だった。
それもそのはずである。なぜなら、このような状況を対処することこそ彼らの通常職務なのだから。
「一応言っておくが、お前は極力手を出すな」
「ええ、わかりましたお兄様。お兄様の将来の妻たるチアヤは、将来の夫たるお兄様の少し後ろで慎ましくしております」
「……もうツッコむのもだるいからいいわ、それで」
ジークはそう口にしながら、長い通路の先を見据える。
二人は現在、後方に五両ある客室車両の最後尾にいた。
二人は颯爽と歩き出す。
「他の乗客の安否確認は?」
通路を歩きながら、濃紺色のインバネスコートを羽織り仕事モードに入ったチアヤが尋ねるが、
「客室を一々見て回ってちゃ時間がかかる。真っ直ぐ機関室へ向かうぞ」
ジークは過ぎ去る客室には目もくれず、チアヤが着ているものと同じコートの裾をはためかせ、前へ進む。
それからぐんぐん進んでいき――ちょうど先頭の客室車両を抜け、続く食堂室車両の扉を開け一歩足を踏み入れたところで、ジークはようやく止まる。
「あ……なんだテメエは?」
食堂室のちょうど中央にいる髭面の大男が、突然現れた闖入者に眉を吊り上げる。
が、ジークは男の問いかけを無視し、室内を何度か見回しながら数歩奥へ進んだ。
「なるほど――大体の状況は理解した」
ジークはそこで足を止め、自らが思い描いたシナリオを高らかに披露する。
「性能の高い《魔装銃》を手に入れて気が大きくなったチンピラが、身代金目的で《精霊教会》の会士様を人質に取るべく汽車に乗り込み……食堂室にいる会士様との友好的なコンタクトを試みたものの護衛による抵抗を受け、その護衛を止むなく射殺した」
彼の言葉通り、車両中央から見てやや右にある席の奥の椅子に、《精霊教会》会士のシンボルである白いローブを身に纏った金髪の青年が座っていた。それも、例の髭面の大男に拳銃タイプの《魔装銃》を突きつけられるといういかにも人質然とした様子で。
そして、青年の斜向かいの椅子の足元には、《精霊教会》護衛士のシンボルである黒いローブを着た男が血を流して倒れていた。
今しがたのジークの発言は、たった数分前に起きた事件の全容をほとんど正確に言い当てていたわけだが。
彼はさらに、その続きを語り始めた。
「護衛を排除し作戦は成功目前だったが――突如現れた謎の少年により三下チンピラ集団は瞬く間に制圧される。全員お縄につき、駅で待機している警察に引き渡され、残りの生涯を汚い檻の中で過ごすことになりました……めでたしめでたし、と」
そこでようやく、語り手自身による乾いた拍手が響き渡る。
「最後のは予言だよ、諸君。あまりに単純で明白で、絶対に外れようのない予言だ」
拍手を止めたジークは、ようやく髭面の大男を正面から見据える。
「どうだい、今の話に異論のある者はいるかな?」
その場には髭面の大男の他に、通常のライフルを手にした男が三人、そして、ほとんど全てのテーブル席に人質の乗客がびっしり座らされていた。違法改造された《魔装銃》を手にした髭面の大男は一味のリーダーだった。
「おいガキ。テメエがした今の話には大きな間違いが二つある」
大男はそこで初めて、《魔装銃》の銃口を《精霊教会》会士の青年から外す。
「まず一つ、俺達はただのチンピラなんかじゃねえ。これまで十三人の《魔術師》と、その他数え切れないくらい政府の犬共を殺してきたテロリスト《ブラックダガー》……それが俺達だ」
大男はさらに、手にしている《魔装銃》の銃口を真っ直ぐジークへ向ける。
「それともう一つ。俺達がくせえ監獄の飯を食うことはねえ――なぜなら今この瞬間、テメエが死ぬからだ」
言うや否や、《魔装銃》から高濃度の《魔力》が刻印された《魔装弾》が放たれた。
強力な一撃がジークの眉間に当たり、彼の小さな体は後ろに控えていたチアヤの足元まで吹き飛ぶ。
いつものチアヤならこの時点ですでに《魔剣カグヤ》の刀身を抜いているところだが、事前にジークから釘を刺されていたので、目を閉じたまま微動だにしなかった。
テロリストの男達はその光景を目の当たりにし、声を上げて笑い出す。少しでも動けば殺すと脅されている人質は身じろぎ一つしないが、みな心の底から恐怖し、絶望し、その体は震えていた。教会士の青年も、忸怩たる想いで自らの下唇を噛み締めていた。
「ふははははっ! ざまあねえなクソガキ!」
髭面の大男は自らの力を誇示するよう高らかに笑う。
「多少腕に覚えがあったようだが、喧嘩を売る相手は慎重に選ばねえとな。俺はテメエくらいの歳にそういうことを散々勉強させられたもんだが……悲しいねえ、前途ある若者がこうも呆気なく死んじまうとは」
言うなり彼は身を翻し、奥の機関室へ向かうべく一歩、二歩と足を進めた……のだが。
「そうだな――喧嘩を売る相手は慎重に選ぶべきだ」
その言葉を受けて、ぴたりと歩みを止める。
ここで気が張らないほど、男は楽観的な性格ではなかった。
「な、テメ、」
半身振り返ったところで――その巨体が沈んだ。
続いて、少し後ろにいた二人の男もその場で崩れ落ちる。一番奥にいた男はなんとか銃を構えたが、引き金を引くべき相手を見定める前にやはり同じように気を失った。
全てはほんの一瞬、ほんの数秒の出来事だった。
「こ、これは一体……」
一部始終を目の当たりにしていた金髪の教会士が、思わず呟く。青年はたった今何が起こったのか、ほとんど理解していなかった。
ただ、この事態を引き起こした人物が一体誰なのか……その一点だけはなんとか理解していた。
「ふぅ。こんな雑魚相手じゃ、準備運動にもなりやしねえな」
四人のテロリストを一瞬で制圧した張本人――ジークはひょうひょうとした様子で事も無げに言う。
ただし、彼はまだ気を抜いていない。その瞳は、機関室へと通ずる奥の扉をじっと捉えていた。
「おいチアヤ」
「はいお兄様」
「ここ、頼んだ」
「ええ――わかりました」
言うや否や、ジークは一人機関室へと向かった。
《精霊教会》会士の青年、アルフォンソ・パストレルは、その時一体何が起きたのかすぐには理解できなかった。ただ結果として四人のテロリストが前後不覚となったこと、そして、それを為したのがたった一人の少年だということは辛うじて理解できた。
テロリストを無力化したのが少年であると断定したのは、言ってしまえば単なる消去法に過ぎない。それをできるような存在が彼か、あるいはその後ろに控えていた背の高い少女しかおらず、加えて現在の両者の立ち位置を鑑みると、この恐るべき芸当の実行者はやはり背の低い少年の方である……アルフォンソはそう考えたのだ。
実際その直後、アルフォンソは自らの予想が、少なくとも全くの見当外れではないことを確信する。
少年の背中には、釣り合った状態の天秤が刻まれていた。
より正確に言うと、少年は金色の天秤が刺繍された濃紺のインバネスコートを羽織っていた。
《金色の天秤》――その紋章が意味するものを、アルフォンソは知っていたのである。
「……《司法省》が保有する実働部隊の中で最強の《魔術師》集団……」
機関室の方へと消える少年を見送った彼は、浮かせていた腰をぽんと椅子に落とし、今度は自らの前方にいる背の高い少女に視線を向ける。
「《調停官》……だったのですね」
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