第4話 魔女の事務所

 琥珀書房の店内に入ると、かららん、とベルの音が鳴り響いた。カウンターの中では、人の良さそうな店長と小柄なウエイトレスが、シフォンケーキをカットしたり、スチーマーでミルクを泡立てたり、コーヒーをドリップするのに忙しく動き回っている。

 家具のように風景に溶け込むBGMはエリック・サティの『ジムノペディ』。

 

「やぁレノさん、いらっしゃい」

 

 白いシャツに黒いエプロン。モノトーンの制服に身を包んだ、丸いフレームレスの眼鏡が似合う長身男性、雇われ店長の桜庭桐恵きりえさんが、僕に向かってそう言った。

 その隣にいるのが、高校生バイトの青井琴梨ちゃん。

 やや赤みがかった黒髪が、暖色の照明に透けて優しい珈琲色に色づき、丸い黒目が親しげにこちらを見上げてくる。人懐こい雀みたいな女の子だ。

「オーナー、います?」

 僕が尋ねると、琴梨ちゃんが朗らかに笑った。

「いますよー。ちょうどよかった。コーヒー、届けるところだったの。持っていって」

 そう言ってプラスチック製の白い蓋を被せたトールサイズの紙コップを二つ、渡してくれる。

 僕の雇い主でもあるこの店のオーナーは、書物とコーヒーが切れると途端に機嫌が悪くなる人物で、元は古書店だったというこの店を買い上げてすぐ、一部をカフェスペースに改装したという逸話がある。

 

 コーヒーを受け取り、店の奥へと歩を進める。建物の奥は書店になっていて、壁という壁が、天井まで本棚で埋まってる。カフェ側に近い場所には雑誌や漫画なども置かれているが、奥に行くほど、歴史書や哲学書、技術書や洋書なんかも並んで、特段読書家というわけでもない僕にとっては、未知の世界が広がっている。

 

 僕は本棚に囲われた書店側のレジスペースを覗き込んだ。

 そこはまるでアニメや特撮に出てくる巨大ロボのコックピットのようだった。

 畳敷きの半畳ほどのスペースに、ミニテーブルと会計用のタブレットと、年季の入った手提げ金庫が収まり、私物と思われるパラフィン紙に包まれた古い文庫本が山と積み上がっていた。

 狭い空間で、長い手足を折りたたんで読書に耽っているのは、古書店時代からここでバイトをしている大学生の本田瑠璃さんだ。

 墨汁をたっぷり吸わせた面相筆で一本一本書き込んだようなストレートヘアを、うなじのあたりでひとつ結びにしている。

「おっす、瑠璃さん」

 太い黒縁眼鏡のレンズ越しに、切れ長の両目が僕の額あたりを一瞥した。

「…………っす」

 小さな声で挨拶が返ってくれるようになるまで、半年くらいかかったかな。なつかないけれど放っておけない人見知りの猫のようである。

「今日は何読んでんの?」

「浅田次郎」

「どんな話?」

「新撰組の話」

 前述のとおり、僕はあまり本を読む方ではないのだけれど、こと瑠璃さんについては、本の話を振るとそれなりに反応があるので、挨拶がわりにその時読んでいる本のことを訪ねるようになった。今日は家族を養うために脱潘して人斬りになった侍の話をかいつまんで説明してくれた。

「面白そうだね」

「レノさんは、いつも、そう言って、読んだためしがないですよね」

「瑠璃さんが話してくれるからいいじゃん」

「…………」

 瑠璃さんはなぜかうつむいて黙りこんでしまった。チャラ男ずるい死ねばいいのに爆発しろ、というつぶやきが聞こえてきたような気がするが、多分気のせいだろう。

 

 事務所に至る階段を登り、琴梨ちゃんが用意してくれたコーヒーをミシェルさんに渡した。

「やぁレノ、仕事の調子はどうだい?」

「ぼちぼちです。金山さんの猫は西川さんちのばーさんが保護したそうで、電話しておきました。四ノ宮さんのお父さんは三年前に秋田に引っ越したとこまでは追えましたが、そっから先は現地じゃないと厳しそうです。フランシスさんの懐中時計は西荻窪の骨董屋に流れていったみたいなんですが、店主のじーさん、ちょっとボケ入ってて……」

「結構結構。今の内容、メールで送ってくれ」

 デキる女の空気を漂わせ、ミシェルさんが話を切り上げる。

 僕は頷き、自分用のデスクに向かってPCを起動した。

 

 『琥珀書房』の裏稼業。

 それは、失せ物探し専門の探偵事務所だ。

 今時ホームページもないどころか、決まった屋号も存在しない。

 噂話——今風に言えば口コミだろうか——で人から人へと話が伝わって、不思議と仕事には困らない。

 時に、人が無意識のうちに失った『何か』を探し出す。

 

 その仕事を、僕は密かに『魔女の事務所』と呼んでいる。

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無気力青年は金髪美女の『魔法』に救われる〜琥珀書房の裏稼業〜 しろさば @srsB_sahara

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