懐古

 家へと帰る途中、俺は智のことを考えていた。


 はじめに思い浮かんだのは、智と最初に出会った時の記憶。


 入学したての頃、様々な部活動の仮入部が行われていた。俺は当時から小説家になりたいと思っていため、文芸部に入ることを即決し、早いうちから活動に参加していた。


 仮入部期間中のある日、細身で背の高い男子生徒が、文芸部の部室を訪れたことがあった。


『佐倉智です。いろいろ部活を見てるんですけど、小説にも興味があって、見に来てみました』


 男子生徒はそう名乗って、俺を含めた部員たちに笑いかける。

 蠱惑的な笑みだった。自分で訳も分からないままに、心惹かれる。


 心惹かれたのは俺だけではないようで、周囲の先輩たちの表情をうかがうと彼らもみな等しくわずかに呆けたような、でもまだ理性を残しているような表情をしていた。


『ここでは普段どんな活動をしているんですか?』


 周りの人間が彼の笑顔に呆ける。

 彼にとってそれはいつものことだからだろうか、気にも留めていないように話を続ける。


『普段はそれぞれマイペースに活動してるよ。まあ、定期的に冊子を出してるんだけど、それに間に合いさえすれば大丈夫かな……』


 それがこの部活の実情らしかった。

 本気で小説をやりたい俺とは違うスタイルだが、ほかに行く当てもなく、少しでも役に立てばとこの部活を選んだ。


『じゃあ、活動自体は緩めって感じなんですか?』


 佐倉は、綻んだ表情のまま確認した。彼がどのような印象を抱いているのか判別もできないままに、先輩は首肯する。


『すごくいいところなんですけど、ほかにもいくつかいい部活があるので……迷います』


『そっか。ほら、もう入った一年生の子もいるからさ、その子とちょっと話してみたら?』


 文芸部室を後にしそうだった佐倉を引き留めるため先輩が指名したのは、俺だった。

 現時点で文芸部の新入部員、俺一人だから。


『あ、同じクラスの子だよね。名前なんだっけ』


『佐藤歩夢。よろしく』


 少し素っ気なく返す俺を見つめる佐倉の表情は、妙な色気を帯びていた。


『歩夢はなんで文芸部に入ったの?』


 そう問われて、答えに迷う。


 もちろん昔から小説家になることを目指していたからではあるのだが、それはほぼ初対面に等しい相手に突然話すような内容ではなかった。


 だからと言って、数ある部活の中から文芸部を選んだり理由をほかに探せと言われても、思い当たる節は決して多くない。


『……小説好きだから』


 結果的に口から飛び出た答えは、よく考えずとも当たり前の理由で、味気ない答えだった。


『僕も結構小説好きなんだよねえ。読む方? 書く方? 文芸部に入るってことは書く方にも興味あるんだろうけど』


 佐倉の社交性は留まるところを知らず、容赦も遠慮もなく俺を問い詰めた。


 しかし、不思議と不快ではなかったのは、人の感情を見極めているからだろう。それが意識的なことなのか、無意識のことなのかは判然としないけれど。


『読む方も書く方も好きだよ。ずっと』


 簡潔な俺の返答に、佐倉は小説みたいだって言って笑った。




 明かりのついた電灯の下で考える。


 智は、どうしてあれから俺と仲良くなろうと思ったのだろうか。

 しかし、このことは多分一人で考えてもどうしようもなくて、明日学校に行ったときに考えよう、と思う。


 気まずい別れ方をしてしまったから、明日自然に話せるかはわからないけど。


「どうして俺と仲良くなろうと思ったの?」


 翌朝、通学路。


 歩いていた俺に智が声をかけるところから会話が始まり、そろそろ校門が見えてくるというところで俺は智に尋ねた。


「歩夢には、夢があるように見えたからね」


 いつになく真剣な表情になって彼が言った。彼は真剣な表情をしていても、笑っているという印象が張り付くような人だ。


 ……やはり彼は、本質を突いたことを言う。


「夢……。当時からわかってたのか?」


 智が俺を頻繁に遊びに誘うようになったのは、俺が夢のことを打ち明けるより前のことだ。


 そもそも俺が小説家を目指していると打ち明けたのは、智と仲が良くて、一番信頼できるやつだったからだ。


「仲良くなってからはよく小説の話してたじゃん。そもそも、最初に会った時から覚悟の決まったやつだって思ってたし」


 仲良くなってからの話は、仲良くなった理由としては無効では?

 そう思ったが、初対面の時から何となくその雰囲気は感じ取られていたらしい。


「でも、どうして夢があるから仲良くなろうって発想になったんだ?」


「うーん……。直接の理由だけ聞くか、今の考えを持つことになったルーツから聞くか。どっちがいい?」


 それは、佐倉が滅多に行わない「自己開示」の機会らしかった。

 俺は迷う間もなく、後者を選択する。


「小学校の……中学年くらいから、かな。僕は漠然と、曲を書きたいと思っていたんだ」


 それからの話は、佐倉の人生をなぞったもの、と言っても過言ではなかった。


 漠然と曲を書きたいと思っていた小学校中学年。その頃から行動力のあった佐倉は、小学校高学年になる時には実際に曲を書き始めていた。


 最初は上手くできない中試行錯誤するのが楽しかったらしい。気づけば始めたての頃より幾分も良い曲を書けるようになった。上手くできるようになった自分に自信を抱いて、いつか楽曲制作を仕事にしたいと、そう思うようになった。


「教室着いちゃったね。ここから先の話は、またあとで」


 彼は、初めて文芸部室に現れた時のような蠱惑的な笑みを浮かべて、自身の席に着いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る