冷徹非情な『氷の皇帝』を溶かせるのは、世界で私だけのようです
伝福 翠人
無能王女と聖女の妹
ひび割れた天井の染みを、私は何度数えただろうか。
冷たい空気が、ろくに手入れもされていない石造りの部屋に満ちている。アストリア魔法王国の王女である私の部屋だというのに、暖房の魔導具に火が入ることは久しくない。
国全体が「魔力枯渇」に喘いでいるのだ。王族とはいえ、優先順位というものがある。
そして、「魔力ゼロ」の私は、その優先順位の最底辺にいる。
「……寒い」
思わずこぼれた白い息が、空気に溶けて消えた。
まるで、最初から存在しなかったかのように。
私のようだ、と自嘲する。
この国では、魔法の優劣が身分を決める。王族に生まれながら、聖魔法どころか、どんな魔法の才能も持たずに生まれた私――エリアーナ・フォン・アストリアは、「王家の恥」「無能」と呼ばれ続けて十九年が経った。
ぎしり、とベッドから軋む音がして、私は慌てて身を起こす。
古い木製の床が、私の体重ですら悲鳴を上げる。これでも王女の居室だというのだから、笑ってしまう。まあ、実際に声に出して笑っている者たちもいるが。
「ご覧なさい、また『埃かぶり姫』が起きてきたわ」
「本当に。あんな方が王族だなんて、アストリアの恥だわ」
部屋の外、廊下を通り過ぎる侍女たちのひそひそ話は、壁などないかのように私の耳に届く。彼女たちは隠そうとすらしない。魔力ゼロの私には、防音の結界魔法ひとつ張れないことを知っているからだ。
私は息を殺し、彼女たちが通り過ぎるのを待つ。
影。
それが、この王城での私の立ち位置だった。
食事も、いつも冷え切ったものが部屋の前に置かれているだけ。王族の食卓に、私の席が用意されなくなってから、もう何年になるだろうか。
そんな私の対極にいるのが、妹のリリアンだ。
彼女は完璧だった。
豊かな魔力を持ち、幼くして「聖女」候補と呼ばれるほどの聖魔法の使い手。輝くような金髪と、慈愛に満ちた(ように見える)笑み。父である国王も、臣下も、国民も、誰もが彼女を愛している。
彼女は光。そして、私は影。
一度だけ、幼い頃に彼女に尋ねたことがある。
「リリアン。どうして私は、みんなと同じようにできないのかな」
リリアンは、人形のように完璧な顔で、小首を傾げた。
そして、花が咲くように笑って、こう言ったのだ。
「お姉様は『失敗作』だからですわ。でも、ご安心あそばせ? わたくしが『聖女』として、お姉様の罪も浄化してさしあげますから」
あの時の、虫けらを見るような目。
あれこそが、彼女の本質だ。
そのリリアンが、今日もきらびやかなドレスを着て、騎士団の護衛と共に中庭を歩いているのが窓から見えた。彼女の周りだけ、この衰退しつつある国が嘘のように華やいでいる。
私は、そんな彼女の姿から逃げるように、埃っぽい自室のカーテンを引いた。
私に価値はない。
私に意味はない。
このまま、誰にも気づかれず、消えてしまえたら。
そればかりを願って生きてきた。
――コン、コン。
その日の午後、私の日常(という名の諦観)は、乾いたノックの音によって破られた。
ドアを開けると、そこに立っていたのは、いつも私を侮蔑の目で見下す父王付きの侍従だった。
彼が私に直接用件を伝えに来るなど、前代未聞だ。
いつもなら、食事を運んでくる下働きの侍女が、紙切れを放り投げてよこすだけなのに。
「……なにか?」
私は喉に張り付いた声を、なんとか絞り出す。
侍従は、まるで汚物でも見るかのように眉をひそめ、そして信じられない言葉を口にした。
「エリアーナ王女。たった今、国王陛下より『緊急の王族会議』へのご召集が下りました」
「王族会議……? 私が? リリアンではなくて?」
頭が追いつかない。
国の重要事を決める会議に、私が呼ばれる? あの「聖女」のリリアンではなく?
あり得ない。
侍従は、私の混乱を嘲笑うかのように、冷たく言い放った。
「いいえ。――リリアン王女ではなく、エリアーナ王女、あなたお一人に、です」
「……え?」
「『お前が最初で最後の役に立つ時が来た』と。至急、謁見の間へ」
血の気が、足先から急速に引いていくのが分かった。
良いことであるはずが、万に一つもない。
私、一人だけ?
役に立つ、時?
それは、私が最も恐れていた言葉だった。
王族としての価値がない私が、唯一「役に立てる」方法。
それは、ろくでもない「何かの生贄」になること以外、あり得ないのだから。
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