瞳に映るその景色

十六夜 水明

瞳に映るその景色

「はぁ…………」

 深く吸った空気を、そのままため息にして吐き出した。埃っぽくて少し乾燥した空気は、教室の6分の1ほどのサイズの部室に充満していた。

 テーブルの上にはこれまで部員が撮り溜めた数多あまたの写真が散らばっている。そんな中、坂本さかもと りんはそれらの写真を次から次へと写真フォルダーの中へ差し込むという単純作業に徹していた。

「そんなでっかいため息ついてどうしたんだ?」

崎見さきみ先輩……」

 そんな彼女と一緒作業をしていたのは、高2の崎見さきみ 颯人はやとだった。彼は凛が写真を入れ終えた写真フォルダーをキズがあちこちについている年季の入った棚へと片っ端から並べる作業をしている。

「俺でよかったら何か聞こうか?」

「いいんですかぁ〜」

「仕方ない、優しい先輩が聞いてやろうではないか」

 胸をポンと叩いて自信ありげに言ってくる姿は大分心許ないが、今、凛にとっては聞いてもらえるだけでも十分だった。

「実は……」

 そうしてポツポツと凛は語り始めた。

 何をここまで思い悩んでいるのかというと写真部と兼部していた『テニス部を辞めた』ことである。

 現在、高校1年。生まれて初めて、最短で何かを辞める、という経験だった。

 それまでは、中学のテニス部にしても幼稚園やそこらから習っている書道やピアノにしたって辛くたってなんだって食らいついて続けてきた。

 勿論、高校でもテニス部に入ったし、3年の夏の大会まで少し辛くても楽しく続ける予定だった。そのはずだった。

 そんな綺麗ごとをほざいていられたのは大体9月の末頃までだった。原因は自分が進学した学校が思っていたよりも進学校であったこと。そして、高校運動部の活動の不確定さを見誤ったこと。

 入部当初は、練習も平日の学校終わりのみで練習試合も月に1回あるかないか、と聞いていたのに蓋を開いてみたら、休日も急に試合や大会、練習が入るか全くわからないあまりにも融通が聞かないものだった。加えて学校のあまりにも多い課題の量。正直、ありえないと思った。

 だから辞めた。続けられないと思ったし、趣味でずっと続けている写真部の方をおざなりにしてしまう、テニス部にいても本気で取り組んでいる子たちに迷惑をかけてしまう、そう思ったのだ。

「まぁ、こんな感じです」

 取り敢えず一段落、と凛は息をついた。

「なぁ。よくわからないんだが」

 結局何を悩んでいるんだ? と崎見は訝しげに聞く。

「……察してくださいよ。要は、本当に部活を辞めてよかったのかってことです」

「よかったんじゃないのか?」

 生活に余裕も出来て、と言う崎見に対して凛は、そんな簡単な話じゃないんです、と言い返した。

「結局、部活を辞めて余裕は出来たんですけど。逆に他の事もなあなあになってしまった気がして、自分はこのままでいいのかなって」

 心配になるんです、と凛は手をとめる。丁度、テーブルの上の写真もなくなっていた。

「せっかく勉強や他のことを頑張りたくて辞めたっていうのに、実際に辞めてもなかなか切り替えられなくて。本当に辞めた意味があったのか? ってかなり悩んで出した決断を疑ってしまうんです」

「ってことは、何かしっかりとした“軸”が決まれば解決するんじゃないか?」

「“軸”……ですか?」

 同じく崎見もフォルダーを棚に仕舞いきったようだ。

「そう“軸”」

 そう言って、振り返った崎見の瞳は太陽が宿ったようにきらきらと輝いていた。

「軸って言っても何があるんです?」

 先輩にもあるんですか? 、と半分疑いの目を向ける凛に対して崎見は、勿論、と満面の笑みになった。

「俺の“軸”はね“写真家になる”って夢なんだよ」

「夢……ですか」

「別に夢じゃなくたっていいんだよ。行きたい大学だっていい。ただ、こうなりたい、とか何か出来るようになりたいっていう気持ちが“軸”になるんだと思う。俺だって根底には、この世の美しいものを、見て、感じて、記録に収めたいって想いがある」

「……」

「なんだよ」

 語るだけ語った崎見を凛は呆れた目で見ていた。

「いや、文系の人ってやたらと語彙が多いから凄いこと言ってる風になるんだな、と思いまして」

「それ失礼すぎるだろ。てか、坂本も文系じゃないか」

「まぁ、そうですけど」

「そろそろ俺は帰るぞ。片付け終わったし」

「あ、私も帰りますよ」

 そんな軽口を叩き合いながら、帰宅する準備をしていたらいつの間にか6時になっていた。

 部室から出ると、12月上旬ということもあり山に囲まれているせいか辺りは暗闇に包まれていた。露出している顔と手に北風はまるで突き刺すように吹き付けた。

「なぁ、坂本。冬休み暇してるよな?」

「まぁ課題はありますが忙しいわけではなので」

 部室棟の外階段を下りている時、ふと何か思ったのか静寂を破り崎見が後ろを歩いている凛に振り返った。

「じゃあ、坂本の冬休みの1日を俺にくれないか?」

「……?」

 突然の提案に凛は驚きつつも存外冷静だった。なんたってあの写真馬鹿である崎見が、デートに誘うような人間ではないと知っているからだ。崎見は、凛が所属している大体の部員が幽霊部員である写真部で唯一活動らしい活動をしている人物なのだ。

「1日っていっても何するんです?」

「写真を取りに行くんだよ。何かわかるかもしれないだろう?」

 いい場所があるんだ、と崎見はすでに行く気満々である。

「わからないかもしれないですけどね」

「そんなこと言わない、もっとポジティブに考えなきゃ」

 その時、互いに軽口を叩く2人の頭上に極小のダイアモンドを転がしたようにいくつかの星が瞬いている中、東から北へと1つの流れ星が尾を引いて流れていった。


 なんだかんだ結局、凛は崎見に流されるまま12月27日に学校から少し離れた山の中に写真を取りに行くことになった。

 当日朝、まだ太陽が昇ってくる気配さえしない午前5時。学校の正門前に2人の姿があった。

「なんでこんなにクッソ早いんですか? 滅茶苦茶寒いんですけど」

 極力厚着をしてきたつもりだが、やはり寒いものは寒い。服を着ているのを忘れてしまうぐらいにそこら一帯は冷え込んでいた。

「あれ、坂本ったら機嫌悪いな」

 この時間じゃないと間に合わないんだよ、と凛の言葉を流した崎見は大きな黒いリュックサックをガサゴソと漁っていた。

「なにしてるんです?」

「カメラの準備」

 そう言って取り出した一眼レフカメラを丁寧に詰め直す。一方、凛はスマホで撮影する系の写真部のため、崎見が一体何をしているのかサッパリだった。

「そんなんで大丈夫なのか? これから40分くらい歩くっていうのに」

「え、歩いていくんですか? バスとかタクシーじゃないんですか?」

 場所こそ聞いていたものの、まさか歩きとは思っていなかった凛はこれでもかという程顔を引きつらせた。


 触れる空気は、肌を拒絶するように体温を奪っていく。少しづつ東側が白んできた空は、まだまだよるであることを謳っている。先程まで歩いていたアスファルトの道路と違い、今、2人はまさに森の中と言える山道を登っていた。

 白い息を盛んに吐き出して足を動かしている凛の体力はもう限界を迎えていた。

「まだ着かないんですか?」

「もう少しだ、あと10メートルくらい登ったら着くから」

 霜が降りて滑りやすくなっているから気を付けろよ、と声をかける崎見も肩で息をしながら少しづく山を登っていく。

「あ! やっと……!!」

「あぁ、着いたぞ」

 山頂から見るその景色は凛の知らない景色だった。

 吐き出した白い息はたちまち消え去り、するどい寒さと寂しさだけが残った。あの日の選択は正しかったのだろうか……そのことだけを今日まで考え続けてきた。

 気を紛らわせるようにマフラーをきつく締める。空は曇りがかっていて、まだまだ暗く、とても綺麗とは呼べなかった。

「たったのこれだけですか?」

 確かに、ここまで頑張って登ってきてやっと臨めた新しい世界ではある。だが、頑張って登ったという付加価値をつけたとしても余りにも特別と言うには程遠かった。

「まぁ、待ってみなよ。今日は特に当たりの日だぞ」

 そう言って崎見はバックのサイドポケットから年代物と見られる懐中時計を取り出してカチカチと鳴る秒針を目で追った。

「まだ時間あるし、一息つこうか。温かい飲み物いれるよ」

「あ、ありがとうございます」

 本当に寒くて、と凛は近くにあった岩に座り礼を言いながらコーヒーが注がれたカップを受け取った。

「……ッ苦」

「あれ、もしかしてコーヒー初めてだった?」

「まぁ……そうですけど。子供舌で悪かったですね」

 馬鹿にされている気がして、少しぶっきらぼうに返した。

「いや、バカにしたわけじゃなかったんだけどなぁ……。まぁ、これもまた新しい体験なんじゃないのか?」

 そう言って、得意げに崎見は砂糖を取り出し凛へと渡した。

「ありがとうございます」

「いや、別に。やっぱコーヒーには砂糖がないと。ほら、それが飲み終わったら撮影の準備するから」 

 急いで飲んで、と崎見は立ち上がりカメラを取り出して準備を始めた。


「あの……まだですか?」

「うん、まだだね。今日はちょっと遅れてるみたいだ」

 そう言って撮影スポットに15分ほど張り込んでいるが、太陽は昇ってこないし空も薄っすら曇っている。ここまで来て悪いが、いい写真が撮れるとは思えなかった。

「もう帰りません? 天気悪いし」

「大丈夫、もう6時40分だから多分あと2分くらいだよ」

 だからもう少し我慢して、と崎見は再び懐中時計の針を追う。

 カチカチ、カチカチ――――。と、辺りには秒針の音のみが鳴り広がっていく。

 そして、時間を追うごとに東の空がだんだんと光り、同時に漆黒の空は暗闇と共に西の空へと追いやられていく。

 カチカチ、カチカチ――。

「あとちょっと、5秒前。5、4……」

 懐中時計の秒針と同時に崎見はカウントダウンをする。

「え、なんでカウントダウン……?」

「3、2、1……」

 困惑する凛を無視し、崎見はカウントダウンを続けた。

「……0ゼロ、ほら東の空を見てみな」

 そう言って崎見は東の方角を指差した。

「見てみなって言われても、天気、……が…………」

 文句を言いながら言われるままに東の景色をみた凛は言葉を失った。

「なん、で……」

 そんな凛を尻目に、崎見は直ぐに懐中時計をリュックに仕舞い、すぐさま一眼レフカメラを取り出して景色に向かって構えた。

 パシャッ、パシャッ――。とその音だけが残る。

 一方、凛は目の前の光景から目が離せなかった。


 顔を出した真白な太陽の周りに群がるように点在する雲は陽の光を浴び、ほんのりと柔らかな金色に色づいていた。雲の間から望むことができる深い留紺とまりこんから東雲しののめの薄紅へと色を変化させている空の様は、まるで絹でできた反物を転がしたかのようだ。

 今まで雲だと思い込んでいたものは薄い霧だったらしい。空気中で遊んでいる水蒸気が光を取り込み空の色を写すことによってキラキラと光彩を放っていた。一方地上は、昨晩木々に降りかかったであろう霜が光を反射することによって純白の雪のように輝いていた。その中で山と山の間を流れる川は凍りつき朝日を浴びて辺りを明るく照らしていた。


 そこには数分前までは考えられないような、まさにこの世とは思えない絶景が広がっていた。

「ここは冬の撮影スポットの穴場なんだ」

 高1の時に見つけたんだ、と自慢げに言う崎見はいつも通りだったが朝日を浴びているせいか、いつもより彼の笑顔が輝いているように見える。

「……私、この景色を見るために生まれてきたのかもしれません」

「そんな大げさな。でも、まぁ、そうなのかもしれないなぁ」

 瞳を潤ませながらそれでもなお景色に目を奪われている凛に崎見は、なぁ、坂本、と言いながらハンカチを渡した。

「なんですか?」

 それに対して、ありがとうございます、と言いながら凛もハンカチを受けった。

「俺はさ、と思うんだよ」

 そう言った崎見は、目の前の光景を目に焼き付けるが如く見据えていた。

「先輩がそんな哲学じみた事をいうとは思いませんでした。でも、そうですね……」

 ふふ、と笑いながらも凛は崎見の考えに賛同した。そう思えるほど、この光景は価値があるように感じた。

「ねぇ、先輩。先輩の夢、私も目指していいですか?」

「写真家になるって夢?」

「はい。でも私は先輩と違って記録に収めるんじゃなくて、この景色をより多くの人に写真を通して感じてほしいんです」

 だからパクリじゃないですよ? と釘を差す。

「いいんじゃないか? まぁ、どちらにせよ俺は先輩だな」

 そう言って、崎見は東の景色を背にし荷物の方へと歩いていく。

「良かったな、見つかったようで」

「はい、お陰様で」

 そう言って凛も崎見のほうを紅潮した顔の笑みで振り返った。

 その時、太陽は白を基調とした金の光を大地に降り注がせながら2人の頭上へと昇っている最中であった。


「“――最後に、皆さんに人生で大切な言葉を送ろうと思います。『人間は美しいこの世界を見るために生まれてくる。』これは、私の高校時代の先輩が説いた言葉です。世界は美しい。人間が生きるということの本質は、美しいこの世界を見て、感じることにあるのではないでしょうか。”」

 春の木漏れ日が降り注ぐ教室内に、言葉の余韻が残る。

「はい、川原さん読んでくれてありがとう。では本文の解説をしていきます」

 黒板の前に立つ男性教師は、現国の教科書を見ながら板書を始めた。

「筆者である坂本 凛さんは写真人生論を唱えることで世界的に有名な写真家です。今は撮影のためにヨーロッパを巡っているんです。現在28歳で、ちなみにこの文章を書いたのは23歳の時なんですよ」

 君たちとは12歳差、先生とは1歳差ですね、とチョークを置く。

「あ、そうそう彼女は旧姓で活動しているんですよ。それに、ここの高校出身なんです」

 ではここまでで質問がある人はいますか? 、とずっと静かに板書をノートへ写し続けていた生徒らに問いかけた。

「……はい」

 少しの沈黙の末、1人の生徒が挙手をした。

「はい、菅谷さん」

「なんで先生……、はそんなにも筆者の坂本 凛について詳しいんですか?」

「……」

 まさかされるとは思っていなかった質問で崎見は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

「さて、なんでだろうね。写真部の子は分かるんじゃないのかな?」

 そう言って崎見は、銀の結婚指輪が薬指にはめられている左手を口元に添えて笑った。


 同じ時分、部室棟2階にある写真部の部室には教室と同じように温かい光が窓から差していた。

 光が当たる壁から少し離れたキズだらけの棚の上に2つの木枠の写真立てが置かれている。

 2つの写真はそれぞれ別々の場所のはずなのに、どこか似た雰囲気を出していた。


【瞳に映るその景色•完】

 


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