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「次は藤原、場所は第四。よっしゃ了解!」修が手を叩く。昼休みも半ば過ぎた頃。一同は彼の席に集まって次の作戦について打合わせていた。修は「あのクソジジイ。偉そうにしやがって。あれが教育者の器かよ」と呪い散らし、それに他の面子もコクコクと首肯する。「私達が罰を与えてあげないと。赤点取った子に劣ってるとか言って。紙一枚で人を見限るなんて、低レベルはどっちなの」なんて、美幸もシャープペンを回しながら毒づいている。
「それな。で~、あと一人か。誰が奴をバラすんですか~?」
修がアルフォートを齧りながら最後の役者を募った。
「ワシや、ワシが出る。あの腐れ半魚人のタマ取らねぇことにゃ気が済まんわ」
「……え?」ドスの利いた声が被さる。その背後で頑丈な体躯の
「おお頼もしいね。よし翼、仕上げだからしっかりとな。俺も手伝うから、ご安心を」
「任せとけ」翼は偉丈夫特有の皺を眉に刻み頷いた。それを側で見ていた秀才の
「いいねえ、目標があるっていうのは。イキイキしてきちゃうよね~」
今回の
――藤原教諭が八年前にこの御神山高校に着任したのには然るべき理由があり、彼は態度の悪い教員でありながら問題児に対する物怖じしない態度が評価され名の通った存在だった。彼の中にあるのは情熱ではなく生まれ持った攻撃性のみだが、それが必要悪、解毒する為のあえての劇薬として幸運にも(滑稽にも)功を奏した。当時の御神山高校の校内環境は文字通り劣悪を極め、対策に困った学校が腕っ節の良い
元暴走族の訳アリ体育教師・
「おい、かかって来いや。ほら、どないしたんじゃ」
学年を仕切るボス格の
怖気を奮った他の二人は神妙に
竜司は壁際に佇む小柄な男子を見やり「達也。ベルトの準備は出来てるかな」と問うた。柔らかな微笑みを湛える
「うん。楽勝だったよ。十分でできちゃった」彼は猫のような容姿に似合う柔らかい声で応えた。竜司の顔に笑みが迸る。役者は揃った。
*
四月二十九日、午後八時四十二分。
藤原教諭は顧問を務めるバレー部員全員を帰し、事務作業をやっつけ、駐車場の愛車に向かう。満月に照らされて主人を待つのはトヨタ初代イプサム。数年前に購入した安いミニバン。そのドアを開けた瞬間、向かいの闇で微かな物音がした。「あぁ……?」しばらく闇を見つめるも、猫か何かだろうと干渉せず、すぐさま走り去った。車が見えなくなった途端、居並ぶ駐車車両の間から二つの影が現れた。男女のペアだ。男は携帯電話を取り出して耳に当てる――ツーコール半で繋がる。「芝浦か?こっちはOKじゃ。任務完了」そう告げると、すぐに電話を切った。女の手を引いて颯爽と校門を抜ける。
第四交差点の北方八十m地点にあるバス停で、竜司は満足げに笑窪をつくった。
二つ折りのガラケーを開き、修にコールする。ツーコール半で修が出た。
📶 おっす!俺らは中村書店の前だ。もうすぐ来ると思うぜ! 📶
受話口から軽躁な声が飛び出し、鼓膜を悸かせた。修は普段から感情の起伏が激しく、露骨に態度が変わったり、気分が急激に上下する事がままあった。
「百パー徐行してくると踏んでおけよ。その本屋からここまでは長い一本道だ。いいか、打ち合わせ通り五十キロは出すようにな」対する竜司は、落ち着いて諭すように話した。
📶 分かってるって!でも、もしも強引に止まろうとしたらどうすりゃいい? 📶
「別の手も用意してあるから。そこは心配いらないよ」
📶 りょーかい!あぁ~ワクワクするなぁ!ははは 📶
「……あのなぁ、浮かれてやるのならやめとけ。失敗のもとだから……健闘を祈る」
浮き足だった修に釘を刺し、電話を切った。溜息が出る。修――あのテンションは危険だ。もし今後もこのような事が続くなら、泣いて馬謖を斬るよりないか――否、待てよ。彼を大事な仲間の一人として迎え入れたのは他でもない、自分じゃないか。ブルジョアのように一方的に首切りするのも不条理だ。希望の芽は、同時に悩みの種でもあるものだ。
「ねえ、アレじゃない?」
視線を上げる。黄ばんだ前照灯を照らし、ワインレッドとクリームに塗り分けられた古いミニバンが現れた。「よっしゃあ、いざ、突撃ぃ!」修がフルフェイスのメットを被り、カワサキ・ゼファーの機関に火を入れた。後方の二台も続く。車が右折するのを見届け、闇に躍り出た。
――
闘牛士には、これら三通りの役者がいる。
彼ら三人は、槍士のいる場所へ牛を導く闘牛助士のポジション。
総重量一・四t。鉄の猛牛を転がすという偉業を、成し遂げろ――
「おっかしいの~。何やねんこれぁ」
藤原教諭は愛車の不調に苛立ちながらも、時速三十キロの徐行運転に徹した。
ブレーキの効きが突然悪くなった。しかも踏む度に悪くなる気もする。ふとサイドミラーを覗くと、人魂のように揺らぐ光が映っていた。三台は車のすぐ後ろに付けた。空吹かし等の煽りはなく、蛇行するだけの奇行種だ。「なんのつもりやねん、クソ、こんな時にぃ!」
中途半端な挑発は、不安や恐怖よりも怒りを掻き立てた。「ここらで暴走族なんか聞かへんぞ。余所者やろ、これ」教諭は窓を開けると身を乗り出し、三人をしこたま怒鳴りつけた。
「おいコルァ!!おどれら、ええ加減にせえ。人をおちょくって何が楽しい!!悪ふざけもたいがいにしとかんかいっ!!」
静かに走る三台にはしっかりと届いた。
「先生、喚くのもこれで最後ですよ。死んでからじゃ、何も言えないから。死人に口無しって言葉、ご存じですよね」
修は夜風に呪詛を唄う。豊潤なる
後方から甲高い回転音が追る。教諭はルームミラーを覗き、戦慄する。フルフェイスの二人乗りの原付が――後ろに乗る人物の手には長い鉄パイプ――渦巻く思考を濾し取る暇は微塵も与えず、一撃が下る。ゴボン!という音が響く。パイプはルーフの右後部にヒットした。「な、なにを、何をしとる何を」まさか?名前も顔も知らない都会のチンピラにオモチャにされている?だが容赦無く二度目の叩撃が下る。ゴボ バン ゴン 痛々しい音が数珠つなぎに響き渡る。
必死に蛇行するが、相手は飢えた
「なんやなんや、こいつらなんのつもりじゃ!」
遂に右後部の窓を割られた。
「やめよ、やめんかふざけんなぁ!!後で泣き目見るぞワレ!!」車内にある物を手当たり次第に投げつける。空き缶、クッション、スポーツ誌――しかし全く手応えがない。ふいに原付が横並びになったかと思うと、運転席目がけて打撃した。ガバン!ピラーが拉げ、砕けた雨除けが教諭の肩に降り注ぐ。
男女の
――あかん。殺られる――
アクセルを目一杯踏み込まれた車は猛り狂い、尻を下げて雄牛のように加速を始める。
前方に蜃気楼よろしく浮かび上がったバス停。竜司の心は沸騰した。いよいよショーはクライマックスを迎える。彼はベンチの陰に身を隠し、路上に投げたベルトに結ばれたロープをしっかり握り締めて車を睨む。加速してきた車は狙い通り、優に七、八十キロは出ていそうだ。
――さあ、美味しくなれ――
バァン バァン グスッゴボゴボゴボォッ
凄まじい炸裂音が轟き、火花が散る。素早くロープを手繰り寄せ、狩猟具を撤去。
「さすが。いい仕事するな」後からやって来た四台の単車と共に終幕を愉しむ事にした。
「うわ、やめ、やめて、助けてくれぇぇえええええええ」
その頃、教諭は何かに向かって命乞いをしていた。翻弄と叫喚の中で覗き込むバックミラーに人の姿はない。なぜ?脳がメルトダウンを起こす。前方には赤信号。「止まれへん……」丹田が萎える。力の限りブレーキを踏み込む。頼みの綱のペダルは スコッ という無気力な音を残し、フロアマットから二度と帰って来なかった。「はい?」このままトンネルまで行けないか?そうだ、トンネルの壁に車体を擦り付ければ止まれる……追い詰められた人間や動物が、遺伝子の限界を超えた力を発揮する効果を『デッドライン・ラッシュ』と名付けたコーネリウス博士は、まさか生徒の私的な恨みを買い、牛のように無様に追い立てられた高校教諭にこの反応が起ころうなんて思ってもみなかっただろう。脳科学も甘かった、脇からトラックが飛び出してきた。
「はぎゃぁらあああああああああああああああああああああああああああああああああ」
左へ舵を切ったのが運のツキ。車は壮絶な横滑りを起こして縁石に激突し、弾みで右斜め前方に横転した。下り坂で鉄の牛は止まらず、大車輪の如く宙返る。月明かりの中で輪郭は回転と共に拉げ、微速前進するトラックの鼻先を横切り電柱に突き刺さって止まった。
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