第6話 ギルドの喧騒と七つの影

 翌朝、体中が見事に筋肉痛だった。


「……いてて」


 ベッドから起き上がるだけで、この有様だ。

 まあ、浅層とはいえボス戦をやったんだから当然か。


「おはようございます……」

 ミナが眠そうな目をこすりながら挨拶してくる。


「おー、レオンおはよー! 生きてるかー?」

 ガイアスはなぜか元気だ。筋肉は裏切らないらしい。羨ましい。


「リィナちゃん、まだ布団と戦闘中……」

 ミナが苦笑しながら、隣のベッドを指す。


「あと五分……あと五分だけ……」

「五分で起きたこと一度もないだろ」

 ユートが冷静に刺した。


 そんな朝からいつもの調子で――俺たちは、ギルドへと向かった。



 冒険者ギルドは、いつも以上にざわついていた。


 朝一番の依頼確認で混んでいるのは普段通りだけど、今日はそれに加えて、妙に視線を感じる。


「なあ、あれだろ?」

「おい見ろよ、《デッドライン》」

「本当に浅層ボス落としたって?」


 ひそひそ声が、耳に入ってくる。


(……完全に噂になってるな)


 受付カウンターに向かうと、見慣れた受付嬢が顔を上げて――ほんの少し、目を丸くした。


「あ、レオンさんたち。《デッドライン》の皆さん、おはようございます」


「おう! 昨日の報告、ちゃんと通ってたか?」

 ガイアスが豪快に笑う。


「ええ、もちろんです。砕石守衛の討伐確認と、第二階層攻略、正式に記録されました。改めて――Eランク昇格、おめでとうございます」


 そう言って、受付嬢が掲示板脇のランク一覧を指差す。

 確かに《デッドライン》の札は、Fの列からEの列へ移されていた。


「わぁ……本当に、上がってる……」

 ミナが感嘆の声を漏らす。


「やったぁぁぁ!! 初昇格だよみんな!」

 リィナがぴょんぴょん跳ねる。足、まだ筋肉痛じゃないのか。


「……まだEだ」

 ユートは冷静だが、その口元はわずかに緩んでいた。


 受付嬢が書類を捲りながら、俺の方を見る。


「それから……補助枠登録のレオンさん」


「はい」


「あなたの記録に、“構造視認能力による戦術補佐あり”という追記が入りました。ギルドとしても、かなり珍しいタイプの能力として注目されています」


「……そんな大したもんじゃないですけど」


 本音だ。

 俺はただ、視えているものを口にしているだけ。


 でも受付嬢は、少しだけ柔らかい笑みを浮かべて言った。


「いえ。昨日の結果を見る限り――十分、命を救える能力ですよ」


 そう言われると、さすがに悪い気はしない。



「よぉ、お前らが《デッドライン》か」


 カウンターから離れようとしたところで、横から声をかけられた。


 振り向くと、三人組の男が立っていた。

 全員、金属鎧に実戦仕様の剣。装備の質だけ見れば、俺たちより一段上だ。


「FからEになったばっかの若造が、ずいぶん派手に噂になってるじゃねぇか」

 真ん中の金髪がニヤニヤしている。


「浅層ボスくらいで騒ぎすぎなんだよなぁ。俺らなんて、二つ目の迷宮でもう中層まで行ってたぞ」

「そうそう。まあ、お前らにしては頑張った方だろうけどさ」


 いかにも“先輩風吹かせたい系”の絡み方だ。


 ガイアスが一瞬むっとした顔をしたが、すぐに笑いに変えた。


「おう、そうかよ。じゃあ今度、飲み屋で武勇伝聞かせてくれや。中層の話、参考にさせてもらうぜ」


「……は?」

 金髪が一瞬固まる。


 ユートが横で小声で言う。


「喧嘩腰になるかと思った」

「ん? 俺らまだペーペーだしよ。教えてもらえることは教えてもらったほうが得だろ?」

「ガイアスくん、そういうとこ妙に大人……」


 リィナが小さく笑う。


「まあ……調子に乗るなよ、って話だ」


 先輩パーティは、最後にそれだけ言って去っていった。


 後ろ姿を見送りながら、俺は少しだけ肩をすくめる。


(あれでも、多分悪い人たちではないんだろうな)


 ただ、俺たちが“落ちこぼれ”だってことは、ギルド中が知っている。

 そこに突然、浅層ボス撃破の報告。


 面白くないやつが出てくるのも、分からないでもない。



「さて、と。次は素材の換金だね」

 ユートが言う。


「核コア、高く売れるといいなぁ~!」

 ガイアスが期待に目を輝かせる。


「レオンくん、行こ?」

 ミナが控えめに袖をつつく。


 俺たちはギルドの奥、素材鑑定と買い取りを行っているカウンターへ向かった。


 カウンターの奥には、白い髭の老人が座っている。

 顔は皺だらけで、目だけがやたらと鋭い。


「じいさん、砕石守衛の核コア、持ってきた」

 ユートが袋を置くと、老人はちらりとこちらを見る。


「……お前さんらが例の《デッドライン》か。思ったより死んでねぇ顔してるな」


「どんな評価だよ」

 思わず突っ込んだ。


 老人はふん、と鼻を鳴らしてから、袋を開ける。

 砕石コア・浅層核を取り出し、光に透かし、魔力測定具の上に置く。


「……ほぉ」


 低い唸り声。


「どうだ? 高く売れそうか?」

 ガイアスが身を乗り出す。


「値段の心配は後だ。……レオン、だっけな」


「え? 俺ですか」


「こいつの中、どう見える?」


 いきなり指名されて、思わずコアを見つめ直す。


 橙色の核石の内部。

 砕けたはずの構造が、微かに――


(……脈打ってる?)


 一瞬だけ、小さな“七つの点”が並んだように見えた。

 星図みたいな、七角形のような、曖昧なパターン。


 すぐに消える。


「……さっき、一瞬だけ“別の配列”が見えました」


「別の配列?」

 ユートが聞き返す。


「核の表層じゃなくて……もっと奥。深層の石に近い波形というか」


 自分で言いながら、少し自信がなくなってくる。

 でも老人は「ふむ」と頷いた。


「やっぱり、視えてやがるか」


「じいさん、何か知ってるのか?」

 ガイアスが訊く。


「砕石守衛の核に、こんな“揺らぎ”が混じることは滅多にねぇよ。普通はもっと安定してる」


 老人は核石を指で軽く叩いた。


「こいつは浅層核の癖に、ちょいと深いところの“匂い”がする」


「深いところ?」

 ミナが首をかしげる。


「おう。……レオン、お前の父親、覚えてるぞ」

 老人が、急に俺の名前を呼んだ。


「……親父を?」


「ああ。物好きな男だった。七つの迷宮全部踏破しようとしてたからな」


 さらっと、とんでもないことを言われた。


「七つ……?」

 思わず聞き返す。


「聞いたことねぇか。大陸中に散らばる“七つの大迷宮”。どれも、今お前らが潜ったような浅層なんぞ比べ物にならん、本物の“地の底”だ」


 七つの大迷宮。

 別に、この世界の誰もが知っている、というほどポピュラーな話ではない。


 けど、酒場の噂で名前くらいは聞いたことがある。


「親父は、そこに行こうとしてたのか」


「行こうとしてただけじゃねぇ。いくつかは本当に潜ってた。……あいつが最後にここへ来たとき、こう言ってたぞ」


 老人は、少しだけ声を潜めた。


『七つの核を揃えれば、“迷宮そのもの”の正体に手が届く』


 ――そんな言葉。


「七つの、核……?」


「まぁ、酔っ払いの戯言かもしれん。あいつ、いつもだいたい酒が入ってたからな」


 老人はそう言って肩をすくめる。


「詳しい話を聞きたいなら、そのうちまた来な。今ここで全部しゃべる気はねぇ。……まずは、目の前の報酬とランクに慣れろ」


「……わかりました」


 老人は核石を測定具からどかし、紙に数字を書き込んだ。


「砕石コア・浅層核一つ。状態良好。買い取り――この額だ」


 提示された金額を見て、ガイアスが目をひん剥いた。


「マジかよ!? こんなに!?」

「みんなで割れば、しばらくはまともな飯が食べられますね……」

 ミナがほっとする。


「宿もワンランク上げられるかも!」

「ポーション代が先だ」

 ユートが冷静に釘をさした。


 俺は、老人の言葉が頭から離れなかった。


(七つの迷宮。七つの核。親父は、何を見ようとしてたんだ)


 ――このときはまだ、“本当に厄介な異常”が近づいているなんて、誰も思っていなかった。

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