人工メイド少女と首吊り人形

緋西 皐

1

 大学のいるかいらないかの講義が一通り済んだ水曜日の二時半頃、僕はいつものカフェに行く。常連ではない。バイトだ。今日は窓を拭かないとならないらしい。

 配膳猫型ロボットがまるで地元猫のように常連に可愛がられている。ニコニコする文字だか顔だかわからんところに、ガラスに反射した自分の顔が映る。僕の退屈なありきたりが映る。もやもやした。なぜかはわかる。僕は人間であれがロボットだからだ。僕にはあんな接客はできない。する必要もない。けれど若い心は無賃金の人でもないものに敗北しているから刺激される。窓はまるでスマホの向こうの幻想のようだ。すこぶる僕は不細工そうだ。

 冬の乾燥した、どこか灰っぽい空気をひらりひらりと踊るように青い髪が靡いた。いいや、実際に踊っていた。スキップしながらルンルンと歌っていた。僕より柔らかそうな白い肌と小さく丸いふわふわした顔、それから大きな青い瞳。高校生くらいだろうか。いや、花のようなスカートをひらめかせていた。それらしいリボンも胸元にしていた。どこからどうみても女子高校生の様子だ。

 その白い。限りなく白い。LEDじみた彼女はちょうど僕の後ろから店内を覗き込んだ。彼女の健気な可愛らしい姿が窓に反射して映る。僕はやや窓に近かったから、彼女のその唇にぶつかってしまいそうだった。忙しなく空虚な心情は反転した。僕の心はくすぐったく、真っ赤になった。

 彼女が単なる美少女ならばそうして蹲る僕を放っておいたろうが、増して彼女は優しかった。僕の肩をそれは細くか弱そうな人差し指でつんつんすると「どうかしましたかぁ?」とにこにこした。けれども僕は察した。その瞬間に賢者に戻った。だから僕は何も返さなかった。

 彼女はポニーテイルをゆらりゆらりとさせて、僕を誑かさんと訊いてきた。


 「木漏れ珈琲店ってここで合ってますか?」

 「見ての通り」

 「ありがとぉー!」


 彼女は店の鈴を鳴らした。店長はそれに似た笑顔で彼女を迎え入れた。常連も同様の気持ちだろう。猫型はやはり老朽化が酷いのか、彼女を客として案内しようとした。彼女は福笑いでできた顔のようなへんてこな顔をした。僕は苦笑した。店長の地獄耳が効いているようだ。手を仰いで僕を呼んだ。僕は猫でもなければアンドロイドでもない。バイトだ。しかしバイトだから従うのだった。

 店長はまるで自分の娘かのように彼女を紹介した。


 「彼女はコヨミだ。私が先日発注した飲食店用アンドロイドだ。そろそろ猫型も寿命だろうから奮発したぞ」

 「島村コヨミですっ! よろしくお願いしまぁーす!」彼女は飛び跳ねた。


……。

……。

……沈黙。


 「ほら、颯斗も挨拶しろ」店長は静かに怒鳴った。

 「竜崎颯斗です」僕は仕方なく挨拶した。

 「よし、じゃあコヨミに仕事教えてやって」

 「彼女はアンドロイドですよ。インプットされますよ」

 「いいから。やれって」


 僕は覇気に負けてバイトに回帰した。とりあえず、きびきびとした皴をして直立している彼女を裏へ案内した。まるで人のように歩くものだ、いや、人にしたってこうも綺麗に歩くまい。誰かがわざわざ、車輪ではなく足をつけたと想像するとぞっとする。人の形にするために無駄を取ったのだから。

 彼女は瞳に星空を浮かべたようだった。わざとらしく歩き回って色々触っていた。


 「わぁ! これが喫茶店の台所なんですね! おもしろーい!」

 「なにがだよ。適当に冷蔵庫とか電子レンジとか、そんな風なのあるから。使い方わかるだろ」

 「すいません。何を言っているかわかりません」

 「二十年前の冗談はいい。僕は掃除に戻るから」

 「ちょっと待ってくださいー!」

 「なんだよ」

 「ほんとうにわからないんですよね。これが(えっへん!)」


 僕は手を出した。説明書かあるいはサービスに繋いでくれと。けれども彼女はポンコツらしい。僕の手に手を置いてきた。それでボケっとしている。猫型ロボットに負けず劣らない、犬型ロボットのようだ。僕は「説明書だよ」と手を払うと、彼女は説明書を空に浮かべた。ホログラムのようなものである。僕は工学部ではないので仕組みは知らない。

 何度も読み返してわかった。読み間違いではなく、彼女はわざとポンコツに作られていたらしい。故障ではない、『成長していく後輩を愛でる機能! 人畜無害!』とはっきりと書いてある。人畜無能だろうが。可愛げのために効率性を下げるな。

 僕の仕事が増えた。久々の残業である。僕は彼女に一通りの仕事の内容とやり方を教えた。彼女はやはりわざと呆けていて、何度も「こうですか? こうですね! こうだ!」とウキウキしているが、全部違った。僕はどうせ丁寧に教えても無駄だろうと適当にやった。彼女は初日からケーキを焦がし、皿を三枚割った。掃除にしても箒を二本折った。僕の仕事が増えた。

 店長は煙草を吸いながらその一連を楽しそうに眺めていた。


 「これならまだ人も必要だな。今月は残業代がかさみそうだ」

 「ストライキ起こすぞ」

 「ストライキですか? それならやり方わかります!」コヨミは威勢が良かった。

 「お前働く気あるの?」僕と店長は唖然とした。


 店の珈琲の波面のように退屈な日常がやや泡立たしくなったのはこの日からだった。骨が折れそうだ。疲労骨折。

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