黒髪クール系と金髪ゆるふわ系の、湿度高めの百合

アガタ シノ

第1話 ユズリとマユリ

 朝は、言葉より気持ちが静かに流れだす。


 彼女がまだ眠っている早朝。私はそっとキッチンへ向かった。今日も、伝えられない“好き”を胸にしまったまま。


 まな板を軽くゆすぎ、包丁の具合を確かめる。一人頷くと、あとは勝手に手が動く。手早く大根を下茹でして、葉も一緒に鍋へ。塩をしておいた鮭は小麦粉を軽くまぶす。これでカリっと焼き上がる。


 付け合わせの野菜は炒めるだけ。凝った味付けはいらない。鮭は味がしっかりしてるから、箸休めくらいの薄味でいい。多分、彼女もそう思ってるから。


「ユズリー。今日も早起きだねぇー?」


 集中していたせいか、背後からの気配に気づかなかった。ふんわりとした感触が背中を包み込んだ。耳もとで少し掠れた声。ミルクのような甘い匂い。彼女の金髪が視界の端にふわりと揺れる。


「ちょっと。びっくりさせないでよ、マユリ」

「ん〜」


 マユリはそのまま大型犬みたいに頬ずりしてくる。彼女の手を優しく解いて、やんわりと剥がす。同居してから毎朝こうだ。困るけど、嫌じゃない。


「もうすぐできるよ。大人しく座ってて」

「ふあい」


 炊きたてのご飯。大根の味噌汁。鮭のムニエル。ささやかな野菜。温かな朝食の湯気が私とマユリを包み込む。


「「いただきます」」


 ささやかで、小さな幸せ。いつも通りの日常。


――私はそれだけで十分だった。でも、彼女はそうじゃなかった。



「ユズリは今日も可愛いね。黒髪も綺麗だし、立ち姿は大和撫子って感じ」

「そ、そうかな。ありがとう」


 褒められるのはいつになっても慣れない。そんな気持ちを知らずに、マユリは私にまっすぐな気持ちを贈ってくれる。言葉にして気持ちを表すマユリは、私と正反対。


 私からすると、マユリの方が可愛い。金髪が似合ってる。柔らかい表情をみているだけでこっちも嬉しくなる。全体的にふわふわしててファッションや音楽にも詳しい。誰が見ても、今どきの可愛い女の子だ。そんな溢れる想いを私も言葉にしようとする。


「マユリも……」

「んー?」


 マユリも可愛いよ、と言いかけて「なんでもない」と被りを振る。褒めるのに慣れてないせいか、うまく口に出来ない。昔からそうだった。伝えようとすると喉の奥で言葉が引っかかった。


 でも、言わなくてもマユリだったら分かってくれるはずだ。私たちの付き合いは長いから直接伝えなくても大丈夫。



「この映画めちゃくちゃ怖いんだってさー」


 夕食後は、一緒に映画やドラマを見ることが多い。今日はホラー映画をチョイスしたマユリ。大抵の場合、彼女の好みに合わせて私も付き合う。


「ホラー苦手なのに、よくこういうの見たがるよね」

「怖いの苦手!だけどちょっと見たい!って感じなんだよ」

「あー、なんとなくわかるかも」


 一緒に映画を見てる最中、マユリはずっと手を繋いでくる。ホラー映画だと、緊迫した場面でマユリの手に少し力が入る。


 私はそのたびに笑いそうになって、それを見たマユリは「何笑ってるの」って怒ってくる。だから「ううん、怖すぎて笑ってた」って誤魔化す。


 どうでもいい嘘を交わして、一緒にご飯を食べて……。そういう小さな積み重ねが幸せなんだと思っていた。そんな日常がずっと続けばいい。


 でも、いつまでもずっと続くというのは難しいことのようだ。



「ユズリはさ、本当に私のことが好きなの?」


 それは、いつも通り二人でドラマを見ていた時だった。テレビの画面を見ながら、ふとマユリが呟いたのだ。


「え?……急にどうしたの?」


 思いもよらない言葉に一瞬、思考が真っ白になる。何か嫌なことをしただろうか?まさか、別の誰か?色々な想像が頭を駆け巡った。


「どうなの?ユズリは私のこと好き?」

「好き、だよ。当たり前だよ……」


 喉からやっとのことで出た言葉は、ひどく不格好で、明らかに言い慣れてない。同時に、口の中にざらつきを覚えた。


「そっか、そうだよね」

「ど、どうかしたの?何かあった?」

「ううん。大したことないよ。ただ」


 マユリは今まで見せたことのないような、何とも言えないような表情をしていた。


「昔見たドラマに"好きだったら言葉にできるはずだ"って台詞があって……。なんか思い出しちゃった」


 それは私が口に出来ず、彼女は容易に出来ること。うまく表現できず、ずっと私が負い目に感じていること。だから後に続く言葉も大体察しがついた。


「ユズリって自分から私に好きって言ってくれないよね」


 その言葉は私の胸を大きく抉った。今までできなかったことを、今からやって欲しいと願われても難しい。私はそうやって生きてきたのだから。

 


 ある日、マユリは夕飯の時間に帰ってこなかった。


 しばらく大人しく待っていたのだが、どうしても不安に駆られる。しびれを切らして連絡したが、つながることはなかった。

 マユリと連絡がつかない。その事実が胸につかえるような鈍い痛みを残していた。


 彼女は、いつも学校の課題が多くて忙しいと言っている。だから過度に不安になることはないはずなのだが、最近の事を考えれば心配にもなってくる。


 食卓には所在なさげなハンバーグ。私の得意料理は和食だったけど、最近マユリとは何か不穏な空気が漂っていたから、せめて彼女の好物を作った。


 がらんとした部屋でする浅い呼吸。ルームシェアするために借りたこの部屋は、二人で住むには少し狭いが、一人になると大きな余白があった。


 ベッドに潜り込み、布団をかぶる。目を開けると黒一色だ。不思議と居心地が良いのは、こうすれば嫌なことを忘れられるからだろう。そんな子供みたいなことをしていると、いつのまにか意識が思い出に沈んでいた。



 私が料理をするようになったのは祖母がきっかけだった。


 祖母は無口な人で、私もそんなお喋りなほうではないから、似た者同士だった。

 きっかけは覚えていないが、料理が得意な祖母から色々と教わることが多くなった。


 祖父が亡くなってしまって数日が経ったときのこと。普段、無口な祖母はその日だけは珍しくよく話した。


「料理はね、誰かのために作るから美味しくなるのよ」


 祖母はその言葉が言い終わらないうちに、目を伏せた。


「お料理していれば気持ちは伝わると思ってたの。でもね……言葉で伝える前にいなくなっちゃうこともあるのよ」


 その声には、少しだけ震えがあった。


「言いたいことはすぐ言っておいた方が良いわ」


 幼い私は、ただ頷くしかなかった。



「ただいま~」


 暗闇に明るい声が響く。一瞬、その声は夢かと思った。でも、自分がいつもの部屋にいることを確認すると、ハッとして飛び起きる。

 急いで玄関に向かうと、そこにはマユリがいた。胸を締め付けていた不安がふっと緩む。


「すっかり帰ってくるの遅くなっちゃったよー」

「……うん」

「学校の課題が終わんなくてさー、友達とつきっきりでやっててさー」

「……うん」


 ニコニコと笑顔でいつもと同じように話すマユリ。その綺麗な瞳に自分はどう映ってるのだろう。


「え?泣いてる……?」


 俯いていると、彼女が驚いた顔をして駆け寄ってくる。


「もう帰ってこないかと思ってた…」

「えー?なにそれー。そんなことしないよー」

「だって何回か連絡したけど返ってこなかったし」

「あーごめんごめん。スマホ見ないで課題に集中してて」

「それは、ごめん。邪魔だったよね……」


 ひどい顔をしていたであろう私にマユリは「ううん、全然いいよー」と何でもない風に受け流す。そのままテーブルに並べられた皿を見て「わぁ!」と喜ぶ声。


「ユズリ!ハンバーグがある!」

「私が作ったから……」

「ユズリが?和食しか作らないんじゃないの?」

「マユリのために、作ってみた。美味しいか分からないけど」


 「えー、うれしいなー」と無邪気に喜ぶマユリ。彼女を見ていると何かふつふつと体の底から熱い気持ちが流れ出す。この感情に名前はつけられないけど、やはり私にはこの子が必要だということは理解できた。


「私、マユリのこと好きだよ」


 気づくと、自然とその言葉が口から出ていた。

 彼女が驚いて目を見開く。その表情さえ全て自分のものにしたかった。



 どんなに夜が深くても、いずれ朝は来る。


 何の変哲もない平日。普段と変わらず、私は早めに起きて朝食を仕込む。マユリも寝坊するのは同様だ。


 「およよー」と謎の鳴き声を出している彼女を椅子に座らせる。それを横目で見ながらテーブルの上に今日の献立を並べて、二人で手を合わせて同じご飯を食べる。


「「いただきます」」


 あの後、お互いにちゃんと話し合って自分の気持ちを伝えた。マユリの気持ちも理解できた。そうして、いつも通りの日々が戻ってくる。やっぱり、こういった平穏な日常が一番幸せ。


 ――今までだったら、そう思ってただろう。しかし、あの日以来、それだけでは足りなくなった。


 朝食の後片付けをすると、マユリがバタバタと支度をする。遅刻ギリギリまで一緒に過ごしていた彼女は、そのまま大急ぎで玄関から出ていこうとしていた。その後ろ姿に蜂蜜色の髪が揺れていた。


「ちょっと待って、マユリ」

「え?どうしたの?」


 不思議そうにこちらへ顔を向ける彼女。私はすたすたと彼女までの距離を詰めると、そのまま優しく抱き寄せて、玄関の扉を閉めた。戸惑う彼女の手を抑える。顔を突き合わせると、胸の奥が熱くなる。


「ごめん、じっとしててね」


 祖母は大切な気持ちは言葉で伝えるべきだと教えてくれた。でも、それはちょっと違うんじゃないかと思っている。

 言葉だけでは伝えきれない気持ちもあるなら――私は、行動で示すしかない。


「ちょ、ちょっとユズリ!?」


 重なった唇の柔らかい感触。瞬間、体中に甘美な刺激が広がった。それを最後まで味わい、身震いする。私と彼女は見つめ合い、しばらく動けずにいた。お互いの間に落ちてくる気まずい沈黙。でも、その行為に後悔はなかった。


 そうして私は、生まれて初めてのキスをしたのだ。

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