第四章:過去との対峙、王国の危機

第21話 実家からの使者。「戻ってこい」と言われてももう遅い

 エリュシオンを出発する朝、空は突き抜けるような青さに覆われていた。

 俺は屋敷の正門前で、愛車――ではなく、愛馬車の最終チェックを行っていた。

 馬車と言っても、俺が『再構築』で改造した特注品だ。

 サスペンションには衝撃吸収用のスライムジェルを封入し、車輪には悪路走破用のスパイク機能を搭載。内部は空間拡張魔法でリビング並みの広さを確保し、空調完備という、キャンピングカーも真っ青の快適仕様である。


「……よし、足回りのメンテナンス完了。魔力エンジンの出力も安定している」


 俺が工具を片付けていると、屋敷の中からセリアとポチが出てきた。

 セリアは旅装束だが、その胸には『飛竜の戦姫鎧』が輝いている。ポチは通常の大型犬サイズに擬態しているが、その足取りは軽い。


「アレウス、荷物の積み込み終わったわよ。お弁当も作ったし」

『主よ、道中のつまみ干し肉は十分か? 王都までは馬車で五日かかると聞いたぞ』


「俺の改造馬車なら二日で着くさ。それに、振動もゼロだから快適な旅になるはずだ」


 俺たちが談笑しながら乗り込もうとした、その時だった。

 ドタドタドタ……と、蹄の音が近づいてきた。

 一台ではなく、数台の馬車。そして、それを護衛する騎馬隊の気配。

 街の喧騒とは違う、規則正しく、そして威圧的な行軍の音だ。


「……来たか」


 俺は動きを止めた。

 街道の向こうから現れたのは、漆黒の塗装が施された豪華な馬車と、同じく黒い鎧を身に纏った騎士たちの一団だった。

 掲げられた旗には、『剣と杖』の紋章。

 ルークス公爵家の私兵団、『黒騎士隊』だ。


 馬車が俺の屋敷の前で止まる。

 完全に道を塞ぐような、傲慢な停車位置だ。

 先頭の馬から一人の騎士が降り立った。

 四十代半ば、頬に傷のある男。見覚えがある。

 父の側近であり、かつて俺を「無能」と嘲笑い、剣術の稽古と称して痛めつけてきた騎士団長、バルガスだ。


「……アレウス様。いや、今は平民のアレウスか」


 バルガスは俺の前に立ち、値踏みするように上から下まで眺めた。

 その目は、以前と変わらない侮蔑の色を含んでいる。


「久しぶりだな、バルガス。わざわざ辺境まで何の用だ?」


 俺が淡々と尋ねると、バルガスは鼻で笑った。


「公爵閣下からの温情ある沙汰を伝えに来てやったのだ。跪いて聞くがいい」


 彼は懐から書状を取り出し、仰々しく広げた。


「『元三男アレウス。此度の働き、多少は評価に値する。よって、特別にルークス家への帰還を許可する。直ちに王都へ戻り、そのスキルを家のために捧げよ。なお、身分は準家臣として遇する』……以上だ」


 バルガスは書状を閉じ、恩着せがましく言った。


「良かったな、アレウス。追放された身でありながら、再び公爵家の敷居を跨ぐことが許されるとは。準家臣といえば、平民にとっては破格の待遇だぞ」


 準家臣。

 聞こえはいいが、要するに「使用人」だ。

 息子としての復権ではなく、便利な道具として飼ってやる、と言っているに過ぎない。


「……それで?」


 俺の反応が薄いことに、バルガスは眉をひそめた。


「それで、とはなんだ。感謝の言葉はないのか? 閣下も、兄君たちもお待ちだ。お前が作ったという魔道具やポーションの製法、全て献上すれば、地下の工房での寝起きくらいは許してくださるそうだぞ」


 セリアが怒りで肩を震わせ、一歩前に出ようとした。

 俺はそれを片手で制する。


「断る」


 短い一言。

 バルガスが固まった。


「……あ? 今、何と言った?」

「断ると言ったんだ。俺はルークス家に戻るつもりはない。俺の今の家はここだし、家族はこの屋敷の連中だけだ」


 俺が言い放つと、バルガスの顔がみるみる赤くなった。


「き、貴様……! 公爵家の慈悲を無下にする気か!? たかが辺境で少し手柄を立てたからといって、つけ上がるなよ! 所詮は『物質解析』しか能のない出来損ないのくせに!」


 怒声が響く。

 黒騎士たちも剣の柄に手をかけ、殺気を放つ。

 だが、俺の心は冷めたままだった。

 かつては、この威圧感に怯えていたかもしれない。

 だが、Sランクとなり、数万の魔物を相手にした今の俺にとって、彼らの殺気など子供の遊びにも等しい。


「出来損ない、か。……お前の目は相変わらず節穴だな、バルガス」

「何だと?」

「お前のその鎧。王都の最新鋭『黒鋼(ブラック・スチール)の鎧』か? 硬度はそこそこだが、関節部分の設計が古すぎて可動域が30%も死んでいる。それに、剣の手入れも甘い。内部にマイクロクラック(微細なヒビ)が入っているぞ」


 俺は『物質解析』の結果を淡々と告げた。

 バルガスは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに激昂した。


「口答えをするな! 黙って従わないなら、力ずくで連れて行くまでだ!」


 バルガスが剣を抜いた。

 それに呼応して、十数人の黒騎士たちも一斉に抜刀する。

 セリアが聖剣の柄に手をかけ、ポチが喉を鳴らす。


「待て、二人とも」


 俺は再び二人を止めた。


「こいつらは俺の『過去』だ。俺自身で清算(デリート)する」


 俺はバルガスに向かって、武器も構えずに歩き出した。


「なめるなァッ!」


 バルガスが大上段から剣を振り下ろす。

 速い。一般人なら見えない速度だ。

 だが、俺の目には止まって見える。

 軌道、速度、重心。全てがデータとして表示される。


 俺は避けない。

 ただ、振り下ろされる剣の側面を、人差し指で軽くトンと弾いた。


 パキンッ。


 乾いた音がした。

 バルガスの剣が、根元から綺麗に折れた。


「な……っ!?」


 勢い余ってつんのめるバルガス。

 俺はすれ違いざまに、彼が着ている鎧の留め具(ジョイント)の構造データに干渉した。


「分解(ディスアセンブル)」


 ガシャガシャガシャッ!


 バルガスの鎧が、バラバラのパーツとなって弾け飛んだ。

 兜、胸当て、籠手、具足。

 一瞬にして下着姿になったバルガスが、地面に転がる。


「ひっ、あ、あ……!?」


 何が起きたのか理解できず、バルガスは悲鳴を上げた。

 周囲の黒騎士たちも、隊長が一瞬で武装解除された光景に動揺し、足が止まる。


「そ、その力……魔法か!? いや、貴様は魔力を持たないはず……!」


 腰を抜かして後ずさるバルガスを、俺は見下ろした。


「言っただろ。『解析』しか能がないって。だから解析したんだよ。お前の剣の脆い一点を。お前の鎧の接合部を」


 俺は折れた剣の切っ先を拾い上げ、指先で粉々に握りつぶした。

 砂鉄のようにサラサラとこぼれ落ちる鉄粉。


「今の俺にとって、お前たちの装備など紙切れ同然だ。武力で俺を従わせられると思わないことだな」


 圧倒的な格差。

 それは魔力量や剣技の違いではない。

 世界を理解(カイセキ)する解像度の違いだ。


「……っ!」


 バルガスは恐怖に顔を歪めた。

 かつての「役立たず」の三男坊ではない。目の前にいるのは、理解不能な力を持った怪物だと本能で悟ったのだ。


「公爵に伝えろ」


 俺は冷たく言い放った。


「『俺は王都へ行く。だが、それは戻るためじゃない。Sランク冒険者として、対等な立場で話をするためだ』とな」

「ひ、ひぃぃっ……! お、覚えてろ!」


 バルガスは脱げた鎧を拾う余裕もなく、パンツ一丁のまま馬に飛び乗り、逃げ出した。

 残された部下たちも、慌ててその後を追って敗走していく。

 黒塗りの馬車だけが取り残されたが、まあ、あれは中古屋にでも売ればいいだろう。


「……ふぅ。朝から騒がしい連中だ」


 俺は息を吐き、屋敷の方を振り返った。

 セリアがぽかんと口を開けている。

 ポチは「つまらんな」という顔であくびをした。


「アレウス……あんた、実家の騎士団長をパンツ一丁にして追い返すって……」

「危害は加えてないぞ。ちょっと装備の耐久テストをしてやっただけだ」

『主よ、あれは精神的ダメージの方がでかいぞ。武人としての尊厳死だ』


 俺は肩をすくめた。

 尊厳など、彼らが俺から奪おうとしたものに比べれば安いものだ。


「さて、邪魔者も消えたし、出発するか」


 俺は改めて馬車の御者台に座った。

 手綱を握る必要はない。自動操縦(オートパイロット)機能付きだ。


「目指すは王都グランドリア。……待ってろよ、父上、兄上」


 俺が求めているのは復讐ではない。

 ただの『清算』だ。

 俺を縛っていた過去というバグを修正し、これからの人生を最適化するための、最後の手続き。


 馬車がゆっくりと動き出す。

 エリュシオンの街並みが遠ざかっていく。

 これまでの辺境でのサバイバル生活とは違う、政治と陰謀が渦巻く魔窟への旅路が始まった。


 ◇ ◇ ◇


 数日後。王都グランドリア、王城。

 豪奢な謁見の間にて。

 国王の前で、ルークス公爵――ガラルドは脂汗を流していた。


「……して、ガラルドよ。例の『黄金の錬金術師』とやらは、まだ到着せぬのか?」


 玉座に座る国王の声は穏やかだが、そこには無視できない圧力があった。

 スタンピードを鎮圧し、ポーション革命を起こし、古代遺跡の魔道具を操ると噂される新星のSランク。

 国としては、何としても手中に収めたい重要人物だ。


「は、はい……。使者からの報告によりますと、既にこちらへ向かっているとのこと。ただ……」

「ただ?」

「少々、我が家の教育が行き届いていなかったようで……気難しい性格に育っているようです」


 ガラルドは言葉を濁した。

 まさか、騎士団長が半裸で逃げ帰ってきたなどと報告できるわけがない。

 バルガスからの「あれは化け物です」という錯乱した報告を、彼はまだ半信半疑で受け止めていた。


(フン、たかが小僧一人が生意気な。王都に来れば、こちらの力を見せつけてねじ伏せてやる)


 公爵の隣では、長男クリスと次男ジュリアスも、薄ら笑いを浮かべていた。

 彼らはまだ、アレウスを「利用可能な駒」としか見ていない。

 その認識の甘さが、やがてルークス家を破滅へと導く引き金になるとも知らずに。


「到着を楽しみにしているぞ。余も、その黄金の輝きとやらを見てみたい」


 国王の言葉に、貴族たちが頭を下げる。

 その背後で、王都の上空に不穏な雲が広がり始めていた。

 アレウスの到着と共に、王国の歴史が大きく動こうとしていた。

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