第12話 折れた剣と、折れた心も再構築して
翌朝、屋敷の庭園から、空気を切り裂く鋭い音が響いていた。
シュッ、シュッ――。
それは剣を振る音というより、何かもっと重い塊を、強引に振り回しているような音だった。
「……はぁ、はぁ、はぁ……ッ!」
テラスに出た俺の目に映ったのは、汗だくになって剣を振るうセリアの姿だった。
彼女の手には、昨日俺が蘇らせた聖剣『蒼穹(セレスティア)』が握られている。
だが、その動きはぎこちなかった。
剣の輝きは鈍く、時折、反発するように火花を散らしている。まるで、主人の技量不足に剣が苛立っているかのようだ。
「……見ていられんな」
足元でポチが欠伸をしながら言った。
『あの剣は聖級(ホーリー)ランクだ。本来ならSランク冒険者か、聖騎士団長クラスが持つべき代物。今のあの娘には荷が勝ちすぎる』
「分かってるよ。だが、適合率は悪くないはずだ」
俺はコーヒーカップを片手に、セリアのステータスを『解析』した。
――対象:セリア。
――状態:筋疲労(中)、精神的不安(大)。
――装備同調率:15%(低下中)。
――エラー要因:自己否定による魔力循環不全。
(……なるほど。ハードウェアの問題というより、ソフトウェアの不具合か)
俺はカップを置き、庭へと降りていった。
◇
「そこまでだ」
俺が声をかけると、セリアはビクリと肩を震わせ、剣を取り落としそうになった。
彼女は慌てて体勢を直すが、足元がふらついている。
「あ、アレウス……。おはよう。その、朝練をしていたの」
「熱心なのはいいが、今のままじゃ剣に振り回されて終わるぞ」
俺は落ちていたタオルを拾い、彼女に投げ渡した。セリアはそれを受け取り、乱暴に顔を拭う。
その表情は暗かった。
「……分かってる。この剣は凄すぎるのよ。私なんかが持っていいものじゃない」
「どういう意味だ?」
「父様は強かった。この剣で国を守り、多くの武勲を立てたわ。でも、私は……家を守ることもできず、父様の名誉を挽回することもできず、ただ剣にしがみついているだけの『没落娘』よ」
セリアは自身の腰にあるボロボロの革鎧を握りしめた。
それは彼女が今まで着ていた防具だ。継ぎ接ぎだらけで、防御力など皆無に等しい。
「昨日、剣が直った時は嬉しかった。でも、いざ握ってみると……怖いの。私には、この剣に見合う『中身』がないって、思い知らされるようで」
彼女の声は震えていた。
長年の貧困生活と、周囲からの蔑みによって刻まれた劣等感。
それが心の傷(バグ)となり、彼女の潜在能力(スペック)を著しく制限している。
エンジニアとして、見過ごせないエラーだ。
俺は溜息をつき、一歩前に出た。
「……剣だけ直しても、使い手がボロボロじゃ意味がないか」
「え?」
「セリア、その鎧を脱げ」
「は、はいぃぃっ!?」
セリアが顔を真っ赤にして後ずさる。
「い、いきなり何を!? 確かに私は従者契約をしたけど、そういう、体の関係とかはまだ心の準備が……!」
「違う。そのゴミみたいな防具を捨てろと言ってるんだ。メンテナンスだ」
俺は彼女の返事を待たずに、指先で空中に魔法陣を描いた。
強制武装解除(ストリップ・コマンド)。
シュン、という音と共に、セリアが身につけていたボロボロの革鎧と、擦り切れたブーツが分解され、光の粒子となって消え去った。
残ったのは、薄手のインナーシャツと短パン姿のセリアだけだ。
「きゃあぁぁッ!?」
セリアが悲鳴を上げてしゃがみ込む。
「な、何すんのよ変態!」
「うるさい、じっとしてろ。今、新しいのを作る」
俺はマジックバッグから素材を取り出した。
先日倒した『フォレスト・ドラゴン』の緑色の鱗。
採取した『巨大蜘蛛の強靭な糸』。
そして、余っていた『ミスリル銀』のインゴット。
「聖剣を持つなら、それに見合う『器』が必要だ。防御力が紙切れ同然じゃ、恐くて前に出られないのは当たり前だろ」
俺は地面に素材を並べ、スキル『再構築』を発動させた。
――設計思想(コンセプト):高機動・軽量・対魔力防御特化。
――デザイン:彼女の体格に合わせた流線型フォルム。
――付与効果:自動サイズ調整、魔力回復促進、物理耐性(極大)。
「最適化(オプティマイズ)……実行!」
カッ、と庭園が光に包まれる。
ドラゴンの鱗が液状化してミスリルと混ざり合い、蜘蛛の糸がそれを編み上げるように結合していく。
数秒後。
光が収まると、そこには一式の装備が浮遊していた。
ドラゴンの鱗を加工した、エメラルドグリーンと白を基調とした軽鎧(ライトアーマー)。
関節部分には柔軟な特殊繊維が使われ、動きを阻害しない。
ブーツは衝撃吸収機能付きの強化革製だ。
――生成物:飛竜の戦姫鎧(ワイバーン・ヴァルキリースーツ)。
――ランク:伝説級(レジェンダリー)。
――防御力:Aランクドラゴンのブレスを無効化可能。
「ほら、着てみろ」
俺が指を弾くと、装備一式が自動的にセリアの体に装着された。
カシャン、カシャンと心地よい音が鳴り、各パーツが彼女の体に吸い付くようにフィットする。
「な、なにこれ……軽い……?」
セリアが立ち上がり、自分の体を見下ろした。
金属と竜鱗で作られているはずなのに、まるで羽衣を纏っているかのように軽い。
それどころか、鎧を通して全身に魔力が循環し、先ほどまでの疲労が嘘のように消えていく。
「それはドラゴンの素材を使った特注品だ。防御力は城壁並み、機動力は風の精霊並みだ」
「ど、ドラゴンの素材!? そんな国宝級のものを、私に……?」
「素材は腐るほどあるから気にするな。それより、重要なのはここからだ」
俺は真剣な表情で彼女を見た。
「装備は整えた。だが、お前の『心』のバグは、俺には直せない」
「心の……バグ?」
「ああ。過去の失敗、父親への罪悪感、自分への無価値感。それらがノイズになって、お前の動きを鈍らせている」
俺はポチを手招きした。
巨大な銀色の狼(今は偽装を解いて元のサイズに戻っている)が、悠然と歩み寄ってくる。
「ポチ。稽古をつけてやれ」
『やれやれ、子守りか。手加減が難しいのだが』
「死なない程度に、本気で殺しに行け」
『……了解した』
ポチの目が、スゥッと細められた。
瞬間、庭園の空気が凍りついた。
神獣としての圧倒的な殺気。先日、俺に向けられたものと同じプレッシャーがセリアを襲う。
「ひっ……!」
セリアが蒼白になって後ずさる。
「剣を構えろ、セリア!」
俺が叫んだ。
「過去を見るな。未来も憂うな。ただ目の前の『脅威』だけを見ろ! お前の剣は、守るためにあるんだろ! 自分自身を!」
「で、でも……こんな化け物……!」
「化け物じゃない。ただの『処理すべきタスク』だ!」
俺のエンジニア理論が通じるかは分からない。
だが、ポチは待ってくれなかった。
ドンッ!
地面を蹴り、銀色の弾丸となってセリアに襲いかかる。
「いやぁぁぁッ!」
セリアは悲鳴を上げながらも、反射的に聖剣を前に突き出した。
ガギィィィンッ!
ポチの鋭い爪と、聖剣の刃が激突する。
普通なら爪が砕けるか、剣が折れるかだが、どちらも強度は桁外れだ。衝撃波だけで庭の芝生が捲れ上がる。
「くっ、うぅぅ……!」
セリアは必死に耐えていた。
新調した鎧がポチの膂力を受け止め、衝撃を分散させている。
だが、気持ちで負けていた。じりじりと後退する。
『弱いな。剣は一流、鎧も一流。だが中身が三流だ』
ポチが嘲笑うように鼻を鳴らし、追撃の尾撃を放つ。
セリアは反応できない。
(……ここだ)
俺はスキルを発動させ、セリアの脳内魔力回路にわずかに干渉した。
直接操作はしない。ただ、彼女の視界に『補助線』を引いてやるだけだ。
――最適回避ルート、左前方30度。
セリアの目に、光の道筋が見えたはずだ。
彼女は無意識にその光に従って体を倒した。
ブンッ!
ポチの尻尾が、彼女の鼻先数センチを通過する。
「え……?」
「考えるな、感じろ。そして『解析』しろ!」
俺は声を張り上げた。
「相手がどう動くか、自分がどう動けばいいか。世界は全て情報(データ)でできている! お前のその目は、ただ飾りのために付いているのか!」
セリアの碧眼が見開かれた。
彼女の固有スキル『魔力感知』。
今まで恐怖で曇っていたその目が、俺の言葉に呼応するように輝き始める。
ポチの動き、筋肉の収縮、魔力の高まり。
それらが、彼女の中で『情報』として処理され始める。
(……見える。来る!)
セリアが踏み込んだ。
ポチの次なる一撃――氷のブレスが放たれる直前。
彼女は恐れずに前へ出た。
聖剣『蒼穹』が、彼女の決意に応えて青い光を爆発させる。
「はぁぁぁぁッ!!」
一閃。
放たれた斬撃は、ポチのブレスを真っ二つに切り裂き、そのままポチの鼻先を掠めた。
『ぬおっ!?』
ポチが驚いてバックステップで距離を取る。
その頬には、わずかに切れ込みが入り、一筋の血が流れていた。
神獣に傷を負わせたのだ。
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
セリアは剣を振り抜いた体勢のまま、荒い息を吐いていた。
だが、その瞳に恐怖の色はなかった。
あるのは、確かな自信と、高揚感。
「……やった。私……切った……?」
「ああ、見事な一撃だった」
俺は拍手をしながら近づいた。
ポチが不満げに鼻の傷を舐めている。
『……おい主よ。死なない程度と言ったが、今のは危なかったぞ。あの剣、マジで斬れ味が悪い』
「油断するからだ。ナイスファイト、ポチ」
俺はセリアの前に立った。
彼女は自分の手と剣を交互に見つめ、そして俺を見た。
「アレウス……私、今、すごく頭がクリアだった。敵の動きが見えて、体が勝手に動いて……」
「それが『フロー状態』だ。お前のバグは取れたみたいだな」
過去への執着というエラーログを吐き出し、現在の戦闘処理(プロセス)にリソースを全振りした結果だ。
彼女はもう、過去の亡霊に怯える没落令嬢ではない。
「その鎧と剣は、今日からお前の体の一部だ。使いこなせ。そして、俺の背中を守れ」
「……うん!」
セリアは力強く頷いた。
その顔には、年相応の少女らしい、晴れやかな笑顔が浮かんでいた。
「アレウス様……あ、いや、マスターって呼んだ方がいい?」
「いや、アレウスでいい。敬語もいらない」
「分かったわ、アレウス。私、強くなる。貴方に拾われたこの命と剣、無駄にはしないわ」
彼女は改めて、騎士の礼をとった。
その姿は、ボロボロだった昨日とは別人のように凛々しかった。
◇
「さて、感動の再起劇も終わったことだし、仕事だ」
俺はパンと手を叩いた。
「装備テストも兼ねて、実戦に行こう。ギルドで依頼を受けてくる」
「了解よ! どこのダンジョン? ドラゴンの巣?」
「いや、とりあえずは近場の『ゴブリンの巣』の掃除だ。まずは基礎(レベリング)からだからな」
セリアがガクッと肩を落とす。
「……伝説級の装備でゴブリン退治?」
「オーバーキルこそが正義だ。安全第一(セーフティ・ファースト)、忘れるなよ」
こうして、最強の生産職と、最強装備の新米騎士、そして神獣という、バランス崩壊気味のパーティが結成された。
俺たちの「辺境成り上がり」生活が、いよいよ本格的に動き出す。
だが、俺はまだ気づいていなかった。
セリアが実力を取り戻したこと、そして彼女が身につけた『飛竜の戦姫鎧』の輝きが、かつて彼女を追放した王国の騎士団の目に留まる日が近いことを。
「行くぞ、セリア、ポチ」
「はい!」
『肉だ、肉を食わせろ』
俺たちは屋敷を出て、エリュシオンの街へと繰り出した。
空は青く澄み渡り、俺たちの前途を祝福しているかのようだった。
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