第6話 辺境都市エリュシオンへの到達

 森での生活は順調そのものだった。

 衣食住は整い、最強の武器と忠実な番犬(元・森の主)も手に入れた。

 だが、俺には一つだけ不満があった。


「……味が薄い」


 俺は『世界樹の木皿』に盛られた極上肉のステーキを見つめて呟いた。

 素材は最高だ。焼き加減も完璧だ。

 だが、調味料がない。

 塩、胡椒、香辛料。これらは森の中を探しても、そう簡単に見つかるものではない(岩塩層があれば別だが、あいにくこの付近にはなかった)。

 素材の味を楽しむのもいいが、やはり人間、塩気が恋しくなる。


「よし、買い出しに行こう」


 俺は決断した。

 ついでに、この世界の人間社会の情報を収集し、手持ちの素材を金に換える必要もある。

 俺はフォークを置き、足元で骨付き肉を齧っていたポチに声をかけた。


「ポチ、出かけるぞ。一番近くの街まで案内頼む」


『む? 街か? 人間たちの巣に行くのは構わんが……』


 ポチが顔を上げた。その口元は血で汚れているが、神獣の威厳は保っているつもりらしい。


『我のような高貴な存在が街に入れば、パニックになるぞ? 人間どもは臆病だからな』


「確かに。その巨体じゃ門前払いだな」


 今のポチは体高が三メートル近い。どう見ても怪獣だ。

 俺はポケットから適当な小石を取り出し、指先でクルクルと回した。


「じゃあ、これで偽装しよう」


 小石に『認識阻害』と『視覚情報改変』のコードを書き込む。

 ついでに『サイズ圧縮』の空間魔法も付与して、首輪のチャームのような形に再構築した。


「ほら、これを着けろ」


『ぬ……? 体が、縮む……!?』


 俺が作ったチャームを首輪(蔦を編んで作ったもの)に取り付けると、ポチの体がシュルシュルと縮小した。

 大型犬……いや、少し大きめのハスキー犬くらいのサイズになった。銀色の毛並みはそのままだが、これなら「珍しい犬」で押し通せるだろう。


『な、なんだこの視界の低さは! これでは威厳が……』


「可愛いぞ、ポチ。よし、出発だ」


 俺は文句を言うポチを連れて、拠点を後にした。

 目指すは、この『魔の森』に隣接する辺境都市エリュシオンだ。


 ◇


 森を抜け、荒野を歩くこと数時間。

 地平線の向こうに、巨大な石壁に囲まれた都市が見えてきた。


 辺境都市エリュシオン。

 王国の北限を守る要衝であり、魔の森から産出される素材を求めて多くの冒険者や商人が集まる街だ。

 近づくにつれ、その外壁の古さが目についた。

 所々が黒ずみ、修復の跡がパッチワークのように残っている。


 俺は無意識にスキル『物質解析』を発動させていた。


 ――対象:都市防壁。

 ――材質:花崗岩、補強用セメント。

 ――強度:Cランク。

 ――状態:老朽化(深刻)。右翼壁面に微細な亀裂あり。倒壊確率15%。


「……うわぁ」


 思わず声が出た。

 俺から見れば、あれは「いつ崩れてもおかしくない積み木」だ。

 構造計算が甘すぎるし、修復に使っているモルタルの配分も間違っている。

 あんな壁で魔物の襲撃を防いでいるのか? この世界の建築技術レベルに、俺は一抹の不安を覚えた。


「まあ、今は関係ないか」


 俺は気を取り直して、正門へと向かった。

 門の前には長い行列ができていた。行商人や冒険者たちが検問を受けている。

 俺もその列に並んだ。

 ボロボロの冒険者風の服(見た目はボロだが、性能は再構築済みでSランク)を着た俺と、銀色の犬。周囲からの視線は冷ややかだった。


「おい、見ろよ。魔の森の方から来たぜ、あいつ」

「あんなガキが? 迷い込んだだけだろ」

「連れてる犬、いい毛並みだな。高く売れそうだ」


 下卑た囁き声が聞こえるが、無視する。

 やがて俺の番が回ってきた。


「身分証を見せろ」


 槍を持った門番が、気怠げに言った。


「ありません。初めて来たので」


「なら入市税だ。銀貨二枚」


 銀貨。

 もちろん、そんな通貨は持っていない。

 だが、予習はしてある。

 俺は懐から、来る途中の川で拾った石から抽出・精製しておいた『銀のインゴット(小)』を取り出した。


「銀貨はないんですが、これで代用できませんか?」


 門番が怪訝な顔でそれを受け取る。


「あぁ? なんだこりゃ、ただの銀の塊……っ!?」


 門番の手が止まった。

 俺が渡したのは、不純物を0.0001%まで取り除いた、純度99.9999%の超純銀だ。

 太陽の光を反射して、神々しいまでの輝きを放っている。

 通貨としての銀貨は、他の金属が混ざって黒ずんでいるのが普通だ。これほどの純銀は、王族の装飾品くらいでしかお目にかかれない。


「お、おい、これ……本物か? メッキじゃねぇだろうな」


「本物ですよ。足りませんか?」


「た、足りないどころか……お釣りが出るぞ! ていうか、こんな高純度の銀、どこで手に入れた!?」


 門番が騒ぎ出し、周囲の視線が集まる。

 しまった。

 ただの銀なら問題ないと思ったが、『再構築』で綺麗にしすぎたか。

 俺は適当に誤魔化すことにした。


「たまたま森で拾ったんです。古銭を潰した塊かなと」


「森で拾っただぁ……?」


 門番は疑わしそうだったが、鑑定用の魔導具(粗悪品だ)にかざして「SILVER」の反応が出たのを確認すると、渋々といった様子で通してくれた。


「……通っていいぞ。だが、街の中で騒ぎを起こすなよ」


「ありがとうございます」


 俺は銀の塊をそのまま渡し(お釣りをもらうのも面倒だった)、門をくぐった。


 ◇


 街の中は活気に満ちていた。

 石畳のメインストリートの両脇には露店が並び、肉を焼く匂いや、鉄を打つ音が響いている。

 だが、俺の目には、その全てが「要修正(フィックス・リクワイアード)」のタグ付きで見えてしまった。


 ――対象:露店の屋根。

 ――判定:構造欠陥。強風で吹き飛ぶ可能性90%。


 ――対象:通りすがりの戦士の剣。

 ――判定:金属疲労蓄積。あと三回斬り結べば折れる。


 ――対象:回復薬(ポーション)。

 ――判定:不純物多数。回復量より副作用(腹痛)のリスクが高い。


「……ひどいな」


 俺は眉間を押さえた。

 職業病だ。目に入るもの全てを最適化したくなってウズウズする。

 我慢だ。俺は今日、ただの買い物客としてここに来たのだ。


「とりあえず、換金だ」


 俺は目についた大きな商店に入った。

 看板には『よろず屋・銀の天秤亭』とある。


 カランカラン、とドアベルが鳴る。

 店の中には、様々な魔物の素材や道具が所狭しと並べられていた。

 カウンターの奥から、白髪の老人が顔を出す。


「いらっしゃい。見ない顔だね」


「素材の買い取りをお願いしたいんですが」


 俺はそう言って、マジックバッグから『フォレストウルフの毛皮』を三枚ほど取り出し、カウンターに置いた。

 森で最初に倒した狼の皮だ。


「ウルフの毛皮か。ありふれた素材だが……」


 店主は眼鏡の位置を直し、気のない様子で毛皮に触れた。

 しかし次の瞬間、彼の指がピタリと止まった。


「……ん?」


 店主が顔を近づける。眼鏡を外し、ルーペを取り出して食い入るように見始めた。


「おい、坊主。これ、本当にフォレストウルフか?」


「ええ、そうですけど」


「信じられん……傷が一つもない。血の汚れも、脂の酸化も皆無だ。それに、この手触り……まるで絹のように滑らかだ」


 店主の声が震えている。

 それもそのはず。俺が『物質解析』で剥ぎ取り、『再構築』で鞣(なめ)し処理を行った毛皮だ。

 物理的な剥ぎ取りナイフを使っていないため、皮へのダメージはゼロ。さらに、防汚加工と柔軟加工のコードも埋め込んである。


「普通、剥ぎ取りには失敗がつきものだ。どんな熟練者でも、わずかな傷はつく。だがこれは……完璧だ。いや、完璧すぎる」


 店主は興奮した様子で俺を見た。


「坊主、これをどこで手に入れた? どの熟練職人(マエストロ)が処理したんだ?」


「俺がやりました」


「お前さんが? ……冗談だろう?」


 店主は疑わしそうだったが、目の前の品物は嘘をつかない。

 彼はゴクリと喉を鳴らした。


「……買い取ろう。通常のウルフ毛皮なら一枚銀貨五枚だが、これなら金貨一枚……いや、三枚出そう」


 金貨三枚。

 この世界の相場では、平民の三ヶ月分の生活費に相当する額だ。

 たかが雑魚敵の素材が、とんでもない値段になった。


「成立ですね。お願いします」


「ああ。……他にもないか? お前さんが持っている素材なら、何でも言い値で買うぞ」


 店主の目が、狩人のそれに変わっていた。

 俺は苦笑しながら、追加で持っていた『魔石(小)』や『薬草(加工済み)』を売却した。

 どれも店主が絶叫するほどの高品質だったらしく、店を出る頃には、俺の懐には重たいほどの金貨が入った袋が収まっていた。


「……ちょろいな」


 俺は店の前で呟いた。

 これなら一生遊んで暮らせるが、俺の目的は金稼ぎそのものではない。

 金は手に入った。次は塩と香辛料を買い込み、そして……。


「ギルドに行くか」


 俺は視線を街の中央に向けた。

 そこには、剣と盾の紋章を掲げた大きな建物がある。

 冒険者ギルド。

 素材を売るだけなら商人でいいが、魔の森での活動を正当化し、より希少な情報を得るには、冒険者という身分が便利だ。


『主よ、あそこからは荒っぽい連中の匂いがするぞ』


 足元のポチが鼻をひくつかせた。


「ああ。絡まれるのは面倒だが、避けては通れない道だ」


 俺は金貨袋をしっかりと仕舞い込み、ポチと共にギルドの方へと歩き出した。

 実家を追放された「役立たず」の鑑定士が、世界中の冒険者が憧れる頂点へと駆け上がる、その最初の階段が目の前にあった。

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