第4話

天災エルフと、狂犬の首輪

​「おしっこぉぉぉぉぉー!! 漏れるぅぅぅぅー!!」

​ 森の朝は、小鳥のさえずりではなく、エルフの悲鳴で幕を開けた。

 ルナが寝袋から飛び出し、半泣きで叫びながら森の茂みへと猛ダッシュする。

​「お、お嬢様! そちらは崖です!」

「えっ!? どっち!? こっち!?」

「そちらは魔獣の巣穴です! ああもう、私が誘導します!」

​ 執事のネギオが、マッハの速度で主を追いかけていった。

 残された坂上は、少し温くなったコーヒーの残りを飲み干し、深くため息をついた。

​「……前途多難だな」

​ 昨夜の「良い雰囲気」はどこへやら。

 やはりこの部隊は、運用(オペレーション)以前の問題を抱えているようだ。

​ ◇

​ 朝食(PXで購入した乾パンとクラッカー)を済ませ、一行は再び街道を進んでいた。

 依頼人であるニャングルは、背負った巨大な荷物の重さを感じさせない軽快な足取りで、坂上の横を歩く。

​「ダンナ、この道は『ゴブリン街道』って呼ばれてましてな。最近、ちいとばかし質(たち)の悪いオークの群れが住み着いてるらしいんですわ」

「軍は動かないのか?」

「へぇ。人間と魔族が北の方でドンパチやってるせいで、こんな田舎道の警備に割く兵隊がおらんのです。おかげでワテら商人は命がけでして」

​ ニャングルが肩をすくめる。

 この世界の情勢は不安定だ。三大勢力の均衡が崩れかけている隙を突き、野盗や魔物が跋扈(ばっこ)している。

 坂上は歩きながらも、視線を常に動かしていた。

 イージス艦のレーダーはない。頼れるのは自身の目と耳、そして――。

​「……前方、11時方向。距離300」

​ 坂上の足が止まった。

 彼の首から下げられた双眼鏡――PXで購入した高性能な軍用双眼鏡――が、木々の隙間に蠢く影を捉えていた。

​「えっ? 何も見えまへんで?」

「風下だから臭いはしないが、待ち伏せだ。……数は10。オークだな」

「ヒィッ! オ、オークはあきまへん! あいつら、荷物どころかワテの身ぐるみ剥いで食いよります!」

​ ニャングルが一瞬で顔色を変え、坂上の背後に隠れる。

 その騒ぎに、先行していた二人が反応した。

​「敵? 敵なのね!?」

「……チッ。やっと準備運動かよ」

​ ルナが杖を構え、龍魔呂がボキボキと指を鳴らす。

 坂上が指示を出そうと口を開いた、その時だった。

​「私に任せて! 昨日のご飯のお礼、しなきゃ!」

​ ルナが暴走した。

 彼女は杖を掲げると、詠唱もなしに膨大なマナを収束させ始めた。

​「『大いなる炎よ、彼らをBBQにして!』(ファイア・ボール)」

​ 放たれたのは、火の玉(ボール)などという可愛らしいものではなかった。

 直径3メートルはある灼熱の塊が、木々をなぎ倒しながらオークの群れへと飛んでいく。

​「バカッ! 威力がでかすぎる!」

「おいコラ天然! 俺の獲物を奪うんじゃねえ!」

​ 坂上の制止も、龍魔呂の怒号も遅かった。

 着弾。

 ドォォォォン!!

 爆音と共に、街道の前方が紅蓮の炎に包まれた。

 オークたちは悲鳴を上げる間もなく数匹が炭化したが、問題はそこではない。

 爆風が、こちらにも押し寄せてきたのだ。

​「うわぁぁぁ! 商品が! ワテの商品が焦げ臭なるぅぅぅ!」

「けほッ、けほッ! ……おいエルフ! テメェ味方殺す気か!」

「えっ? あれ? 強くやりすぎちゃった? てへっ☆」

​ 煙の中から、生き残ったオークたちが怒り狂って飛び出してくる。その数、5体。

 黒焦げになった仲間を見て、殺意MAXで突進してくる。

​「あーもう! 全員ぶっ殺す!」

​ 龍魔呂が理性を飛ばし、赤黒い闘気を噴き上げて突っ込んだ。

 だが、煙で視界が悪く、オークの巨大な棍棒が彼の死角から迫る。

​「龍魔呂、右だ! 避けろ!」

​ 坂上の声は、爆音にかき消された。

 龍魔呂は勘で回避したが、体勢を崩す。そこに別のオークが襲いかかる。

 ルナは「わわっ、火事だわ! 消さなきゃ!」と今度は水魔法を使おうとして、逆に水蒸気爆発を起こしかけている。

​(……ダメだ。個々の能力は高いが、連携(リンク)が皆無だ)

​ 烏合の衆。典型的な「負ける軍隊」のパターンだ。

 坂上は舌打ちをし、覚悟を決めた。

​「――状況を開始する」

​ 坂上は懐から「あるモノ」を取り出した。

 PXで購入した、【TAC(タクティカル)フラッシュライト】。

 数千ルーメンの光量を誇る、軍用LEDライトだ。

​ 彼はライトのスイッチを「ストロボモード」に切り替え、オークたちの顔面に向けた。

​ バババババババッ!!

​ 暗い森の中で、カメラのフラッシュを高速連打したような、強烈かつ不規則な閃光が炸裂する。

 夜目が利くオークたちにとって、それは網膜を焼かれるごとき激痛だった。

​「グオォォォッ!?」

「目が、目があぁぁ!」

​ オークたちが目を覆い、動きを止める。

 その隙を見逃す坂上ではない。彼の声が、戦場に凛と響き渡った。

​「総員傾聴(アテンション)!!」

​ 腹の底から出された、現役時代の号令。

 その圧力に、パニックになっていたルナも、暴走しかけていた龍魔呂も、思わずビクリと動きを止めた。

​「龍魔呂! 1時の方向、目が眩んでいる個体だ! 首を狙え!」

「……ッ、チッ、指図すんな!」

​ 龍魔呂は悪態をつきながらも、坂上が作った「隙」を見逃さなかった。

 踏み込み一閃。

 赤黒い拳がオークの喉元を貫き、頸椎を粉砕する。

​「ルナ! 範囲魔法は禁止だ! ウィンドカッターで残り2体の足を切れ! 味方(フレンドリー)には当てるなよ!」

「は、はいっ! 『風の刃よ!』」

​ 指揮官の冷静な声に、ルナの混乱が収まる。

 彼女が放った不可視の刃は、今度は正確にオークの太ももを切り裂き、巨体を地面に転がした。

​「ネギオ! トドメを!」

「御意。……ゴミ掃除の時間ですね」

​ 執事の腕が蔦(つた)に変形し、動けないオークを拘束、心臓を突き刺して絶命させた。

​ 戦闘時間、わずか30秒。

 静寂が戻った街道には、焦げた匂いと、荒い息遣いだけが残った。

​ ◇

​「……ふぅ」

​ 坂上はライトのスイッチを切り、ポケットにしまった。

 振り返ると、全員が呆然と坂上を見ていた。

 特に、荷台の下から顔を出したニャングルは、目を丸くしている。

​「ダ、ダンナ……今のは魔法でっか? 手のひらから太陽みたいな光が出よりましたけど……」

「ただの道具だ。……それより」

​ 坂上は厳しい顔で、ススだらけになったルナと、返り血を浴びた龍魔呂を見据えた。

​「反省会だ。……今のままじゃ、ボス格が出たら全滅するぞ」

​ ルナが「うぅ……ごめんなさい……」と小さくなる。

 龍魔呂はバツが悪そうに顔を背けたが、その手にはまだ興奮の震えが残っていた。

 だが、彼も分かっていた。

 あの閃光と、的確な指示がなければ、棍棒の一撃をもらっていたかもしれないことを。

​(……あのオッサン、俺よりよっぽど修羅場を潜ってやがる)

​ 坂上は、恐怖で腰を抜かしているニャングルに手を貸して立たせると、ニヤリと笑った。

​「だが、火力と突破力だけは合格点だ。……使い方がなってないだけでな」

​ こうして、初陣は辛勝(というか自爆に近い勝利)で終わった。

 最強の部隊への道は、まだ遠い。

​ まずは、この破壊兵器たちに「連携(チームワーク)」という概念を叩き込むところからだ。

 坂上は、次のPXの入荷(深夜0時)で、ご褒美用の「チョコレート」と、教育用の「指示棒」を買うことを心に決めた。

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