第2話 とりあえず、お茶飲みます?

 ん?


 んん?


 んんん?


「あーもう! やめやめ! お仕事やめーーーーー!」


 彼女の叫び声が室内に響き渡る。持っていた鎌が投げ出され、重々しい音とともに床を振動させる。


「来る日も来る日も人の魂回収するとか。もううんざり。なーにが『やりがいある仕事』なのさ」


 シオシオとその場にうずくまる彼女。あまりの急すぎる展開に脳の処理が追い付かない。というか、この状況を理解できる人がいたら、それはもう人の道を外れている何者かだと思う。


 もう何が何だか…………あれ?


 ふと気がつく。ずっと続いていた胸の苦しみがなくなっていることに。


 そんなはずはない。ありえない。いくら否定しようとしても、現実にそれは起こっていた。


 いや、実はこの現実こそが夢なんじゃ? つまり、僕はもう死んでるってこと?


 試しに頬を強めに引っ張ってみる。


 あ、ちゃんと痛い。


 ますます訳が分からない。分からなすぎて、考えることを放棄したくなる。とりあえず上半身を起こしてみるが、特に異常は感じられなかった。


「私だって、自由に生きたいんだよ。でも、お父さんもお母さんも仕事選ばせてくれないし。死神に生まれたからって、どうして死神業なんてしなきゃいけないの?」


 恨みつらみのようなことを呟き続ける彼女。顔はうつむいているから見えないが、きっと泣いている。その背後からは、これでもかというほどどんよりしたオーラが放出されていた。


「職場の人たちは『やりがいこそ正義』とか言ってるし。残業代だって出ないし。若いからっていろいろ押し付けられるし」

「あ、あのー」

「そもそも、人の魂を回収するなんて、やってることは殺人じゃん。死神が魂奪わなかったらその人は死なないわけだし。毎度毎度、苦しんでる人の顔見ながら心臓に鎌振り下ろすとか。私みたいなお豆腐メンタル死神には耐えられないよ」

「あのー」

「というかさ、元々のお給料も」

「あの!」

「は、はい! ごめんなさい! ちゃんと話聞いてます!」


 三度目の呼びかけにやっと応じてくれる彼女。ものすごい勢いで立ち上がり、顔をこちらに向ける。その背筋はピンと伸ばされ、表情には若干の恐怖がにじみ出ていた。


 な、なんか、見たことある。


 バイト先のファミレス。そこで働く、かつてブラック企業勤めだったという男性。彼が店長に後ろから話しかけられた時の反応と、今の彼女の反応が似すぎている。単なる偶然?


「あ、君か」


 一体誰と間違ったのだろう。話しかけたのが僕だと分かると、彼女は再びその場に腰を下ろした。


「えっと、ごめんね。いろいろ取り乱しちゃって」

「い、いや。それは別にいいんですけど」

「…………」

「…………」


 き、気まずい。


 聞きたいことは山ほどあった。山ほどありすぎて、どれから聞けばいいのか分からなかった。


 だから僕は、パッと頭に浮かんだ言葉を口にしていた。


「と、とりあえず、お茶飲みます?」




♦♦♦




「ふう。美味しい」


 呟きとともに、彼女はピンク色のマグカップをテーブルに置く。この家にお客様用のカップなんてものはないから、彼女が今使っているのは母のお古だ。これを使う時はもう来ないかもしれない。つい最近、そんなことを考えたっけ。


 自分用の水色のマグカップを傾け、少量のお茶を口に含む。感じる渋みと苦み。鼻を抜けていく薄い茶葉の香り。


 さて、と。


「えっと。とりあえず、いろいろ整理したいんですけど。あなた、死神ですよね?」

「うん。正解」


 彼女、死神さんは、特に迷うそぶりもなく頷く。僕自身、頭ではその事実を理解していたが、実際に本人から肯定されると変な感じだ。


「つ、つまり、僕はこれから死ぬってことですか?」

「あー。もともとはその予定だったんだけどね」


 何か含みのある言い方。死神さんは少しの間逡巡した後、「まあいっか」と諦めたような表情を浮かべて言葉を続けた。


「君は今日、心筋梗塞で死ぬはずだったんだ。さっきまで、胸のあたりがすごく苦しかったでしょ」

「は、はい。でも、今は何ともないですよ」

「当然だよ。だって、もう治ってるから。いや、なかったことになったっていう方が正しいかな」

「へ?」


 治ってる? なかったことになった?


 右手を胸に押し当てる。少しの違和感も感じられない。正常すぎるほど正常。


 けれど、僕の着ている服には、気持ちの悪い油汗がにじんでいる。つい数分前に感じた苦しみは、夢でも幻でもないはずなのだ。


「混乱してるね。当たり前だけど」

「そ、そりゃそうですよ。もしかして、死神さんが治療的なことをしてくれた、とか?」

「いやいや。さすがの私でも、病気を治すなんてできないよ」

「じゃあ、どうして」

「それはまあ……あれだね。――から」


 視線をそらしながら、死神さんは何事かを呟く。だが、声が小さすぎてよく聞き取れない。


「死神さん。今何て?」

「――から、だよ」

「すいません。もう一回」


 バン!


 死神さんの両拳が、テーブルに振り下ろされた。


「私がお仕事辞めようと思ったから!」

「…………は?」


 そういえば、さっきそんなことを叫んでいたような。


「ううう。勢いで決めちゃったけど、ほんとによかったのかなあ。けど、もう耐えられないし」


 両手で顔を覆う死神さん。傍で見ている僕にも、彼女の後悔や迷いが伝わってくる。


「あの。死神さんがお仕事を辞めるのと、僕の心筋梗塞が治ったのって関係あります?」

「当然だよ。魂を回収する死神がいなくなったんだから。死ぬ事実とか要因とかがなかったことにならないとおかしいでしょ」

「め、めちゃくちゃすぎません?」

「そういうものなの」

「はあ」


 それ大丈夫? 何かの法律に引っ掛かったりしない?


 ツッコミどころは山ほど、無数に、無尽蔵にあるが、そもそも僕は死神の仕事について詳しく知らない。ここは一旦、彼女の言う通り「そういうもの」として受け取っておくしかなさそうだ。というか、そうでもしないと、今度は頭が爆発して死んでしまう。


「でも、どうして急にお仕事を辞めようと?」


 僕の言葉に、死神さんの肩がピクリと跳ねる。両手が下ろされ、その顔があらわになる。


 あれ? な、なんか、怒ってる?


「君に分かる!? やりたくもない仕事を強制される絶望が! 目の前で苦しんでいる人に鎌を振り下ろす罪悪感が!」

「え? ええ?」

「やりがいなんてあったもんじゃない! おまけに給料も少ない! 残業代も出ない!」

「ちょ、ちょっと」

「あれやっとけ、これやっとけ! もううんざり! 一体どれだけ頑張ったら報われるのさ!?」

「お、落ち着いてください、死神さん!」


 僕がそう言うと、死神さんは肩で息をしながら押し黙った。そして、マグカップの中に残っていたお茶を一気にあおる。


「ぷはっ。はあ。はあ」

「えっと。お茶のおかわりいります?」

「……お願い」

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