僕を救って(?)くれたのは、一人の綺麗な死神でした
takemot
第1話 もしかして、死神?
帰宅してすぐ「ただいま」と口にする。高校生になった今でも欠かさない、当たり前の習慣。けれど、返ってくるのはただの静寂。
暗いリビングに入り、電気をつける。中央に置かれた小さなテーブル。古めかしい二つの椅子。壁沿いのキャビネットには物が乱雑に収納され、その隣のハンガーラックにはシワだらけの服が吊るされている。
普段の流れで、キャビネット上に取り付けられた壁掛け時計を見上げる。時計の針は、21時30分を指し示していた。
「はあ。今日も疲れた」
ダメだと分かっていながら床に荷物を放り出す。まだ艶の目立つ学生鞄が、ボスンと乾いた音を響かせる。
学校が終わってからのファミレスバイト。人が多く訪れるディナー時。きつくないわけがない。やめたい。さぼりたい。何度そう考えただろう。
それでも、僕は頑張り続けないといけないんだ。
「お腹すいた……えっと、確かあれがあったはず」
キッチン下の戸棚をまさぐり、カップラーメンと使い古した鍋を取り出す。少量の水を張った鍋を火にかけ、お湯が沸くのを待つ。ガスコンロの火が奏でる微かな加熱音を聞きながら、鍋底に気泡が現れる様子をぼんやりと眺める。
『私の分まで、頑張って生きるのよ』
不意に思い出す、かすれ声。
大丈夫。
大丈夫だよ。
僕、ちゃんと頑張ってるから。
無理矢理に口角を上げてみる。ピクピクと痙攣する頬。鏡を見ずとも分かる。僕の顔に浮かんでいるのは、とんでもなく醜い笑顔だ。
「はあ」
ため息とともに口角を下げる。
知らなかった。
何の希望もないのに頑張ることが、こんなに苦しいなんて。
ボコボコボコ。
ハッと我に返る。いつの間にか、鍋の水が沸騰していた。急いで火を止め、再度ため息を吐く。
ご飯食べたら、すぐ課題しないと。明日、授業で発表しないといけないし。あとは、寝る前に洗濯を…………う!?
気がついた時、視線の先には天井があった。
♦♦♦
心筋梗塞。
最初に頭に浮かんだのがその単語だった。
締め付けられるような胸の苦しさ。いかに体を動かそうとも、いかに息を深く吸おうとも、苦しみが和らぐことはない。蛍光灯の光と天井の景色が次第にぼやけ始める。
ああ、僕、死ぬんだ。
これから確実に来るであろう未来。恐怖はあった。だがそれ以上に、自虐的な気持ちの方が大きかった。
母さん。
言いつけ、守れなくてごめん。
様々な記憶が脳内を駆け巡る。
『ママも早くこっち来てよー』
『ふふ。相変わらず元気ね』
『今日、学校でね!』
『うんうん』
『部活? 別に興味ないなあ。お金もかかるし』
『えー。せっかく中学生になったんだし、いろいろチャレンジしてみなさいよ』
『母さん、大丈夫? 最近ずっと体調悪そうだけど』
『ゴホッ。ゴホッ。ごめんね、心配かけて』
シングルマザーとして、女手一つで僕を育ててくれた母。優しくて。時には厳しくて。どんな時でも温かく見守ってくれて。そんな母が僕は大好きだった。
けれど、僕が中学三年生の時、重い病気が発覚。高校の入学式を待たずして、母はこの世からいなくなってしまった。
『私の分まで、頑張って生きるのよ』
それが、母の告げた最後の言葉。
頑張ろう。
頑張って生きよう。
死装束姿の母を見ながら、そう決心したはずだったのに。
だんだん意識が薄らいでいく。自分がちゃんと呼吸しているのかすら分からない。相変わらず胸は苦しいが、もう慣れた。きっとこれが死ぬってことだ。
いやだ。
死にたくない。
死にたくない、けど。
なんか、疲れた、な。
…………
…………
え?
薄らいでいた意識が一瞬にして覚醒する。
訳が分からなかった。
僕のすぐ横に、一人の女性が立っていたのだ。
年のころは僕より少し上くらい。胸のあたりまである長い白銀色の髪。ルビーを思わせる赤い瞳。思わず見とれそうになるほどの端正な顔立ち。
真っ黒なローブを身にまとった彼女の右手には、巨大な鎌が握られていた。
もしかして、死神?
人間、死の間際になると妙に冷静な分析をしてしまうものらしい。普通なら、「不法侵入だ」とか「どこから入ったの?」とか真っ先に考えるはずなのに。今の僕は、彼女の存在を、ここにいて当然の死神として受け入れてしまっていた。
そっか。僕を迎えに来てくれたんだ。
漫画やアニメで見たことのある死神は、恐怖をあおるドクロと禍々しい死神装束が特徴的だったはずだが。目の前の彼女には一切それがない。むしろ、綺麗とか美しいとかいう単語がピッタリだ。
どうせ死ぬなら、早めに逝かせてほしいな。
そんな僕の思いとは裏腹に、彼女は微動だにしない。いや、それどころか、床に倒れる僕を見下ろしたまま、目に涙を浮かべている。ひょっとして、僕の死を嘆いてくれているのだろうか。死神だというのに死を嘆くだなんて。おかしなこともあるものだ。
ツツッと涙が頬をつたうと同時。ようやく彼女が口を開いた。
「もうお仕事嫌だーーーーー!」
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