第22話 初陣、研ぎ澄まされた刃
再集合の余韻はまだ胸に残るが、休む暇はない。
掲示板には次の依頼が既に貼られていた。簡潔な文言——
・街外れの森
・雑多な小型獣の討伐
・報酬:銀貨十枚
四人は短く頷き、準備を整えた。今回は“実力確認”の狙いもある。七日間で磨かれたものを、互いに確かめ合うための依頼だ。
*****森への道*****
木漏れ日が差し込む径を進む。空気は昨日よりも明るく感じられたが、どこか張りつめた緊張が消えるわけではない。
隊の編成は自然に決まる。前に出る者、視界を作る者、支援に回る者、そして後方の警戒。七日間で役割がより鮮明になった。
冬前の森は、昼でも薄暗かった。
枝葉が重なり合い、わずかな木漏れ日だけが地面を照らしている。
足元の枯れ葉が、かすかに――鳴った。
「……いるな」
先頭を歩くレオンが、低く告げる。
その声に、全員が自然と足を止めた。
次の瞬間――
茂みが弾け、汚れた小柄な影が三つ、飛び出してきた。
「ギギッ!」
短く甲高い声。
粗末な棍棒を持ったゴブリンが三匹。左右と正面から、挟み込むように散開する。
「三体! 陣形そのまま!」
即座にレオンが指示を飛ばす。
最初に動いたのは、正面のゴブリンだった。
奇声を上げながら、一直線に突っ込んでくる。
「――来る!」
俺は一歩、前へ。
剣を低く構え、呼吸を一拍。
ゴブリンの棍棒が、頭を狙って振り下ろされた瞬間――
――幻歩。
視界が僅かに歪み、世界が半歩ずれる。
次の瞬間、俺はゴブリンの懐にいた。
「……遅い」
短く踏み込み、横一文字。
刃は確実に胴を裂き、血飛沫が宙を舞う。
最初の一体は、悲鳴すら上げられずに崩れ落ちた。
だが残り二体は怯まない。
右から一体、左から一体、同時に飛びかかってくる。
右を迎え撃ったのはクロだった。
「……来い」
低く構え、相手の動きを待つ。
ゴブリンが棍棒を振り上げた瞬間、クロは一歩だけ踏み込んだ。
鋭く、無駄のない横薙ぎ。
剣先が手首を断ち、棍棒が宙を舞う。
返す刃で喉元を裂き、二体目も沈黙した。
「……二体」
クロは淡々と呟いて、血を払う。
残った一体は、予想外の速さでミナの方へ向かった。
「ミナ、下がれ!」
俺が叫ぶより早く、ミナは一歩だけ後退し、杖を強く握る。
だが、レオンの動きはさらに早かった。
「間に合え!」
詠唱は一瞬。
光がレオンの掌に宿り――
ゴブリンがミナに届く寸前、聖光の衝撃が横合いから直撃した。
「ギッ――!」
弾き飛ばされたゴブリンの体勢が崩れる。
俺は迷わず前に出た。
幻歩も使わない。
真正面から――
「終わりだ!」
剣が振り下ろされ、ゴブリンは地面に縫い止められた。
わずか数十秒。
森に再び静寂が戻る。
俺は剣を下げ、深く息を吐いた。
心臓の音が、まだ少し速い。
「全員、無事か?」
レオンの確認に、全員が頷く。
「……傷、ありません」
ミナが小さく答える。
クロは倒れたゴブリンを見下ろし、静かに言った。
「前より、ずっと楽だな」
俺は、剣の重さを確かめるように握り直した。
確かに――違う。
七日間の修行は、確実に“実戦の中で生きる力”へと変わっていた。
ゴブリン三体の死骸を処理し終え、警戒を解きかけた――その瞬間だった。
レオンが、小さく手を上げる。
「……来る」
ガサッ。ガサガサッ。
藪が、三方向で同時に揺れた。
姿を現したのは――
犬のような頭部に、細く引き締まった人型の身体。
腰には皮鎧、手には短剣と棍棒。
コボルトが、三体。
「三方向から……挟みに来てる」
クロが低く言う。
三体は、明らかに連携していた。
互いの位置を把握し、こちらの陣形を“観察”している。
「ゴブリンとは違う。高度な判断力を持ってる」
レオンが静かに告げる。
そして――
「来るぞ!」
最初に動いたのは、正面のコボルト。
低く地面を蹴り、一直線に突っ込んでくる。
「前は任せろ!」
クロが前に出る。
だが、それは――囮だった。
次の瞬間。
左右の藪から、残り二体が同時に飛び出す。
狙いは――
ミナとレオンの後衛。
「くっ、読まれてる!」
「ミナ、下がれ!」
俺は即座に左へ、レオンは右へ走った。
左のコボルトが、俺に向かって跳躍。
空中で体勢をひねり、短剣を突き出してくる。
「速い……!」
剣で弾くが、力も動きもゴブリンとは段違い。
同時に――
右側では、レオンに迫る別の一体。
「させない!」
ミナが杖を振り下ろし、地面を叩く。
土が弾け、コボルトの足が一瞬、もつれる。
だが、その隙は――ほんの一瞬。
「ギィッ!」
コボルトは強引に踏み込み、レオンへ斬りかかる。
レオンはなんとか短剣で受け流すが、明らかに押されていた。
正面のコボルトは、クロと激しく打ち合っていた。
「……しぶとい」
クロの剣が弾かれる。
コボルトは低い体勢から、盾役殺しの突きを繰り出す。
だが――
「そこだ!」
クロはあえて一歩引き、突き出された腕を――斬り落とした。
「ギャァァッ!」
血が噴き出た瞬間、クロの剣は迷いなく二撃目を放つ。
首、胴、同時に断つ。
正面の一体は、絶命した。
だが、残り二体は健在。
レオン側は押されている。
ミナは後退しながら必死に援護している。
俺の目の前のコボルトは、なおも距離を詰めてくる。
「……迷ってる暇はない」
俺は、深く息を吸った。
「――
視界が歪む。
身体が“消える感覚”。
次の瞬間、俺は――
レオンを追い詰めていたコボルトの真横に立っていた。
「――今だッ!」
剣を振り抜く。
だが、コボルトは反応した。
人間とは思えぬ反射速度で、短剣をこちらに向ける。
「……っ!」
剣と短剣が、火花を散らしてぶつかる。
「ショウタ、下がれ!」
レオンの声。
その瞬間、ミナの杖が地面を打つ。
地面が弾け、コボルトの足が浮く。
「――今です!」
俺は半歩下がり、レオンが前に出る。
「聖なる光よ――!」
淡い光が、レオンの掌から直線的に放たれる。
直撃。
「ギイイィィッ!!」
動きが止まった一瞬。
俺の剣が――胸を貫いた。
コボルトは痙攣し、その場に崩れ落ちる。
残るは、俺と最初に交戦していた一体。
仲間が二体落ちたことを理解したのか、低く唸り、距離を取る。
「……逃がすな」
クロの声が鋭く響く。
コボルトは反転し、森の奥へ跳ぼうとした。
「ミナ!」
「はい!」
ミナの杖が地面を打つ。
地面が盛り上がり、コボルトの足を絡め取る。
その瞬間――
クロが一気に間合いを詰めた。
「終わりだ」
銀閃。
首が、斜めに斬り落とされる。
三体すべてのコボルトが、地に伏した。
森に戻る静寂。
俺は、剣を下ろしながら荒い息を吐く。
「……三体とも、連携してたな」
レオンが頷く。
「知性のある魔物だ。ゴブリンより、はるかに危険だ」
ミナは少し震えながらも、顔を上げた。
「……でも、止められました」
クロが短く言う。
「逃げられなかった。それで十分だ」
俺は、倒れたコボルトたちを見下ろした。
三体の牙。
三体の知恵。
三体の殺意。
それを――
今の俺たちは、全員で倒した。
確実に。
はっきりと。
俺たちは、もう“再集合しただけのPT”じゃない。
戦えるPTとして、戻ってきたのだ。
森は再び静寂を取り戻す。四人は重心を下げ、呼吸を整える。血の匂い、葉擦れ、そして互いの気配——すべてが戦いの証だ。
「無傷、とはいかないが、怪我は最小限だな」レオンが確認する。確かに、軽い擦り傷や打撲程度で済んでいる。回復も最小限の詠唱で済んだことが、連携の成熟を物語っている。
ミナがふっと笑う。まだ幼さの残るその表情には、確かな自信が宿っていた。「皆、すごかった……」と彼女は小さく呟く。クロは黙っているが、その目元には満足の色がある。俺は剣の柄を軽く撫で、仲間を見渡す。
「証拠を回収する」
レオンは冷静だった。
「耳と魔石が必要だ。ギルド提出用だ」
クロが無言で頷き、手早く作業に入る。
迷いのない動きだった。
ミナは最初こそ顔を強張らせていたが、途中で深呼吸をして、目を逸らさずに作業を見つめていた。
「……逃げないって、決めたから」
小さな声だったが、確かな意志がこもっていた。
俺も無言で、最後の一体の魔石を取り出す。
丸く鈍く光る結晶。
これが、確かに“危険な魔物だった”という証。
*****帰路*****
森を出る頃には、陽はすでに少し傾き始めていた。
行きとは違い、足取りは明らかに重い。
だが、誰も口には出さない。
街道に出た瞬間、緊張の糸が少しだけ緩んだ。
「……帰ってきたな」
クロが低く呟く。
「まだ」
レオンは首を振る。
「ギルドに報告するまでが、依頼だ」
ミナは少しだけ笑った。
「……でも、街が見えると……ほっとしますね」
俺も同じだった。
戦いの場から離れ、再び“人の世界”に戻ってきた実感が、じわりと胸に広がる。
*****ギルド*****
ギルドの扉を開けると、ちょうど依頼受付が混み合っていた。
カウンターに近づき、レオンが証拠袋を静かに置く。
「コボルト三体。討伐完了です」
受付の男が中身を確認し、目をわずかに見開いた。
「……三体? 単独PTでか?」
「はい」
レオンは淡々と答える。
周囲の冒険者たちが、ざわりとこちらを見る。
低い囁き声が、いくつも交差した。
「……あれ。新人たちだろ」
「本当にやったのか……」
受付の男は小さく一度だけ頷いた。
「確認完了だ。少し待ってろ」
手続きの間、俺たちは壁際で静かに待った。
ミナは自分の手を見つめ、何度か握りしめては開く。
クロは腕を組み、目を閉じていた。
やがて受付の男が戻り、無言で袋を差し出してくる。
「銀貨二十五枚。危険度加算込みだ」
ざわり、と空気が揺れた。
「……予想以上だな」
クロが低く言う。
「コボルトは連携個体。三体同時は評価が上がる」
受付の男は事務的に答えた。
レオンが袋を受け取り、静かに言う。
「……ありがとうございます」
*****外・夕暮れ*****
ギルドを出ると、空は夕焼けに染まっていた。
袋の中で、銀貨が小さく触れ合う音がする。
「……これが、再集合後の“最初の成果”か」
クロが言った。
「うん……」
ミナは、少しだけ誇らしそうに頷いた。
「……怖かったけど……ちゃんと、戦えました」
レオンは皆の顔を順番に見た後、静かに言う。
「今日の戦いで、はっきりした」
「俺たちはもう、“育成段階のPT”じゃない」
「実戦で、通用する」
俺はその言葉を、胸の奥で噛みしめた。
幻闘士の修行。
レオンとミナ、クロの鍛錬。
それぞれの七日間は、確実に“力”になっていた。
そして――それが、今日、形になった。
*****夜・次なる影*****
その日の夜、ギルドの掲示板には新たな張り紙が追加されていた。
紅色の封蝋。
複数PT合同指定。
レオンがそれを見上げ、静かに呟く。
「……次は、小物じゃ済まなそうだな」
俺は、無意識に剣の柄に手を置いた。
再集合後、最初の討伐は――
コボルト三体。
だが、これはただの“始まり”にすぎない。
俺たちの前に待つ戦いは、
もっと深く、もっと残酷で、
そして――もっと“選択”を迫るものになっていく。
次なる依頼は、すでに動き出していた。
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