第20話 幻闘士の弟子入り、七日間の地獄〜七日目〜

 ──朝。

 目が覚めた瞬間、胸の奥に静かな緊張があった。


 今日で、終わる。


 七日間の修行。

 生き残るだけで必死だった最初の日。

 身体が壊れるかと思った三日目。

 幻歩の輪郭を掴んだ六日目。


 そして――今日。


 支度を整えて外へ出ると、すでにアヤは庭で木剣を振っていた。

 一振り、一振りが正確で、無駄がない。


「早いな……」

「寝てられるほど、最終日は優しくないわ」


 アヤは振り終え、木剣を肩に担いでこちらを見る。


「今日の課題は一つだけ」

「……実戦、ですね」


「ええ。“死ぬ前に勝ちなさい”」


 その言葉が、妙に静かに胸に落ちた。


*****森*****


 向かったのは、街外れのさらに奥――

 人の寄りつかない、獣道すら消えかけた森。


「ここから先は、私も手加減しない」

「……望むところです」


 二人の距離は、十歩ほど。


「条件は簡単」

 アヤは言う。

「あなたが“幻歩を使って、私に木剣を当てたら勝ち”」

「当てられなかったら?」

「その時は、あなたの負け」


「……」

「負けたら、修行は“失敗”よ」


 喉が、ひくりと鳴った。


「――始め!」


 その瞬間、空気が殺気に変わる。


 アヤが動く。

 昨日まで見せた“敵役”など比べ物にならない速さ。


 視界から消える。

 左右、上下、前後。


 どこから来るか、分からない。


 第一撃。


 木剣が、風を裂いて迫る。


「――ッ!」


 俺は無意識に後退し、同時に幻歩を踏み出す。


 視界が歪む。


 次の瞬間、剣先は俺の背後を空振った。


「……!」


 成功。

 だが――攻撃に繋げられない。


 間を空けず、第二撃、第三撃。


 連続する攻勢。


 幻歩で抜ける。

 だが、抜けた瞬間に、次の剣が飛んでくる。


「……甘い」


 アヤの声が、すぐ近くで響く。


 肩口を、木剣がかすめた。


 痛みと同時に、背筋が冷える。


「考えすぎ。幻歩は“逃げ”じゃない」

「……!」


 そうだ。


 幻歩は――位置を変える技。


 逃げるためじゃない。

 ――攻めるために、消える。


 次の踏み込み。


 来る。

 右から。


 ――来た。


 俺は前に出た。


 斜め下。

 世界が歪む。


 再出現と同時に――

 俺の木剣が、振り抜かれた。


 だが、アヤはそれすら読んでいた。


 木剣がぶつかり、弾かれる。


「今のは、いい」

「……まだ、届かない」


「届かせるのよ。生きるために」


 肩で息をする。


 腕が重い。

 足が震える。


 それでも、止まらない。


 七日目。

 最後の一瞬。


 集中が、研ぎ澄まされていく。


 音が、消える。

 匂いが、遠のく。


 見えるのは――アヤだけ。


 アヤが、深く踏み込んだ。


 今までで、最速の一撃。


 正面からでは、間違いなく負ける。


 だが――


「――行く!」


 幻歩。


 完全に“消えた”感覚。


 次の瞬間、俺はアヤの――真横に立っていた。


 身体が、勝手に動く。


 木剣が、振り抜かれる。


 ――カン。


 乾いた音。


 一瞬の静寂。


 俺の木剣の先は、アヤの喉元に、ぴたりと止まっていた。


 どちらも、動かない。


 森の奥で、風が葉を揺らす音だけが響く。


 やがて、アヤが小さく息を吐いた。


「……参った」


 その一言で、全身の力が抜けた。


 膝が、震える。


「……勝ち、ですか」

「ええ。ぎりぎり、ね」


 アヤは俺の木剣を指で軽く押し下げた。


「あなたは今日、“幻闘士”として初めて、現実で勝った」


*****夕暮れ*****


 二人で森を出た頃、空は赤く染まっていた。


「これで……終わり、なんですね」

「ええ。修行は、ここまで」


 アヤは少しだけ、表情を和らげた。


「でもね、ショウタ」

「……はい」


「ここから先は、“私の教え”じゃなくて――あなた自身の戦いよ」


 その言葉は、今までのどんな厳しい言葉より重かった。


*****アヤの家*****


 家に戻ると、最後の食事が用意されていた。


 いつもと同じ、簡素な料理。

 けれど、なぜか胸に沁みた。


「七日後」

 アヤが言う。

「仲間と再集合、だったわね」


「……はい」


「死なないこと」

「それが、最初の条件です」


 アヤは小さく笑った。

「いい返事」


*****出立*****


 早朝。荷袋を背負い、剣を握る。


 扉の前で、振り返る。


「……ありがとうございました、アヤ」

「礼は、来週また“生きて帰ってきたら”にしなさい」


「……必ず」


 扉が閉まる。


 俺は、街へと歩き出した。


 七日間。


 俺は、逃げるために剣を持っていた。


 だが今は違う。


 俺は――

 仲間の帰る場所を守るために、前へ出る。


 七日後。


 再集合。


 その時、俺はもう――

 “新人の剣士”では、いない。


 こうして――

 幻闘士修行が、終わった。

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