第19話 幻闘士の弟子入り、七日間の地獄〜六日目〜

 目を覚ました瞬間、分かった。


 ――身体が、軽い。


 五日目まで、常にまとわりついていた“重さ”が、今日は不思議と薄い。

 疲労はある。痛みもある。

 それでも、昨日までとは明確に違っていた。


「……慣れ、じゃないな」


 アヤはすでに起きており、いつものように静かに朝の準備をしていた。


「今日は、幻闘士として一番“わかりやすい技”を仕上げる」

「……幻歩げんぽですね」


 アヤは小さく頷いた。


「五日間で、身体は十分“幻に馴染んだ”。今日で――完成させる」


*****訓練場跡*****


 空はどんよりと曇り、風もない。

 やけに静かな朝だった。


 アヤは木剣を地面に突き立てる。


「今日は二つだけ」

「二つ?」


「一つ。消えること」

「……」

「二つ。再出現すること」


 アヤは俺の正面に立つ。


「いい? 幻歩は“速く動く技”じゃない」

「……?」

「敵の認識から、一瞬だけ消える技よ」


 そう言って、アヤは一歩踏み出した――


 次の瞬間。


 ――消えた。


「……ッ!?」


 視界から忽然と消失し、俺が反射的に振り向いた瞬間――


「背中、がら空き」


 背後から、軽く首に木剣が添えられていた。


「……今のが、完成した幻歩」

「速すぎる……」


「“速い”んじゃない。“ずらしている”のよ、あなたの認識から」


*****午前*****


 練習は、単純だった。


「同じことを、あなたがやる」

「……無茶言わないでくださいよ」

「無茶じゃない。五日分の地獄を、何だと思ってるの?」


 まずは、一歩だけ。


 踏み出す瞬間、重心を“地面”に預けない。

 前ではなく、横でもなく、ほんの僅かに“斜め下”へ。


「……!」


 踏み出した瞬間、視界が一瞬だけ“歪む”。


 だが、すぐに元へ戻る。


「惜しい」

「……何が違うんです」

「“消えよう”としてる。違う。“消える前提で踏み出す”の」


 感覚だけの世界。

 五日間、積み上げた“立つ・避ける・斬る”すべてを、一瞬に込める。


 十回。

 二十回。

 三十回。


 失敗のたびに、アヤは無言で、木剣で俺の足元を打ち抜く。


「――今」


 アヤの声と同時に踏み出した瞬間。


 視界が――飛んだ。


 次の瞬間、俺は二歩分、前に立っていた。


「……今の……」


 背後から、アヤの声。


「消えたわ、ほんの一瞬」


*****昼*****


 昼休憩。

 だが、今日は飯を食いながらも、頭の中はずっとその“感覚”で満ちていた。


「消えたっていうより……」

「“世界から一歩、はみ出た”感じ?」

「……そんな感じです」


 アヤは満足そうに微笑んだ。

「それが、幻歩の入口」


*****午後*****


 午後は、実戦想定になった。


 アヤが木剣を構える。


「今から、私は“敵”よ」

「……」

「避けるな。斬るな。――抜けなさい」


「……幻歩だけで?」


「ええ」


 アヤが踏み込む。


 速い。

 昨日までの幻より、圧倒的に“生身”の速さ。


 正面から見ていても、間に合わない。


 ――来る。


 その刹那。


 足が、勝手に動いた。


 踏み出す。

 “消える感覚”。

 視界が、歪む。


 次の瞬間――

 斬撃が、俺の背後を空振った。


「……抜けた……!」


 心臓が、喉から飛び出そうになる。


「一回目は、偶然」

 アヤは冷静だった。

「二回目、行くわよ」


 もう一度。


 今度は――意識して、踏み出す。


 重心。

 消失。

 再出現。


 ――抜けた。


 三度目。

 四度目。

 五度目。


 成功率は、まだ五割程度。


 だが、確実に、“できている”。


*****夕方*****


 最後は、完全な実戦形式だった。


 森を模した地形。

 木の陰、段差、視界不良。


 アヤは、完全に敵として動く。


 攻撃。

 陽動。

 死角。


 それらすべてに対して、俺はただ――


 消え、抜け、立ち位置を変える。


 五分間。


 最後の一歩を踏み出した瞬間――


 アヤの木剣が、俺の頬の横を空振った。


「……止め」


 アヤは、深く息を吐いた。


「合格。あとは、実戦で磨くだけ」

「……本当に?」

「ええ。少なくとも――“死なずに抜ける技”にはなった」


*****夜・アヤの家*****


 冷水を浴びながら、俺は何度も幻歩の感覚を反芻していた。


「……幻の中を、歩いてるみたいだ……」


 夕食は、今日は少しだけ豪華だった。

 肉が多い。


「明日が、最後」

「……七日目」


 アヤは静かに頷いた。

「明日は、“成果を形にする日”よ」


*****就寝前*****


 寝台に横になり、天井を見つめる。


 明日で、修行は終わる。

 そして――七日後、仲間と再集合。


「……どれだけ、変われたかな……」


 六日目で、俺は幻歩を“使える技”にした。


 だが、まだ――

 それを“戦いの中で使い切れるか”は、別の話だ。


 最後の一日。


 そこで、すべてが試される。


 こうして――

 幻闘士修行、六日目が終了した。

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