『猛虎魔拳のブレイブ』 ~魔術を持たない凡人の転生者、努力だけで魔法学園最強を目指す~
夜乃 帳
Prolog 「少年と魔法使い」
ふと、風が頬をなでる。
その冷たい風を受けて、深く沈んでいた意識が一気に覚醒した。
状況が分からず、周りを見渡す。
「……あ?」
その直後、回転した視界に映し出されたのは、数十メートル以上離れた場所にある地面だった。
「やば──」
盛大な音と共に水飛沫が上がる。
全身に鋭く走る痛みと、水の刺さるような冷たさに翻弄され、全身が脱力していく。
(やばい……本気で死ぬ)
肺と胃の中が水で満たされていく感覚と、うるさく脳に響く泡の音を最後に、再びその意識を手放した。
・━━━━━・
「──────」
誰かの話し声が耳に入る。
沈んでいた意識は、その声に反応してゆっくりと水面に浮かび上がっていった。
「うっ……」
ようやく意識が覚醒したのと同時に、視界いっぱいに清々しい青空が広がった。
その青空の中に1人の人影が入ってくると、少しだけ飛び跳ねてから控えめに声を張り上げた。
「師匠〜! 起きたっすよ〜!」
人影は遠くにいるであろうもう1人の人影に向かって大きく手を振りながら呼びかける。
その声に反応したもう1人の人影が立ち上がるのを感じ、全身が怠い体をゆっくりと持ち上げた。
「──どうやら無事みたいだね」
「───は」
目の前の光景に体が硬直する。
起こした視界が一番に捉えたのは、空を飛ぶ無数の本に囲まれ佇んでいる、黒い帽子に豪華な服を着込んだ姿の───まさに、魔法使いと呼べるような姿の女性であった。
「魔術は初めて見たかい?」
「……魔術…?」
自分の態度に違和感を覚えたのか、その女性は空を飛ぶ本を引き寄せながら自分に問いを投げる。
その問いにも答えずにいると、少しの間顎に手を当てて考えるような素振りをしてから、真剣な表情のまま目の前の椅子に腰を下ろした。
「何があったか、話を聞かせてくれるかい?」
・━━━━━・
人の少ない道を歩いていく。
既に沈み始めてオレンジ色になっている太陽は、仕事や学校終わりの人々に帰宅を急かしていた。
「虎太郎ー!」
夕陽を眺めながら道を歩いていると、ハツラツとした声に背後から呼びかけられる。
「あっ、先輩」
駆け足で近づいてくる部活の先輩を待ってから、2人で並んで道を歩き始めた。
「この前の試合の怪我、大丈夫だったか?」
「大丈夫ですよ。今はもう全然平気です」
「なら、よし!」
それから数分はいつも通りの雑談を続けながら、ゆっくりといつも通りの道を進んでいった。
「んじゃ、俺こっちだから」
「分かりました」
川の流れる音が耳を癒す。
1人きりになったことで、少しの寂しさと心地の良い静寂がこの場にフラッと訪れた。
「……帰るか」
先輩が入っていった路地から目を離し、自分の家がある方向へ足を向ける。
その日もいつも通り、夜ご飯のことだったり、次の試合のことだったり、色々な些細なことを考えていたはずだ。
アスファルトを踏む音が上から掻き消される。
訪れた静寂はその雑音で散り散りになり、この場には場違いなブレーキ音だけが自分の鼓膜を振動させていた。
「───ぇ」
体が宙に投げ出される。
無重力だと錯覚するような、目眩のする浮遊感を全身で感じながら、力強く流れる水の音に近づいていった。
───一瞬で音が遠ざかる。
次の瞬間、視界に映し出されたのは、数十メートル以上離れた場所にある地面だった。
・━━━━━・
「……転生、だね」
確信を着くように、短く言葉を発する。
そんな非現実味を帯びた言葉を、自分───矢中虎太郎は口の中で繰り返し反芻した。
「つまりコタローは………死んでこの世界に来たってこと、っすか?」
今までの情報を整理して、人影の少女───ゲルは簡潔に虎太郎の状況を纏めあげた。
「簡単に言うとそうなるね」
ゲルの言葉を肯定するように、帽子の女性は本をめくりながら軽い口調で答える。
そんな2人のやりとりを聞いて実感が湧いてきた虎太郎は、心の中で1つ息をつくと、現実的な問題について考えを巡らせ始めた。
「……なぁ、ヒルデさん」
「なんだい」
頭の中で浮かんだ1つの疑問を、帽子の女性───ヒルデに尋ねる。
「元の世界には、戻れるのか?」
その疑問を受けたヒルデは、数回本のページをめくると、表情を変えずに虎太郎に向き直った。
「不可能だね」
「…………そうか」
心の中に残っていた小さな希望が、その一言に崩れて消える。
それと同時に、山積みになっているそれ以外の問題が津波のように頭の中を蹂躙していった。
「……悪かった。俺に付き合ってもらって」
これからの不安と恐怖を考える度に居心地が悪くなり、耐えきれずに椅子から立ち上がる。
その様子を見て、ゲルは悲しげな表情を浮かべるが、ヒルデは本を読むのを辞めずにいた。
「助けてくれてありがとな…! 恩返しもろくにできないけど、感謝はしてる」
頭の中を悟らせないように、震える表情を作り替えて精一杯の笑顔を顔に貼り付ける。
自分でも数え切れないような感情の津波に飲み込まれながら、虎太郎はゆっくりとした足取りでその場から立ち去ろうとした。
「なら」
背後から鋭い声が響く。
ヒルデは手に持っていた本を音を立てて閉じると、虎太郎の頭の内を見透かすように、透き通った蒼の瞳で虎太郎の顔を覗きこんだ。
「私の家で働いてくれるかい」
「……!」
「それを、恩返しとしよう」
ヒルデからの提案に、虎太郎は驚きながら振り返ってヒルデと目を合わせる。
その虎太郎の表情を見て、ヒルデはつり上がった瞳を優しく閉じて、子供をあやすように静かに微笑みを見せた。
「……いいん、ですか? そんな事で……」
「あぁ。いいとも」
「それとも、私と共に住むのは嫌かい?」
困惑する虎太郎に、表情を変えていないながらも、少し声を落としながらヒルデは答える。
そのヒルデの声を聞いて、虎太郎は決心したようにヒルデの前に立ち、静かに頭を下げた。
「……お願いします!」
『猛虎魔拳のブレイブ』 ~魔術を持たない凡人の転生者、努力だけで魔法学園最強を目指す~ 夜乃 帳 @Tobari_yoruno1010
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