そこになければ

藤崎 白楡

そこになければ

「蓮ってさ、おれの事好きじゃん」

 真昼間のファミレスでポテトをつまみながら、屋代芥やしろかいは余りにも唐突かつ現状に似つかわしくない言葉を発する。所謂出オチという奴だ。楠蓮くすのきれんに為す術なし。

「まあ」

「どこが好きなの?」

 芥が何を考えているのかなんて、今も今までも分かった物じゃない。かれこれ五年の腐れ縁は拗れに拗れているし、蓮にはそれを否定する材料がない。残念ながらこの世界、惚れた者が負けだと相場が決まっている。

「……ここで言わなきゃ駄目?」

「ないなら良いけど」

「は? 舐めんな」

 芥が指を伸ばしたポテトを勢い付けて掠め取る。あ、と声を零している姿にはノーコメントを貫くとして。

「変な所でガチになってくる」

「それ褒めてる?」

「月間ログイン履歴に差がありすぎる癖に、毎月ご丁寧に課金までしてギルド枠保ってる」

「それはまあ」

「真面目で馬鹿正直で、その癖怠け者」

「ぜったい褒めてない」

 こうもつらつらと並べ立てられてしまうとは。我ながらイカレている、自覚は大いにある。分かっている、分かっているが仕方ない。

「だから目が離せない」

 終わり、と締め括って烏龍茶をあおる。これが強めのハイボールだったらな、と白昼に堂々巡り。仕方ないだろう。

「そうなんだ」

 仕方ないだろう。

「そんな事よりお前さあ、なんで急に生き恥晒させた?」

 仕方ない。だって。


「蓮の口から聞きたかった。好きな人に好きって言われて嫌な訳ないじゃん」

 だって。蓮が芥に一方的な執着を見せつけているだけなのだから。

 

 なのだ、から——……?


「……お前今なんつった?」

「嫌な訳ないじゃん」

「一つ前」

「蓮の口から聞きたかった」

「行き過ぎ」

「……好きな人?」

「誰?」

「蓮以外いないけど……?」

「…………」

 片思い。一方通行。届かない妄執。音を立てて崩れる現実。頭を抱える蓮を片目に、芥は最後のポテトを頬張っていた。窓の外を見下ろせば、特急電車が通過していく。ここからでは目的地すら見えやしない。


「憧憬症候群ですね」

 家族が、友達が、恋人が、普段と違う言動をしている。明らかにそれが日頃と異なっている。インターネットに頼ればあっさりと知恵袋が並び、ろくでもないチェックシートで満点を叩き出した芥を連れてきたのは即予約制の精神科。それも、日頃眠れないだ何だと溜息を吐く、芥本人行きつけの。

「過度なストレスにより思考に差異が混じり、自分にとって都合の良い事を当たり前だと認識するとされています」

 淡々と語る医者の言葉は殆どネットで見た言葉そのものであり、同時に芥が「正常ではない」事を理解する。当たり前だ。蓮はともかく、芥は知り合ってこの方一度も蓮に恋だ愛だを抱いた事はない。他でもない自分が一番知っている。

「で、治るんすか?」

「病気ではなく、あくまでも一過性である傾向が強いので……しばらく安静にしていれば落ち着くのでは」

「はあ」

「ああそれと。お調べになったかもしれませんが、暫くは屋代さんの身元や行動に注意してあげてください。少なくとも屋代さんにとっては、貴方が適任な様なので」

「……つまり?」

「死なれないように」


 憧憬症候群。過度なストレスを抱えた人間の脳が自分に都合の良い幻覚や思考をもたらし、満足と興奮の果てに生への執着を放り投げてしまう。実際にここ数年で自殺者は格段に増え、その間際は仕事が楽しくなったやら悩みが消えたやらと心から幸福な顔をしているだとか。一種の安楽死だと論ずる者もいれば、厳正な処置と延命を訴える遺族もいる。甘えだとか最近の若者はだとかと説教を試みる経験豊富者も一定数いる。まあ、そりゃそうだ。

「とりあえず眠剤貰えて良かったな」

「最近飲んでないから大丈夫だと思うんだけど」

「お前の大丈夫はマジで信用ならねえ」

 蓮は知っている。芥が日頃、いかに人間社会の波で揉みくちゃになっているかという事を。シンプルに生きるのが下手なんだろう、真面目な癖に空回っては理不尽を真に受ける性格が日々の生き辛さを募らせているらしい。実際何度か破裂しているし、芥の慟哭をこの目で見ているのだから間違いはない。それでも尚よくもまあ、と言うのは御法度という事で。

「でも、これで大丈夫。蓮がいれば大丈夫」

 自分を見る目。瞳に光を灯して、楠蓮という存在を認識している恋慕の色。願った事がない、といえば嘘になる。なるけれど。

「……どうにもならねえ事は、どうにもならねえんじゃなかったのかよ?」

 世界に潰され、世界に潰される自分を潰し、何もかも拒んだ虚ろな瞳に慣れ過ぎている。だからこそ異常。望みは呪い。その癖目が離せない。無理だ、と泣き叫ぶ姿を見せるのはいつだって、他でもない蓮にだけなのだから。

「どうでもいいよ、それはもう」

 晴れやかな顔。目を合わせれば口角を緩める表情。夕焼け。帰り道。

「だって、これで死ねるから」

 光の灯る瞳は濁っている。芥は気が狂っている。それを蓮は知っている。

「……泊まってっていい?」

「え。いいの?」

「最期くらい良いだろ」

「最期じゃなくても泊まるじゃん」

「それはそう」

 やってられねえ。湿気た綿飴が喉に張り付く感覚を噛み潰して、蓮は乾いた笑みを落とした。


「これでよし」

 ざらざらと錠剤を飲み込んだ芥は、目の前に蓮がいるにも構わずごろごろと布団に寝転んでいる。埃の被ったゲーム機、冷蔵庫、敷布団。以上。相も変わらず殺風景な彼の部屋は、今の芥にどう見えているのだろうか。

「眠れそうか?」

「どうだろ」

 伸びをする芥を尻目に、蓮は度数の高いチューハイをあおる。やってられねえ、と心の中で零したのは何回目だろうか。

「けど、シフト飛ばしたのは悪かったかも」

「快諾してくれたんだろ?」

「うーん」

 メッセージ代筆と診断書で、二つ返事に休みを取って。芥の部屋に転がっているゴミというゴミを片付けて。生前整理だ、なんて笑う彼の頭を小突いて、気付けば日付はすっかり変わっていた。


「蓮」

「ん?」

「おれと生きてくれて、ありがとう」

 瞬き。ひとつ、ふたつ、みっつ。それが本音か妄言か、どのみち蓮を酷く締め付ける。分かりやすく言うならばマジで腹が立つ。

「おれってさ、あんまり上手くやれない事ばっかで。ずっとそうだったじゃん、元カノと別れた時とかもそうだし気が付いたら手遅れになって頭の中真っ白になったりして、言いたい事も言うべき事も分からないまま全部間違えて」

「そうだな」

「言いたくなかったし思いたくなかったんだよ、おれがそんな事言ったらみんな怒るから。疲れてるのはみんな一緒だし軽々しく命を扱っちゃいけないってなんどもなんども、頑張ったのに頑張れてないからこうなって苦しくなったりもして」

「けど俺は否定しなかった?」

「そう」

 何度も聞いた。何度も見てきた。何度も引き止めてきた。手段は問わなかった。「今」という絶望を忘れさせる事くらいしか、蓮にはできなかったから。そこに愛はなくとも、出来る事など幾らでもある。芥は蓮を見てはくれないが、蓮が塗り替える術に縋りついていた。そうやって腐れ縁は拗れて、拗れて、それでも縁を切らないのは芥から目を離せないから。よくある同級生の親友——と呼べるかも分からない——が、彼にとってそれ以上もそれ以下でもない自分に対して、ただただ助けを求めてくる姿に堕ちない訳がない。いつもそうだ。芥が彼女と別れてくれて良かった。手を出せたのだから。出しただけだけども。やってられない。俺は芥を離せないし、芥は俺が掴んでいないと容易く何処かにいくだろう。それが今の自分達を自分達たらしめるものであって、それから。

「だから、れんで良かった」

 言葉数の多い口は少しずつ呂律が回らなくなっていく。白い肌に隈が目立つ、明らかに不健康なのは目に見えて分かれども……その頬はいつになく緩み切って、温度が灯っている様に見えた。

「好きだよ、蓮」

 微睡む彼に布団をかけて、長く伸びた彼の前髪を軽く整える。それで十分。

「……俺だって好きだよ」

 声は届かない。届くはずがない。だって、届ける気もなければ届く場所もないんだから。


***


 当たり前だが、憧憬症候群の患者に渡す睡眠薬の三分の二はダミーだ。処方箋にパッと見分からないような記号で判断付けているから云々と説明を聞かされ、何食わぬ顔で薬剤師を伺えば「多めに出しておきますねー」等と無味のタブレットを差し出してきた。少なくとも彼よりは薬と縁がない蓮には、説明されなければ見分けも付かないだろう。現実から目を逸らしている人間にも尚更、らしい。それがまかり通っているという事実を目の当たりにすれば、件の症候群とやらが蔓延っている事に違いはないのだろうと嫌でも理解する。良くも悪くも、現代社会は今日も淡々と回っている。

 健やかに寝て、起きて、部屋から出ないままふわふわと笑って。寝て、起きて。ずっと芥の家に居着いて。寝て、起きて。寝惚けた芥の瞳が宙に浮いているのを、ようやく蓮は覗き込んだ。

「流石に飯食え」

「……めんどくさい」

 日頃買い込んでいるらしい栄養ゼリーを啜りながら、芥は溜息を吐いた。大量に処方されたガセ眠剤は殆どなくなっている。よく計算されているものだ。

「俺が奢る」

「じゃあ行く」

「即答?」

 寝癖を手櫛で直してやって、特段拒まず芥は目を瞑り、開き。蓮に視線を向ける。


「れんっておれの事好きだよね」

「……まあ」

「なんで?」

「手がかかるから」

「それ褒めてる?」

 カーテンから差し込む日差しは眩しい。心身の健康の為に朝日を浴びましょう、とはよく言ったものだ。

「お前も俺の事そこそこ好きだろ」

「え、別に……」

「知ってた」

 夢は覚める。それでいて、悪夢の方が現実より幾許もマシだったりする。

「嫌いではないよ、じゃなきゃ泊めてない」

「……さようで」

 あの蕩けた笑みはもう見られないのだろう。いや、見られない方が良いんだろうけども。後悔や物悲しさはない。そこになければない。生きていたくない事とさっさと消えてしまう決意は、残念ながら似て非なるものである。それを蓮はずっと見てきた。これからも、恐らく。

「て言うか、好きだったられんの人誑しを許してないよ」

「知らねえ、寄ってくるやつが悪い」

「刺されないでね」

「……善処はする」

 最愛の人に此方を向いて貰えないから、鬱憤を晴らす手段は問わない。かといって、最愛の人に此方を向かれる事はどう頑張っても「異常」だったのだ。


「生きるのって面倒くさいね」

「お前の方が面倒だけどな」

 残念ながらこの世界、惚れた者が負けだと相場が決まっているのだから。

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