第18話 ◆アレックスの決意


 ──ヴィンセント、か。


 シェリルの背を見送りながら、心の中でその名を反芻はんすうする。奴の不敵とも言える笑みも一緒に浮かび、苛立ちすら覚えた。


 あいつがシェリルに近づいたのは、パーティーが始まったばかりの頃。

 肩をぶつけたのが発端だったが、あれは明らかにわざとだ。距離があるせいで二人の会話の内容は聞こえない。それでも、ヴィンセントの動きは目に焼き付いている。

 要注意人物──あの笑みとあの手つきは、何か企んでいる者の所作だった。


 そして、ダンスが終わりバルコニーでの一幕。

 いつも以上に綺麗なシェリル。あの髪飾りが星空の下で輝き、嬉しさと独占欲から思わず抱きしめてしまった。そのまま首筋にキスをしたのは、少しやりすぎたかもしれない。

 けれど、あのときの──頬を赤らめ、わずかに潤んだ茶色い瞳をこちらに向ける、含羞の色を浮かべた表情。思い出しただけで、ぞくりと一筋の快感が走る。あの瞬間、俺は理性よりも衝動に身を任せてしまったのだ。


 すると案の定とでもいうべきか、シェリルは脱兎のごとくフロアから立ち去って行った。少しおかしくて、思わず笑みがこぼれる。

 だがその後ろ、シェリルの跡をつけるように金髪の男がフロアから出て行った。まずい──そう思ってバルコニーを抜けてすぐ。「アレックス卿」と声をかけられた。


「これは、ホープ家公爵様」


 丁寧に腰を折った。相手はウィンストン家に並ぶ大貴族、無下にはできない。心の中で舌打ちをしながら、屈託のない笑顔を浮かべた。


「素敵なダンスでしたな」

「お褒めに預かり光栄です」

「あれが未来の奥方ですか? 可愛らしいお嬢さんだ」

「ありがとうございます」


 早く終わらせたい。その一心だった。


「その妻が人酔いしたと、いま外の空気を吸いに行ったところなんです」

「それはまた」

「夫として心配ですので、様子を見に行こうかと」

「そうでしたか。引き留めて申し訳ない」

「いえ。お気遣いありがとうございます」


 公爵が立ち去ったのを見届けて、早足に廊下まで進んだ、が。


 ──遅かったか。


 シェリルとヴィンセントはすでに接触していた。

 彼女の肩を抱き寄せ、二人の間に割って入ると、ヴィンセントはすぐに身を引いた。

 シェリルは「大丈夫だ」と言っていたが──なにかあったことは間違いない。そのすぐあと。

 

「見つけた! シェリルちゃん!」


 聞き覚えのある能天気な声が聞こえて、一気に気が緩む。

「おやすみなさい」と告げたシェリルを見届けたあと、母上は「うふふ」と気味の悪い笑みを浮かべながら、にやりとこちらへ視線を投げてきた。


「今日のシェリルちゃん、とっても可愛かったわよね。アレックスも偽装なんてやめて、早く婚約しないと誰かに取られちゃうかもしれないわよ」

「余計なお世話だ」


 深く息を吐く。だが、母上とこうして二人きりになれたのは、むしろ好機かもしれない。


「母上。近々、王都中央記録局に行く予定は?」

「王都中央記録局? んー、そうねえ……来週辺りに顔を出そうかとは思ってたけど」


 王都中央記録局──国民のありとあらゆる情報が収集されている場所。出産や婚姻、死の報せから、税や財産の明細に至るまで。それこそ、人ひとりの人生の始まりから終わりまでを記録したような紙束が、その建物に積み上げられている。


「エミリーと次の茶会の約束でもしようかなって」


 呑気な口調でふふっと笑う母上を見やり、心の中でため息をついた。だが、この人の社交の網は王都の隅々まで張り巡らされている。その縁故えんこがあれば、記録局への道も開ける。

 

「俺も別で行く。息子が尋ねると手配しておいてほしい」

「あらまあ、珍しい。どうしたの?」

「……少し、調べたいことがある」


 母上はしばし俺の顔をまじまじと眺め、ふっと目を細めた。そして、なにかに思い当たったように、先ほどよりもさらに深くにんまりとした笑みをしてみせる。俺の目的を見透かしたかのような笑みだ。

 

「いいわ、わかった」

「頼む」

「かわいい息子と、未来の娘のためだもの」


 やはり、察しているらしい。

 その笑顔が少し癪に触ったが、母上の力を借りなければ王都中央記録局で個人情報を調べるなど到底できはしない。自分一人でどうにかできないのは悔しいが、今はそれを頼る他なかった。


「エミリーには、ちゃんと伝えておくから」


 軽やかにそう言った直後。「でも……」と続けた母上の声音は一変して低くなり、顔からも笑みが引いていた。

 

「慎重に動きなさい。国の管理下にある記録局の文書に触れる……。万一にも“私用で情報を漁った“と露見すれば、たとえウィンストン家の人間だとしても、ただでは済まない。その覚悟を持つのよ、アレックス」

「ああ」


 リスクはもとより承知だ。シェリルのために進むべき道は一つしかない。

 バルコニーでの記憶が脳裏をよぎり、心臓がわずかに速まる。単純で、わかりやすくて、たまに阿呆だと思うこともある。それでも、彼女の甘い匂い、柔らかい肌、耳まで赤くして恥じらう顔──それを、俺ではない他の男に奪われるくらいなら。

 危険を覚悟の上で、確実に目的を果たす。決意と昂ぶりを抱えつつ、俺は静かに次の行動を思い描いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る