翔楼の章

奇妙な遭遇 気づかぬ再会

 ーー*木之橋きのはし翔楼かける*ーー


 その日は、辟易するほどの過酷な猛暑だった。

 炎天から降り注ぐ熱射の中では、ただの光すら肌を突き刺す凶器に成り果てる。

 畏日いじつの下では目を開けるのもやっと。

 終いには、せみやかましい不協和音ふきょうわおん

 自然の猛威に五感を潰され、本当に気が滅入る一日だった。


…暑い、熱い、アツい…。

 

 唯一の救いは、多少風が吹いていることくらい。朝と昼とで、まだ寒暖の差があり、早朝に厚着で外出した自分が今更ながら怨めしい。

 

……これが天罰か。

 

 思考がままならないせいか、そんな世迷い言を心内で口走る。この程度で天罰などとは、自分でも情けなくなってくる。だけど、これが神様の与える罰だと言うのなら、僕は甘んじて受け入れなければならない。


「もう…ちょっと…」


 悲愁と後悔、そして懺悔。

 清潔なコンクリートの道を進むに連れて、そんな思いが胸に重くのしかかる。


「ほら来た!来た来た来た!やっぱり来てくれた!」


 歓喜に満ちたような声が、風と共に微かに耳の中をくぐり抜ける。ふと気になって足を止め、周囲を見渡すが、それらしき人影は無かった。

 思い過ごしだったかと、向き直って再度足を進めた。


「気のせいか…」

 

 両手にはリコリスにバラ、スターチス。特別な花言葉を詰め込んだ大きな花束を両手に携えて、立ち並ぶ墓石をひとつ、またひとつ通り過ぎていく。


「ここだ…」

 

 そしてひとつの墓の前で足を止め、霊標へと流れるように視線を向けた。

 ここに来る間際、何度も『嘘であってくれ』と願ったが、現実は容赦がない。

 『日野■■』

 霊標に彫られた、親愛なる人の名前。

 ずっと感じていた夏の暑さも、不思議と冷ややかに感じてしまう。

   

 ここに足を運ぶのは、正直躊躇ためらった。来てもどうせ、どうしようもない現実に打ちのめされてしまう。

 でも同時に、行かなければという強い思いもあった。何故ならこの場所が、彼女に会える唯一の場所だから。


「今だ!キューティクルスリスリ作戦決行!この愛くるしさに胸を打たれて、翔楼は私を連れて帰ってくれるに違いないよ!」


「ひさしっ、ん?なんだ?」


 『久しぶり』と呟くよりも先、柔らかい感触が足首をフワッと撫でた。

 なんだろうと思い、視界をさえぎっていた花束を片手に持ち上げ、足元の正体に視線を落とす。

 するとそこには、ほっそりとした黒猫が愛嬌たっぷりにすり寄ってきていた。


「さぁ!私を持って帰るんだ!そして飼え!飼うんだー!」


「………」


 一旦深呼吸して気持ちを落ち着かせる。

 スーーーハーーー。

 うん。これも夏の暑さのせい。きっと疲れてるんだ。気のせい…絶対に僕の気のせいだ。


「ほ~れ、スリスリ~。可愛いだろ~」


「うわっ、気持ちワルッ!」


「え?」


 気のせいだと思ったのも束の間。平然と喋り続ける猫に僕は驚いて尻込みした。


「ね、猫が…喋った!」


「私の言葉が分かるの!?ていうか気持ちワルってなんだ!失礼な!」


 驚いたのは僕だけじゃない。猫も信じられないと言った様子で瞳を大きく見張らせていた。


「話が違うじゃん!ナナシさんの嘘つき!」


「めちゃくちゃ流暢りゅうちょうに喋るじゃないか。なんだコイツ…」


 人語を解する、いかにも気味の悪い猫。

 それはブツブツと一人言を呟くと、突然スッと瞳を細めて威厳のあるオーラをかもし出した。


「やぁ、青年。吾輩が何者か知りたいのかい?」


「おい、最初から全部聞こえてたんだぞ。今更キャラを取り繕っても手遅れだ」


「むっ」


 面白いくらいに表情ゆたかな猫は、指摘された途端にギュと眉と猫髭をしかめた。

 化け猫なのは間違いない。

 それに聞き違いじゃなければ、僕の名前を口にしていた。コイツの目的がなんであれ、僕に用があるの事は間違いない。


「おい化け猫。どうして僕に近づいた。お前は何者だ。正直に答えないと保健所に相談するぞ」


「ニャ二!?」


 高圧的な態度に臆したのか。あるいは脅迫紛いの物言いに恐れをなしたのか、猫はまた独りでブツブツと呟き出す。一匹で作戦でも立てているのだろうか。

 しばらくして、猫は仕方ないといった様子で顔を上げ、淡々と口を動かし始めた。


「分かったニャ。正直に話すニャ。驚くでニャいぞ。実は吾輩、こう見えて異界の神様なのニャ」


「異界?神様?それで?その神様が僕に何の用だ」


「リアクションそれだけ?つまらないニャー」


 薄い反応に猫は肩を落としたが、気を取り直して続けた。


「頼まれたのニャ」


 頼まれた。つまり依頼人がいるというわけか。

 

「で、その依頼人っていうのは誰なんだ?」


 怪訝に問う。

 すると猫は、答え合わせでもするかのように『日野』の墓をまっすぐに見つめた。


「その墓の娘に頼まれたのニャ。『真実が知りたい』『翔楼の本当の気持ちが知りたい』と…」


 思考が遅れ、眉間にしわが寄る。


「は?意味がわからない。死後の世界とでもいいたいのか?」


 猫はコクリ頷いた。

 隠しきれない動揺をなんとか抑え、僕は重くなった口を強引に開ける。


「だ…だったら、依頼人は■■かのじょだっていうのか?」


 震える問いに、猫はもう一度コクリと頷いた。

 信じられない。馬鹿馬鹿しい。

 しかし…しかしだ。

 すでに猫が喋っているという浮き世離れした現実が、確かに目の前にある。

 いや…僕が見ている幻という可能性も捨てきれない。

 だとしても。もし本当のことだとしたら…。

 猫の言ったことが、すべて真実だとしたら…。

 そう思うと目頭が熱くなった。

 

「じゃあ…死後の世界で、■■かのじょは元気にしているのか?」


「うん。今も元気一杯だよ」


 その言葉に、滝のように涙が溢れた。

 

 ー


 持ってきた花束を墓に添える。

 彼女が好きそうな花を厳選したんだ。だけど残念なことに、彼女が一番好きだと言っていた花は、見つけることができなかった。

 …シーズンだって言うのに、もう少し時間があれば手に入れられたのかな…。

 でもこれで、怒った彼女に花束を突き返されることはないだろう。そもそも、そんなことをする女性ではないのは、僕が一番よくわかっている。

 多少予期せぬ事態に見舞われたけど、ここに来た目的は達成された。

 墓参りを済まし、そのまま駐車場へと足を進めると、その後ろから例の怪異がトコトコとつけてくる。

 

「あっ!ちょ、待つのニャ。まだ話は終わってないニャよ!」


「悪いが、僕は何も喋る気はない」


「ずるい!吾輩は答えたのに!」


「社会勉強になったね、神様」


「フニャー!」

 

 器用に頬を膨らませる猫を、のらりくらりと嘲笑あざわらう。すると猫は僕の歩みを遮るように行く手に立ち塞がり、深々としゃがみ込んだ。

 その姿はまさに、洗練された土下座のようで…

 

「じゃ…じゃあお願いがありますのニャ」


「なんだ?改まって…」


「吾輩を飼って欲しいのですニャ」


 …図々しいなコイツ。


「お願いしますニャ~。吾輩…この姿に受肉してからというもの、まともな食料にありつけてないのニャ。もうゴミ箱を漁る惨めな生活は嫌なのニャー」


 …アライグマ見たいながら生活送ってるな。

 …神なのに…。いや猫か…。


「頼むニャ~。誰も吾輩の言葉が分からないからずっと困ってたのニャ~。こんなチャンスきっと二度来ないよ~」


 自称、神の威厳は何処へやら。媚びへつらうような無様な姿に、開いた口が塞がらない。


「そう言われてもな。僕にも予定があるんだが…」


 ポリポリと頭を掻き、どうしようかと思い倦ねた。

 別に猫が嫌いって訳じゃない。ただ近々、用事で家を長く空けなければならない。飼ったとしても、面倒を見てやれないのだ。

 

「うえ~ん、お腹すいたよ~。あったかいご飯が食べたいよ~。うえ~ん」


 猫は悲痛な声で鳴き、チラチラと僕の顔色を伺い始めた。その様子はいかにも演技がかっている。同情を誘う手段に出たのだろう。細目を開けて、僕が手を差し伸べるのを今か今かと待っている。


「はぁ~」


 同情の余地があるので、内心で揺らいでいる自分がいた。信じていいか判断に迷うところはあるが、コイツは■■彼女のために動いている。

 放りっぱなしにしてポックリ逝かれても、僕的には後味が悪い。

 しばらく悩んだ挙句、


「分かったよ」


「やったーニャン!」


 猫は喜び、犬のように尻尾をブンブンと振り回した。そこにあらかじめ、期限付きだと言うことを念に入れておく。 


「ただし、僕の家に招いてやるのはいいが一時凌ぎだと思え」


「あいニャ」


「少ししたら僕は長らく家を空ける。それからは友達にお前を預けられないか頼んでみるよ」


「了解だニャ。いや~そこまで面倒みてもらえるとは思はなかったニャ。ありがたや~ありがたや~ニャ」


 猫は安心した様子で、ニャッと頬を緩ませた。


「じゃあ、車に乗れ」


 ー


 少し寄り道をしてから家に帰宅。

 僕の家を見るなり、猫は目をキラキラと輝かせた。

 まぁ、自分でも胸を張りたくなるような立派な一軒家だ。猫の興味が高ぶるのも無理はないのかもしれない


「わー!凄ーく大きな家だね!これどうしたの?」


「小さい頃に両親と住んでた家なんだ。いろいろあって、ほとんど住むことはなかったけど、ローンも完済していたし、遺産のひとつってことで僕が相続したんだ」

 

「そうなんだ~。じゃあ、早速散策を…」


 玄関をくぐるなり、猫は尻を横に振ってスタートダッシュの予備動作に入る。

 

「待て」

 

「ウニャ!?」


 すかさず猫の首根っこを掴んで、僕の眼前へと持ってくる。

 互いに睨み合い、猫は不服そうに口を開ける。


「なにするのニャ!」


「なにするのニャ!はこっちのセリフだ。人んに入るなり暴れようとするんじゃないよ。まったく…」


 呆れて大きな溜息が出る。

 客人なんだから、ちょっとは遠慮して欲しいのものだ。

 それに、


「お前…臭いんだよ」


「ニャんだと!レディに臭いとは何事ニャ!」


 鼻を近づけずとも、顔を背けたくなるような酸味のある悪臭が漂ってくる。

 ゴミを漁って凌いでたと言うし、そのせいだろう。

 猫はプンスカと頬を膨らませ、ワンワンと暴れながら文句を垂れた。その度に異臭が風に乗って運ばれて、健全な鼻をジワリと侵略する。

 鼻が捥げそうになるので、あまり暴れないでほしい。

 

「まずは風呂に入れてやる。家の探索はその後にしてくれ」


「ニャニー!」


 お風呂。

 その言葉を聞いて、猫は驚く程に大人しくなった。

 最初は猫故に、言葉を無くすくらい風呂が嫌いなのかと思ったが、そうでもないらしい。

 むしろ尻尾をブンブンと振って、お湯が溜まるのを上機嫌に待っているようだった。


「さぁ、遠慮は要らないニャ!」


 風呂が溜まるや否や、猫は浴室の床にスタンバイ。完全に身を任せるつもりのようだ。

 僕も濡れても大丈夫な薄着に着替え、早くも準備万端。猫の背後に屈み込んだ。

 …ていうか遠慮は要らないニャ!じゃねーよ。

 …誰が洗ってやると思ってるんだ。


「目を瞑ってろよ」


「は~いニャ」


 シャワーから出るお湯が程よい温度になったのを確認し、猫の後ろからジワジワと洗い流していく。

 全身をお湯にひたした事で元々ほっそりとしていた猫は、体毛がビチャリと濡れて、まるで魔法が解けたように一層細くなった。

 ぶさいく猫みたいで正直おもろい。

 そこに帰宅途中に買ってきたペット用シャンプーを数滴投下。両手で揉み込んで念入りに泡立てていく。

 

「ウニャー」


 猫は目をうっとりとさせて、なすがままに受け入れている。コイツにとってマッサージを受けているのと近い感覚なのだろう。

 尻尾。背中。手足。腹。首筋。頭と後ろから順に泡立てていくと、猫は喉をゴロゴロと鳴らして終始心地よさそうにしていた。


「はい、おしまい」


 シャンプーも終わり泡を洗い流す。すると、猫はノソノソと浴槽に這い上がり、お湯の中にパチャッと飛び込んだ。

 お湯はぬるま湯にしているので、猫が入浴しても問題はないだろう。

 

「カァ~、堪らん!」

 

 猫は浴槽の底に後ろ足をつき、頭部を湯面からプカプカと浮かべている。その表情は天にも登るかのようにフニャフニャと歪みきっていて、合間で極楽と言わんばかりの大きな息を何度も吐いた。

 もはやレディというよりも、彷彿とさせるのはオッサンだ。


「は~、いい湯だったニャ。それじゃあ、お願いしますニャ!」


 湯上がり猫の御要望に応え、タオルで全身の水気を拭っていく。乾ききらない部分はドライヤーを当て、フサフサになるまで様子見。

 すると猫の毛並みはフサフサを通り越し、フワフワの領域に達してしまった。

 これで最初の頃よりはマシになっただろう。毛並みは活力を取り戻し、悪臭も一切感じない。

 当の猫様はご満悦で、家の散策を開始すると思いきや、リビングの日当たりが良い場所で優雅に寛ぎ始めた。

 …気まぐれが過ぎる。

 …猫だから仕方ない…か。


「そう言えばお前、名前はないのか?」


 ずっと猫呼びとなると流石に不弁。神様というくらいだし、名前くらいはあるだろう。なければ僕がつけてやる。名付けなら少々自身があるんだ。


「ひ…」


 一言口にした瞬間、猫は躊躇った。

 名前を言う…それだけの事にどういうわけか視線が彷徨う。そして数秒後、猫は意を決した様子で口を開いた。

 

「ヒマワリ。吾輩の名前はヒマワリだよ…」


 向日葵……ヒマワリ…向日葵か。

 延々と太陽に微笑みかける疲れ知らずの花。

 だが時期が終われば日が沈むように萎れ、大地に己のみらいを託す。

 そしてまた時期が来れば、再び太陽と共に咲き乱れる。

 もっとも力強く、堂々とした美しい花だ。

 そして向日葵は、■■彼女が一番好きな花でもあった。

 

「良い名前じゃないか。でも神様らしい名前じゃないな」


 確かに。と、僕達は顔を見合ってクスッと笑った。

 コイツ自身、その言う自覚があったようだ。

 ひょっとしたら、名前を口にするのが恥ずかしかったのかな?

 

 ー


 ヒマワリが家に来てから二日が経過した。


「ニュニ。猫生キャットライフも悪くないニャー」


 我が物顔でどっしりとソファに寛ぎ、リモコンを器用に操作しては、テレビを見てニャラニャラと笑う、太々しい居候…ヒマワリ。

 ひょっとしてコイツは、僕に会いに来た目的を忘れいるんじゃなかろうか。

 まぁ、思い出したとしても真実を喋るつもりはない。

 それに期限だってある。


「ヒマワリお前、一週間後にはここを出ていかなきゃならないって事を忘れてないだろうな」


「分かってるのニャ。どうせ翔楼の事だし、吾輩の次の移住先は決まってるんでしょ」


 ヒマワリは余裕綽々とした様子で、当然のように言ってのける。

 …何処から来てるんだ?その信頼は…。


「まぁ決まってるけど…」

 

「流石、翔楼は仕事が早いニャ!」


「おまえなぁ…」


 この数日。ヒマワリと生活を共にして奇妙に感じたことはいくつかある。

 まずコイツは猫というより、猫の皮を被った人間に近い。まぁ一応、神様らしいしな。

 食べ物についてだが、猫用のカリカリ餌はそっぽを向いて頑なに食べようとしない。神様の舌には合わないらしい。

 では何を食べるのかというと、白米を好んで口にする。白米と少量のおかずを与えれば、すぐに満足してソファに横になるのだ。


 次にトイレだ。

 ヒマワリはトイレを見られるのが恥ずかしいらしく。まるで僕らのように、人間用のトイレで用を足す。扉の戸締り、水の流しまで完璧に。

 最初は猫用トイレに使用した形跡がなく、どうしたものかとヒマワリの体調を心配したが、便所から出てきたのを目撃して、ようやく腑に落ちた。

 しかし尻までは拭けないらしく、ムズムズするのか…ヒマワリは僕の目の届かない場所で床に尻をに擦り付けている。

 …この前、偶然見つけちゃったんだよなぁ。

 一応レディだと言うし、この件には触れないであげよう。

 もし口にしたとあれば、何をしでかすか分からない。デリカシーがないと、怒られることは間違いないだろうからな。


「あっ、そういえばアニメを録画してたのニャ。早速見よっと」


 リモコンを器用に操作して、アニメを食い入るように鑑賞するヒマワリ。

 一見すると奇妙な光景。だが慣れてくると猫だということも相まって、面白いくらいにほっこりとする。


「ニャッニャニャッニャニャ~🎵」


「ほら、少しならお菓子も摘んでいいぞ」


「おっ!すまんね~」


 ヒマワリの隣に座り、ポテチの袋を開けて机に広げる。するとヒマワリは一枚のポテチに手を伸ばし、美味しそうに頬張った。


「器用だなぁ…」


「ん?」

 

 手を器用に使う猫もいると聞くが、ヒマワリは段違いで凄い。

 まぁ、猫の姿に受肉した神様だと言っていたし、中身の知能が高ければ、これくらいは造作もないのかもしれない。


 ー


 ある日の夜。風呂上がりから、リビングに置いていたスマホを取りにいった時のこと。

 スマホを見るなり、電源が入っていたことにふとした疑念を抱いた。


「ヒマワリ。僕のスマホ触ったか?」


「ウ、ウニャー?ナニモシラナイヨー」


 テレビを見ながら、興味なさげに返答するヒマワリ。容疑者がいるとするならば、コイツしかいないのだが。


「まぁ、気のせいか」


 スマホの電源を切り忘れた。その可能性が無きにしもあらず。

 僕はスマホを机に置いて、何事もなかったようにソファに腰を下ろした。


「ん?どうしたヒマワリ」


「ナンデモニャイヨー。キニシナイデー」


「そうか」

 

 ヒマワリは表情豊な方だが、真顔の時は他の猫とあまり見分けがつかない。無表情とまではいかずとも、思考がまったく読めなくなるのだ。

 これが人間なら、さぞわかりやすかっただろうに。


「そういえばお前、神様っだって言ってたよな。なんかそれらしい力とか持ってないのか?」


 そう言葉を投げたのは、僕の単なる興味本位だ。

 神様。そう聞いて思い至るのは、この世の理に反する超常的な力…異次元の力だ。

 僕も男子の一人であって、そういった力に憧れを抱いた時もある。


「そんなの使えないニャ」


 期待に胸を膨らませていた僕に、現実を突きつける怪猫。

 それを聞いて、空気が抜けていく風船のような脱力感が僕を襲った。


「うん。まぁ知ってた」


 期待してなかったと言えば嘘になる。だがそんな力があれば、コイツも路頭に迷ってはいなかっただろう。

 するとヒマワリ。

 なにやら得意気な表情でムクリと起き上がった。


「なにか勘違いしているみたいだから教えといてあげるよ。吾輩はまったく力を持ってない訳じゃないのニャ」


「ほう」


 面白そうな話に耳が傾く。


「吾輩はこの猫の姿に受肉した時、神としての大半の力を使ってしまったのニャ」


「だから今は力が使えないと?」


「そうニャんだが…それだけじゃないのニャ」


 ヒマワリは腕を組み、目を細めて考え込んだ。

 なにやら他にも事情があるらしい。

 ていうかどうなってんの?その腕。


「どうやら吾輩の力は、この世界じゃ凄く弱くなってしまうみたいなのニャ」


「弱くなる?それじゃ今は力に制限がかかってるて言うのか?」


「そうなのニャ。ここはもともと神秘の薄い世界みたいだし、異なる次元の力を抑制してるのかも。」 


「ふ~ん、そっか。世界っていうのも複雑なんだな。それで?力が戻ったらお前はどうするんだ?」


「ニャフフ、そんなの決まってるニャ。翔楼を操って、事の真相のすべて聞き出してやるのニャ」


 言いながら、ヒマワリは悪い笑みをクツクツと浮かべた。

 おお、てっきり忘れてるのかと思ってた。

 ていうか僕操られるの?怖いんだけど。

 

「だけどニャ。力の回復があまりにも緩やかすぎて、力が使えるのはもっと先になりそうなのニャ」


「ざっとどれくらい?」


「う~ん、二週間以上先くらいかな」


 …二週間以上先か。

 その頃には、ヒマワリも新しい飼い主の元で世話になっている。

 ブラフという事も無くもないが、コイツ嘘はつけなさそうだし…僕が操られる心配はないな。


「まぁ、操るっていうのは嘘なんだけどニャ」


「嘘なのかよ!」

 

 気が緩んでいた中での言葉。僕の危機察知能力が悲鳴を上げ、ヒマワリからシュッと僅かな距離を取った。


「ニャハハ、警戒しすぎだニャ」


 そんな僕を見て、ヒマワリはひょうきんに笑ってみせた。

 その姿に気抜けして、僕はソッと定位置へと戻った。

 

「じゃあ何ができるんだよ」


「祝福を与えて、吾輩の言葉が分かるようにできるのニャ」


「やけに地味な力だな…」


「言ったでしょ。この世界内だとそれが限界なんだよ」


「ふ~ん。あれ?でも待て。というか、僕はヒマワリの言葉を最初っから理解できてたぞ?まさかすでに、僕は祝福を貰っているのか?」


「それはないのニャ。吾輩の力は戻ってないから、それが祝福ではないのは確かニャよ」


「じゃあ、この状況はなんなんだ?」


 ヒマワリは難しい表情をした。


「その件なら吾輩の友達にも問い合わせてるんだけど、今は疲れて眠っちゃってるから、どうすることもできないのニャ」


「ふ~ん。てか神様にも友達とかいるのか…」


 ヒマワリの言葉が理解できるという不思議な現状。どういうわけかなのかは、ヒマワリ自身にもわからないらしい。

 しかし、神様にも理解できない力が僕にあると思うと、ちょっとした優越感が込み上げてくる。

 まぁ、神様の言葉が分かるだけの地味な力だ。

 誇る程のものでもない。


「でも翔楼に声が届いたって気づいた時、吾輩は凄く嬉しかったニャ」


 朗らかに笑うヒマワリに、僕はキョトンと首を傾げた。


「なんでだよ」


「ニャハハ、なんでだろうね」


 ー


 ヒマワリとの生活にも慣れたところだが、それにもタイムリミットが刻一刻と近づく。

 残り二日。

 いや…もう夜中だ、日替わりが近い。

 実質残り一日だ。


 時が来れば僕は家を空け、ヒマワリは友人の家で世話になる。そういう段取りだ。

 少し寂しい気持ちはあるが、これは前々から決まっていたことだし、友人も信頼における奴だ。心配することなど何もない。


「ていうかヒマ…重い…」


 ベッドで眠りに就こうにも、腹の上に小動物一匹分の重量がのしかかって、寝苦しいことこの上ない。

 

「ウニャ?ウニャー…」


 寝惚ねぼけていたのか、それとも言葉が通じたのか…ヒマワリは腹からズルリと転げ落ち、流れるように僕の右脇へと陣取った。

 お陰で苦しかった圧迫感もなくなり、呼吸も楽になった。不足していた酸素を大きく吸い込んで、健やかな状態を満喫する。


「ねぇ翔楼…最後に教えてよ」


 反動で目を覚ましたのか、ふいにヒマワリが口を開いた。


「何をだ…?」


 薄暗闇の中…視線を動かすことに意味はなく、ただ言葉だけが宙に霧散する。


「翔楼は■■彼女の…どんなところが好きだった?」


 あまりにも唐突。だが真実を知る事こそ、ヒマワリが僕に会いに来た本来の目的だ。

 きっとヒマワリに真実を告げれば、■■彼女にも伝わってしまうのだろう。

 だけどそのくらい質問なら、答えても問題はないと僕は判断した。


「そうだな…いろいろあるぞ。笑ったところ、ご飯を美味しそうに食べてるところ、ゲームに負けて悔しがってるところ、難しい事に直面すると直ぐに変顔するところ」


「そうなの!?」


 驚きの声が上がる。変顔のところに食いついたのかな?

 ヒマワリですら想像できないだろう。手詰まりな状況で浮かべる■■彼女の表情は、二度見してしまうくらいに面白い。


「そうなんだ。自分ではどうしようもない時、毎度の如く渋い変顔をして焦ってるんだ。そういえば、彼女と仲良くなった切っ掛けも変顔だったな。テストの一週間くらい前、教科書と必死ににらめっこしてたんだ。あの時の顔は面白いのなんの。その時は声をかけるつもりなんてなかったのに、思わず声をかけちゃったんだよ」


「へ、へー。そうニャんだー…。他には?容姿とかじゃなくて内面で好きなところとかなかったの?」


 確かに容姿の事ばかり口にしていた気がする。無意識だったのかもしれない。

 これだと、僕が面食いだと誤解を招く。

 ここはヒマワリのリクエストに応えてやるとしよう。


「いっつも元気一杯で、天真爛漫に振る舞って。そして困ってる人を放って置けないところかな。僕も■■彼女のそんな性格に、何度も助けられたからね」


 『助けられた』というより『救われた』と言った方が正しいのかもしれない。■■彼女がいなければ、小中高と僕は一人ぼっちの孤独な人生を生きていたと思う。

 ■■彼女が僕の人生に、彩りのあるを灯してくれたんだ。

 

「じゃあ翔楼は、■■彼女の事が嫌いになったわけじゃない?」


「当たり前だろ」


 僕は当然のように答える。

 

「じゃあどうして…?」


 不意に返ってきたのは、悲しみの孕んだ弱々しい言葉だった。


「翔楼はどうしてみんなの前からいなくなっちゃったの?」


 それは僕が■■彼女に知られたくない、隠し通さなければならない、確信に触れるいだった。


「教えてよ、本当のことを」


 

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