第7話 初めての友達

side朝比奈零士



 九十九紗耶さんに背中を押され、校門の内側へと誘導される。


「えっと……朝比奈くんと真壁くんね? 男子はこっちです!」


 黒いタイトスカートにジャケットを着た女性、パンプスのかかとをカツカツ鳴らしながら近づいてきた。


 髪はきっちりまとめていて、唇は真っ赤。目元もばっちり化粧で決めている。


 山では見たことのないタイプ、大人の女性だ。


「私は九十九高校の保健体育担当、神崎梓カンザキアズサです。二十八歳、独身です。といっても、二人とは、まだ授業は先ね。今日はとりあえず、男子たちを安全に入学式会場までエスコートするのが私のお仕事よ」


 クールな印象に見えるが、少し気取っているように見えるのは気のせいだろうか? 都会の女性がわからないので、これが普通なのだろうか?


「男子たちってことは……他にもいるんですか?」

「いるわよ。とはいえ、この学年は全部で十人ほどね。我が校でも少ない男子だから、自覚持って私の後ろ歩くこと。わかった?」


 沙耶さんが言っていた通り、男子が少ないんだな。


「はい。よろしくお願いします」

「あ、よろしく……お願いします」


 影が薄かったが、後ろからついてきた真壁は、僕より少し緊張しているみたいで、声が上ずっていた。


 身長は百六十センチくらい、線も細くて顔立ちは女の子みたいだ。


「あっ、あの! 朝比奈くん。よろしくね」

「ああ、真壁だったか? よろしくな」


 僕たちが挨拶をすると、神崎先生は満足そうにうなずくと、くるりと踵を返した。


「じゃ、ついてきなさい」


 山で照れだって歩く猪のように、先生の後についていく。


 途中で、同じ制服を着た男子が五人、他の先生について歩いてくる。


 みんな、誰かしらの女の人にぴったりくっつかれている。


 真壁にも、戦果秋保さんがくっついていたから、そういうものなんだろうな。


 そんな光景を眺めていると、隣から小さな声がした。


「あ、あの……」


 さっきから一緒に歩いている真壁だ


「さっきは、その……ありがとう」

「え?」

「アキホ……戦果秋保に殴られそうだったでしょ?」


 ああ、あのことか。


 僕としては、なかなかに鋭いパンチだったが、優しく地面に寝かせた。



「でも、なんでお礼?」

「うん、アキホは俺の幼馴染で、昔から、俺と仲良くしたい子の邪魔ばかりしていたんだ。でも、アキホなりに守ってくれているのもわかるから、強く言えなくて。初めてアキホが負けるのを見たよ。でも、優しく倒してくれたからお礼」

「ふーん、真壁って変な奴だな。僕は殴られそうだったから止めただけだ……。でも、戦果さんって、君の幼馴染なんだよな?」


 確かに戦果さんの方が高身長で強そうではある。


 真壁の方がか弱くは見えるけどな。


「う、うん。小学校のときから、ずっと守られてて……喧嘩もめちゃくちゃ強くて。女の子同士の揉め事も、全部アキホが片づけちゃうし」


 真壁くんは、どこか誇らしそうで、どこか寂しそうに笑った。


「アキホが負けるところ……初めて見た」

「負けたってほどじゃないと思うけど……」


 こっちは怪我をさせないように気をつけていたし、倒したというより、止めただけだ。でも、周りから見れば、あれは「勝ち」に見えたのかもしれない。


「すごかったよ。アキホは女子の間じゃ有名でさ。ちょっとでも晴信に変なことしたら、戦果が飛んでくるって噂されてるくらいなんだよ」

「晴信って……真壁のこと?」

「うん」

「じゃあ真壁も、さっきの、守られてた側ってわけか」

「……うん。そうだね」


 少しだけ俯く。肩が、ほんの少しだけ震えた気がした。


「僕はアキホさんのこと嫌いじゃないよ」

「え?」

「誰かを守るために、本気で拳を握るってこと。危ない殴り方だったから止めたけど……自分の信念を持って拳を振るってた。真壁は守られているが、それでいいのか?」


 じいちゃんだって、仲間を守るために鍛えてきたと言っていた。


 戦果さんも、多分そうなんだろう。


 僕は英雄になりたい。戦果さんは、真壁を守りたい。


 目的は違うが気持ちは理解できる。


「すごいなって」

「……すごい?」


 真壁の横顔が、少しだけ柔らかくなった。


「うん。俺はそこまでアキホに言えない。喧嘩も強くない。でも、彼女に強くも言えない」


 そこで急に、ぐっと僕の方に身体を寄せてきた。


「俺、さっきの朝比奈くんも、すごいなって思ったんだ」

「僕?」

「男の人で、あんな風に守るとか、普通言わないよ。言えないよ。もっとお淑やかにとか、危ないことはするなとか、ダメダメって言われるから」


 真壁は、真壁なりに苦労があるのかもな。


 僕は都会で生きてこなかった。だから、ルールを知らない。


 そういう意味では、自分の常識を押し付けるのも違うな。


「ただ男だからこそ、守りたいって……ちょっと、かっこよすぎるかもね。応援はしているよ」


 真壁の頬が、薄く赤くなっていた。


 なんだろう。女の人とは違う種類の照れ方だ。


 だけど、見た目は女の人と変わらないから、真壁も守ってやった方がいい気がするしてくる。



「ありがとな。僕は英雄になりたいんだ」

「英雄?」

「ああ、弱きを助け、強きをくじく。かっこいい漢になるんだ」

「かっこいいなぁ〜。なんだか、ずるいね」

「ずるい?」


 ずるいって言われるとは思わなかった。


 真壁は、いたたまれないように視線を逸らしたあと、意を決したように僕を見上げた。


「あのさ、朝比奈くん」

「零士でいいですよ。あ、下の名前……朝比奈零士だ」

「じゃあ……零士くん」


 名前を呼ばれて、少しだけ背筋が伸びた。


 山では、フルネームで呼ばれることなんてほとんどなかったからだ。


「俺と、友達になってくれないかな?」

「友達?」

「うん。俺、男の友達がいないんだ。アキホのおかげで、女子の友達もいないけどね。だから、その……同級生の男の子で、俺の初めての友達になってよ」


 言いながら、指先できゅっとスラックスの裾をつまむ。


 仕草だけ見たら完全に女子だ。


 でも、言っていることは真剣だった。


「もちろん、無理にとは言わないよ。零士くん、強いし、変な女子からも狙われそうだし、俺なんかと一緒にいたら、邪魔かなって……」

「邪魔じゃないよ。そんなこと気にしなくていいって。真壁。いや、晴信嬉しいよ。友達としてよろしくな」


 山では、同い年の友達なんていなかった。


 学校にはばあちゃん先生だけ。じいちゃんと山を駆け回る毎日が、嫌だったわけじゃないけど、「友達」というものに、少しだけ憧れはあった。


「僕も、友達とか初めてなんだ。よくわかんないけど……よろしくな」

「うんっ……!」


 晴信の目が、ぱっと見開かれて潤んでいる。


 次の瞬間、ふにゃっと顔が崩れた。


「もう……零士カッコ良すぎて反則だよ……。なんでそんなに真面目なの、こちらこそよろしくね……」

「え? 普通のこと言ったつもりなんだけど?」

「普通じゃないよ……普通じゃないけど……ありがとう」


 小さな声で呟いて、晴信はペコリと頭を下げた。


 そのとき、正面の扉が開いた。


「はーい、男子のみなさーん! ここからは体育館ですよ。入学式に参加します。私の指示に従ってね〜。最前列のブロック用意してますから!」


 神崎先生が、マイクを片手に手を振っている。


 体育館の中に足を踏み入れた。


 視界いっぱいの、女子。


 制服のスカートの海。ざわめきと視線が、一斉にこちらを向く。


「うわ……」


 思わず、息を呑んだ。じいちゃんとの山暮らしでは、一度にこんな人数の女子を見ることなんてなかった。

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