第9話 入学式

 side朝比奈零士


 体育館の扉が開いた瞬間、むわっとした熱気と、ざわざわした女子の声が押し寄せてきた。


 床には椅子がきれいに並べられていて、前の方のブロックにだけ、列のあいだを幅広く取ってある。


「男子は、こちらの最前列ブロックに座ってください」


 神崎先生がヒールを鳴らしながら案内する。


 最前列。体育館の真ん前だ。


 後ろを振り返ると、視界いっぱいに女子の制服が並んでいる。スカートの海。


「零士くん、こっち」


 晴信が、小さく手を振って、隣の席を指差した。


 僕らが座ると、体育館のざわめきが少し落ち着いていくのがわかった。


 前方のマイクの前に、スーツ姿の女性が立つ。


「それではこれより、私立九十九高校入学式を挙行いたします」


 事務的な声が響いた。国歌だの校歌だの、山の学校では適当だったけど、ここはちゃんとしている。起立、礼、着席。


 その一つ一つの動きが、女子が多いせいか、どこか華やかに見える。


「それではまず、学園長の挨拶です。九十九学園長、お願いいたします」


 アナウンスが流れ、ステージの袖から一人の女性が現れた。


 思わず、目がいった。髪はゆるく巻かれたセミロング。柔らかいベージュのスーツに、淡い色のブラウス。顔立ちは穏やかで、にこにこと微笑んでいる。


 柔らかな微笑みは陽だまりみたいだ。でも、その雰囲気の奥に、どこか紗耶さんと同じ匂いを感じる。


 あれが、学園長。沙耶さんのお母さんか。


「新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。九十九高校学園長の、九十九早苗つくもさなえと申します」


 声もおっとりしていて、少しだけゆっくり話す。けれど、マイクを通したその言葉は、体育館全体にしっかり届いていた。


「私立九十九高校は、この街でも、いえ、この地域でも、少し特別な学校です。優秀な生徒が集まること。勉強も、スポーツも、芸術も。さまざまな分野で、自分の力を伸ばしていける場所であること。それが、この学校の誇りです」


 女子たちの間から、小さく「そうだよね」とか「部活楽しみ」とかいう声が漏れる。雰囲気が明るいて背中越しに熱気が伝わってくる。


「そしてもう一つ。ご覧の通り、世間では女性の方が圧倒的に多く、男性はとても少ないです」


 その言葉に、体育館の空気が少しだけ変わった気がした。


「男性は、社会全体にとって、とても大切な存在です。弱いからではありません。少ないからこそ、守り、尊重し、大切にしなければならない存在だからです」


 物凄い視線を感じる。


「九十九高校は、男性にとって安心して学べる場所でありたいと思っています。そのための制度も整えています。どうか、男子生徒のみなさんは、自分が大切にされる価値のある存在であることを、忘れないでください」


 後ろから、「はーい」と小さな笑いが起こった。大切にされる、か。


「そして、女子生徒のみなさん」


 早苗学園長の声が、少しだけ真剣になる。


「ここは、あなたたちが女性としての価値を磨く場所でもあります。勉強すること。技術を身につけること。礼儀を学ぶこと。人を守る力をつけること。そのすべてが、やがて誰かを支え、守り、共に歩いていく力になります」


 学園長は、一つ一つ噛みしめるように言葉を選んでいるようだった。


「男性を、ただ追いかけるのではなく。奪い合うだけでもなく。お互いを尊重し、人として向き合える女性になってほしいと、私は願っています」


 その言葉に、体育館の雰囲気が引き締まる。


 互いを尊重して守るとか、支えるか、いい言葉だな。


「三年間は、とても短くて、とても濃い時間です。どうか、この九十九高校が、みなさん一人一人にとって、かけがえのない場所になりますように」


 にこりと笑って、早苗学園長は頭を下げた。


 拍手が沸き起こる。


 なんというか、じいちゃんとはまったく違う方向性だけど、「守る」ということについて、すごく考えている人なんだな、と思った。


「続きまして、生徒会長挨拶。二年生、生徒会長、九十九紗耶つくもさや


 名前が呼ばれ、ステージ袖から見慣れた制服姿が現れた。


 きゅっとまとめた髪。真っ直ぐな背筋。視線は一点もぶれない。


「新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。生徒会長の、九十九紗耶です」


 声は落ち着いているけれど、学園長とは違って、少し冷たさを帯びている。けれど、それが逆に安心感を与える。


 寮で見た沙耶さんは温かみのある人だったけど、学校では凛とした雰囲気がある。


「生徒会長として、すこしだけ、この学校で過ごすうえで大切なことをお話しします。まず一つ。この学校では、男性は、ただ守られる側であるだけではありません。尊重されるべき個人です」


 体育館の空気が、ぴんと張る。


「ただ珍しいから大事にするのではありません。男性が安心して学べる環境を整えることは、この学校に通う全ての生徒の責任です」


 視線が、後方の女子席をゆっくりと横切っていく。直視された女子たちは、びくっと身を強ばらせたり、真剣に頷いたりしていた。


「男子生徒への暴力、侮辱、執拗な接近行為。そうしたものは、すべて校則違反として厳しく処分されます。私が許しません」


 ……さっきの戦果秋保さんのことが頭に浮かんだ。あれが、処分ギリギリのラインなんだろうな。


 次の声は、トーンがわずかに柔らかくなる。


「この学校で過ごす時間は、自分自身の価値を磨く時間でもあります。学力、技術、戦闘能力、人間性……男性と接する機会を大切にしてください。誰かに選ばれるために自分を磨くのではなく。自分が誇れる自分であるために、磨いてください」


 その言葉は、僕にも刺さった。


 じいちゃんが言っていた、「英雄は誰かに呼んでもらって初めてだ。独りよがりになってはいかん」だから、僕もここにいるみんなに認められたい。


「最後に、男子生徒のみなさんへ」


 沙耶さんの視線が、すっと前列の僕たちの方に向けられる。


 目が合った……気がした。


「どうか、怖がらずに、自分の意見を持ってください。女だから、男だから、という理由だけで諦めないでください。この学校は、あなたたちが自分の道を選べる場所でありたいと思っています。そのために、私たち生徒会も、全力で支えていきます」


 最後に、きっぱりと言い切った。


 拍手が、学園長のときよりも少し大きくなった気がした。


 ……やっぱり、沙耶さん、かっこいいな。同じ家でエプロン姿で「お味噌汁おかわりありますよ」とか言ってる人とは思えない。


「それでは、新入生代表による挨拶です。男子代表、一年A組、朝比奈零士あさひなれいじ


 ……ん? 一瞬、自分の名前だと理解できなかった。


 体育館全体の視線が、一斉にこっちに向く。


「れ、零士くんっ!」


 隣の晴信が、ひそひそ声で肘でつついてきた。


「え? あ、俺?」

「そうだよ、早く!」


 神崎先生が、前の通路のところでにこにこしながら手招きしている。


 新入生代表って、事前に決めておくもんじゃないのか? 頭の中が真っ白になりかけたけど、じいちゃんの声が浮かんだ。


『名前を呼ばれたら、胸を張れ。男なら一度は前に出ろ』


 そうだ。こういうときに逃げたら、英雄にはなれない。


「……行ってくる」


 椅子から立ち上がり、体育館の中央を歩いていく。


 視線が、刺さるように集まってくるのがわかった。九十九紗耶さんが、マイクの前から少し横に退いた。


「ごめんなさい。今朝決めたの。でも、あなたならできると信じています」


 どうやら沙耶さんの策略だったようだ。


 僕は、学園長に一礼して、正面を向いて、もう一度、礼をする。


 それだけで生徒がざわざわと騒ぎ出した。


「えっ? 男子が挨拶してくれるの?」

「ちょっとヤバっ! 礼儀正しい」

「かっよすぎだよ。私九十九きてよかった!」

「最高!」


 いろいろな声が聞こえてくる。……原稿はない。


 それは僕の言葉を伝えてほしいということなんだろう。


 心臓がどくん、と鳴った。けど、さっきの沙耶さんの言葉が頭に残っていた。


『男だからこそ、諦めないでください』


 マイクの前に立つ。体育館が、すっと静まり返る。


 こんなにたくさんの人の前に立つのは、もちろん初めてだ。


「……朝比奈零士です」


 自分の声が、思っていたよりもよく響いた。


 女の子の視線。先生たちの視線。沙耶さんと、学園長の視線。


 全部まとめて、正面から受け止める。


「えっと……何を言えばいいんだろう」


 クスッと、女子たちの間で笑みが溢れる。


 すると緊張が解けて、じいちゃんの声が頭に浮かんできた。


 山を下りるときに決めたこと。胸の奥から、言葉を掬い上げる。


「僕は……」


 一回、深呼吸した。


「僕は、英雄になりたいです」


 体育館の空気が、一瞬で変わった。


 ざわっ、と、音が聞こえるくらいのざわめき。


「え……英雄……?」

「なにそれ……」

「男子が自分からそんなこと言うの、初めて聞いたんだけど……」


 後ろの女子たちが、ざわざわと騒ぎ始める。


 でも、もう止まれない。


「山で、じいちゃんに育てられて、小さい頃から、ずっと鍛えられてきました。走ることも、筋トレも、危ない場所から人を避難させる訓練も、たくさんしました」


 じいちゃんの笑顔が、脳裏に浮かぶ。


「じいちゃんは、いつも言ってました。男は一生に一度でいいから、英雄になるための努力をしろって。だから、僕は本気で足掻きます」


 ステージの端で、学園長が目を細めているのが見えた。


 沙耶さんは、じっとこっちを見ている。


「この街は、女の人が多くて、男の人が少ないそうです。さっき学園長先生や生徒会長も言っていました。男の人は守られるべき大切な存在だって」


 ゆっくりと女子の顔を見る。多分、全校生徒や保護者もいるのだろう。


 本当に女の人ばかりだ。僕が見ていると、ざわめきが、少しだけ静かになった。


「でも、僕は誰かを守れるようになりたいです」


 さっき、校門の前で言った言葉がそのまま口から出てきた。


「危ない目に遭いそうになった人がいたら、飛び込んで助けたい。泣いている人がいたら、立ち上がるまで支えたい。どんなに強い人でも、どんなに怖い相手でも、僕は負けないでいたいです」


 体育館の後ろの方で、小さな悲鳴みたいな声が上がった。


「なにあれ……」

「やば……」

「カッコつけすぎなのに、なんでこんな刺さるの……」


 自分でも、少し言いすぎかなと思った。


 でも、嘘はついていない。


「この九十九高校で、僕は勉強も、訓練も、仲間と過ごす時間も、全部、無駄にしないように、全力で頑張ります」


 拳をぎゅっと握って突き出した。


「いつか、本当に誰かを守れる英雄になれるように、皆さんと学ばせてください」


 最後にそう言って、マイクから一歩下がって一礼した。


 一瞬の静寂……そのあと、どっと拍手が沸き起こった。


「きゃーっ!」

「守るって言ったー!」

「ちょっと待って心臓が無理……」

「九十九、あんた……どんな男拾ってきたのよ……!」


 女子たちの声が、好き勝手に飛び交う。


 隣のブロックに座っていた晴信は、なぜか目を潤ませていた。


 ステージの上を見ると、学園長は優しく微笑み、沙耶さんは……少しだけ頬を赤くしていた。


 なんか宣言みたいだな。胸の中で苦笑しながら、ステージから降りる。


 ヒーローなんて、そんな簡単になれるものじゃない。


 でも、言ったからには、やるしかない。



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 あとがき


 どうも作者のイコです。


 一先ず、ここまでがプロローグになります。


 思いつきにしては好評だ! 嬉しいなぁー。


 応援してくれる皆様、読者の皆様、本当にいつもありがとうございます!


 頑張れる活力になります(๑>◡<๑)


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