第7話 褒められて伸びるタイプ



「それじゃ今日は打ち合わせ通りにお願いしますね、月城先輩」

「おっけー! ばっちりアピールしといてあげるから任せといて!」


 そんなやり取りを交わして、私は一人で喫茶店を出て行った。お会計は個別に、私の分だけ支払ってある。


 月城先輩はお店のマスターに頼んで、私の食器などを綺麗に片付けてもらっていた。私がその場にいた痕跡は、髪の毛一本どころか、椅子に残った体温すら消し去らなければならない。


 これからお店に現れる氷野川さんに、私たちの企てがバレてはいけないのだから――



   *



 別れさせ屋が標的を堕とすためには情報が必須――というのは間違いないが、しかし易々と相手のことを知れたら苦労はしない。


 外からチマチマ藪をつつけば、氷野川家が飼っている大蛇が牙を剥く。

 前回痛い目を見た私は、そのことを嫌というほど学んでいた。


 無駄なコストを支払い、氷野川家と真っ向から敵対するのは避けなければならない。人手を使って彼女の周囲を探るのは止めておいた方がいいだろう。


 ここは多少無理をしてでも、氷野川さん本人を直接切り崩していく必要がある。

 そのための手段として、今回は依頼人である月城先輩に協力をお願いしていた。


 私が月城先輩に話を持って行ったのは、あのハニートーストの悪夢から数日を空けた、平日の昼下がり。

 とあるお昼休みのことだった。



 私が教室に足を踏み入れると、クラスの喧騒が一瞬だけ静まり返った。

 それも当然だ。同じ敷地内にあるとはいえ、ここは後輩たちが通う中等部の校舎。

 普段私たちが生活している高等部とは建物自体が異なる。


 そんな教室の中で、ひときわ異彩を放っているギャルの姿はあまりにも浮いていて、すぐに見つけることができた。


「捜しましたよ。こんなところにいたんですね、月城先輩」

「あん……? っあれー? 雫ちゃんじゃん! どったの? うちに何か用事―?」


 月城先輩は、小柄な女子生徒と一緒に何かの作業をしているところだった。


 一つの机に椅子を二つ並べて座り、ノートを開いて何らかの文章を書き込んでいる。位置関係的に見ても、おそらくこの席は目の前の女子生徒のものなのだろう。

 勉強でも教えていたのかなと思い、邪魔してしまったことを謝罪する。


「すみません、取り込み中でした? 何なら出直しますけど」

「あー、いや、大丈夫大丈夫! ちょうど一区切りついたところだからさ! ね?」

「あ……は、はい……」


 月城先輩が同意を求めると、女の子はどこか怯えたような態度で頷いていた。

 まさかとは思うが、カツアゲとかしてないよな……? と若干の疑念を抱きながら、フォローのつもりで初対面の女子生徒に声を掛ける。


「いきなりごめんね。私、高等部一年の水瀬っていいます。ちょっとだけ月城先輩のこと借りても大丈夫? 五分もあれば済むんだけど」

「あ……えと、ゆ、雪村……小鈴、です……は、はい。もちろん。いくらでもどうぞ」


 雪村さんはおずおずと頷きながら、月城先輩の背中を押して私に差し出してきた。

 軽くお礼を伝えて、月城先輩と共に廊下に出る。

 二人になれる場所を探して歩いていると、月城先輩が後ろから声を掛けてきた。


「雫ちゃん、よくうちがここにいるってわかったね。探偵事務所あんなところで働いてるだけあって、人探しはお手のものって感じ?」

「普通に月城先輩の教室に行ったら、クラスの人が教えてくれただけですよ。風間さんっていうサッカー部の人だったと思いますが」

「あーあの爽やかイケメンね。倍率高いから狙うなら頑張りなよ〜」

「狙いませんよ、一回話したくらいで。どんだけ肉食系なんですか私は」


 くだらない話をしながら、ようやくひと気のない階段脇のスペースに身を寄せる。

 そこで向かい合うと、改めて本題である氷野川さん攻略の件を切り出した。


「時に月城先輩……〝ウィンザー効果〟という言葉をご存じですか」

「話の入り方きもっ‼︎」


 ――ウィンザー効果。

 情報の信憑性や人の信じやすさに関わる心理効果を表した言葉である。


 その内容を簡単に言えば、『当事者が発した情報よりも、第三者から聞いた情報の方が信頼されやすい』というものだ。


 例えばある商品について企業が自らPRを行うよりも、インフルエンサーによる商品レビューや街の口コミなどの方が購買に繋がりやすい。


 人は発信された情報について、その裏にある思惑や利害関係を敏感に感じ取り、それが信用に足る情報かどうかを見極めようとする。


 プロモーション分野などでその性質を利用されることが多いこのウィンザー効果だが、意識的か無意識的かに関わらず、人間関係においても人々が影響を受ける場面は日常の中に溢れていた。


「君はとても優秀で頼りになる人だ」と褒められるより、「〇〇さんがお前のこと『優秀で頼りになる』って褒めてたよ」と伝えられた方が、人はその褒め言葉を素直に受け取れる。


 ウィンザー効果の名前の由来となっている小説のキャラクターが発した台詞通り、いつだって最も効果を発揮するのは『第三者からの言葉』なのだ。



「……つまりうちが詩乃っちに、雫ちゃんの良いところをアピールしまくればいいわけ?」

「そういうことです。もちろん、やり過ぎにならない程度で構いませんが」


 月城先輩は一度天井を見上げると、小さく「マジか……」と呟いていた。


 私だって依頼人である月城先輩に協力を求めるような真似はしたくなかったのだが、氷野川さんと距離を縮める取っ掛かりを作れていない現状、こうでもしないと彼女の懐には入れてもらえないと判断した。


 私と月城先輩が実は知り合いだったことを(別れさせ屋と依頼人であるという事実は伏せて)氷野川さんに明かして、『ただのクラスメイト』から『恋人の友人』ポジションに無理やり引き上げる。


 そうして私への意識を改めさせた後、月城先輩に私のことを褒めてもらうのだ。氷野川詩乃の目の前で。


 私が直接アピールするより、既に信頼を得た恋人である月城先輩からの言葉の方が、氷野川さんには響くはず。

 そうやって好感度を上げてから、再度彼女と仲を深めていき、最終的に月城先輩から奪う形に持っていけばいい。


 唯一の懸念は月城先輩が私を褒めることで、『重い女』である氷野川さんが私に嫉妬の感情を向けないかということだけど……月城先輩に確認したところ、そこは問題ないとのことだった。


 月城先輩が私をいくら褒めようと、氷野川さんが嫉妬することは絶対にないという。恋人というだけあって、氷野川さんのことは私以上に理解しているようだ。


「じゃあ、次の休日に氷野川さんとデートしてきてくれませんか。そこに私が偶然を装って通り掛かりますから」

「りょーかい……はぁー、板挟みって気が重いなぁー……」

「ご負担をお掛けてしまってすみません。一応、当日はデートの前に軽く打ち合わせをして、どんな流れで二人と合流するか決めておきましょう」

「んー。そう、だね……」


 心なしか辟易としている月城先輩にお礼を伝えて、その日は解散となった。

 それから月城先輩と氷野川さんのデートの日程が決まったところで連絡をもらい、私のことを氷野川さんにどう紹介するか、詳細を詰めていく。


 やがてデート当日を迎え、月城先輩との打ち合わせを済ませた私は、喫茶店の向かいにあるハンバーガーチェーンのカウンター席からぼんやりと外を眺める。

 しばらくして、喫茶店に入っていく氷野川さんを視界に捉えると、私もゴミをまとめて席を立った。



   *



「あれ、月城先輩。偶然ですね……って、え⁉︎ 氷野川さん⁉︎」

「……おや、水瀬さん。こんにちは」


 喫茶店に入ると、元々私が座っていた席には氷野川さんが腰を下ろしていた。

 突然現れた私を見て、驚いたように目を丸くしている。


「んー? あ、雫ちゃんじゃん! ウケる、うちらめっちゃエンカすんねー!」

「そうですね。いや、それより月城先輩、氷野川さんとお知り合いだったんですか? 楽しそうにお茶してますけど」

「あー……まあ知り合いというか、何というかね。そっちは一人?」

「はい、一人で買い物でもしようかと。……え、何ですかその感じ。何か答えづらいこと聞いちゃいました?」


 私と月城先輩との間で、あらかじめ決められていたやり取りが行われる。


 喫茶店のマスターは私たちが打ち合わせをしているところから見ていたので、氷野川さんが加わった今の状況に『何かとんでもないことが始まった』的な顔をしていた。別に詐欺とかではないから、そのまま黙って見ていてもらいたい。


「別に答えづらいってことはないんだけどぉ……んー、どうする? 詩乃っち」

「……はぁ。見られてしまったものは仕方ありませんし、いいですよ、言っても。水瀬さん、あまり他言はしないでもらいたいのですが」

「え? あ、う、うん……わかった、誰にも言わない」


 思ったよりもすんなりと打ち明けてもらえることになって、私は若干まごついてしまった。

 もう少し誤魔化されたりするかと身構えていたのだけれど、案外潔く腹を決めるんだな、氷野川さん。


 しれっとした顔でマスターに「ここ、一人追加で」と伝え、月城先輩の隣に腰を下ろす。

 それからアイスコーヒーを注文した後、改めて話を聴く姿勢を見せた。


「お待たせ。それじゃ聴かせてくれる?」

「あはは、そこまで鯱張しゃちほこばって聴く話でもないんだけどね。詩乃っち、うちから言って大丈夫そ?」

「ええ、お願いします」


 うまい具合にリアクションが取れるよう呼吸を整えて、真面目な表情を作る。

 氷野川さんから許可を得た月城先輩が、やや恥ずかしそうに口を開き――


「あんねー。実はうちら、みんなに内緒で付き合ってるんだ。うちと詩乃っちはちょーラブラブの恋人同士なの」

「ええっ⁉︎ こ、恋人⁉︎ 二人がですかぁ⁉︎」


 う、いかん。今のは流石にオーバー過ぎたか。

 氷野川さんに悟られない程度に声量を抑えて、さらに話を進めていく。


「月城先輩、そんな素振り見せたこと一度もなかったじゃないですか。教えてくださいよ、水くさい」

「ごめんごめん! ちょっと色々面倒な事情があってさー。あんまり大っぴらにはできないんだよね。雫ちゃんには特別に話したけど、他の人には内緒にしててほしいなっ!」

「そうなんですね……わかりました、絶対言いません。それにしても……はー、いやいや、まさか二人が付き合ってたなんて……驚いて言葉が出てこないですよ」

「え、ウケる。そんなんなる? 詩乃っちはもちろんだけど、うちだって結構モテるんだけどなー」

「いや、別にそこを疑ったわけではないんですけど……まあとにかく、おめでとうございます、で良いんですかね。お二人が幸せそうで何よりです」

「うん、ありがとっ」


 よし、この辺でいいだろう。

 自然な流れで『二人が付き合っている』という情報は聞き出せたし、月城先輩との関係性の近さも氷野川さんにアピールできた。


 後は月城先輩が私を褒めやすいように、自然に席を外して――


「あ、すみません。ちょっと私、お手洗いに行ってきますね。外歩いてたら汗かいちゃって」

「はーい」


 鞄を持って席を立つ。

 これで氷野川さんは、私が化粧直しに行ったと思ってくれるだろう。

 多少長く席を外しても違和感は持たれないはず。


 お昼ご飯には早い時間帯ということもあって、今は他にお客さんもいない。

 もし新規の客が入ってきたら月城先輩に教えてもらう手筈になっている。


 化粧室で一人になった私は、ワイヤレスイヤホンを耳に詰めた。

 月城先輩のスマホと通話が繋がっていて、あちらの会話を拾えるようになっている。


 さあ、月城先輩。舞台は整いましたよ。

 存分に私の良さを、氷野川さんにアピールしてやってください――――



   *



「お待たせしました。アイスコーヒーでございます」


 雫さんが注文したアイスコーヒーを、マスターが運んできてくれた。

 その目は何か得体の知れないものを見るような困惑の色を帯びて、じっと私へと注がれている。


 唇の前で人差し指を突き立てながら、やんわりと微笑んで言った。


「ありがとうございます。こちらに置いておいてください」


 コツ、コツと二度テーブルを叩く。

 マスターは雫さんの席にアイスコーヒーを置くと、余計なことは何も喋らず、そのままカウンターの奥に引っ込んでいった。


 ――雫さんが月城先輩と打ち合わせを始める、そのさらに前。

 私は当然、月城先輩をこの喫茶店に呼び出して、朝から彼女への立ち回りを指示していた。


 雫さんが何を考えて私と月城先輩がいる場所に突撃してきたのか、その思惑は概ね聞かされている。

 私としても、雫さんが私と過ごす時間が増えてくれるなら有難い話なので、それを妨害しようとは思わなかった。


「いやー、言っちゃったねぇ、詩乃っち。まさか雫ちゃんが偶然同じお店に入ってくるなんて予想してなかったなー」

「そうですか。私としては、お二人が元々お知り合いだった、ということの方が意外だったのですが。同じ学校とはいえ学年も違うのに、どういうご関係なんですか?」


 声だけは和やかに会話をしているようで、私たちの視線はどちらも手元のスマホに向けられていた。


 表の会話では決してできない裏の話を、スマホの中に打ち込んでいく。


『これで満足? この役回り、頭がこんがらがって疲れるんだけど』

『まあ及第点といったところでしょうか。ただ、口調には気をつけてください。〝鯱張る〟なんて言葉、私の恋人の月城初音は使わないでしょう?』

『細か……だる……』


 月城先輩はうんざりした様子で、だらしなく姿勢を崩していた。

 それでも声色だけはしっかり月城初音を演じてくれるのだから、その辺りはやはり流石と言うべきか。


「雫ちゃんはね、うちがスマホの充電が切れて困ってた時にたまたま通り掛かって、自分のスマホを貸してくれたんだよ。で、後日学校でまた偶然会って、『あー、あの時の子じゃん!』ってなって、自然と仲良くなったってわけ」

「そうだったんですか。世間は狭いものですね」

「うんうん。正直、その時はちゃんとお礼もできてなかったから、またすぐに会えて嬉しかったな! 本当いい子だよね、雫ちゃんって!」



『いい子ですよね』

『こっちで返してこなくていいから』

『根が優しいからか、困ってる人を放っておけないんでしょうね。私も、とある事情で困っていた時、颯爽と現れた雫さんに当たり前みたいな顔で助けてもらったんですよ』

『訊いてないっつの。興味ないし』



「あとねー、雫ちゃんって頭も良いんだよ! って、それは知ってるか、同じ学年だもんね」

「ええ。うちの偏差値で学年トップを維持するのは並大抵のことではありません。そこは素直に尊敬しています」

「でもさ、それを鼻にかけるようなところが全然ないのが凄くない? うちだったら普通に自慢しちゃうけどな。どーもどーも、学年一位の月城初音でーす! つって」

「それもそれで極端な気もしますが」



『あなたも成績いいじゃないですか』

『何で知ってんの? 怖いんだけど』

『依頼した業者の評判は把握しておきたいに決まっているでしょう。それより雫さんの〝褒め〟が全然甘いです。もっと気持ちを込めて、私が唸るような新しい観点から褒めてください』

『何でアンタ側からダメ出し受けないといけないんだよ!』



「……えーっと……後輩からも人気あるんだよ、雫ちゃんって」

「ほう?」

「この前中等部の校舎で、私が知り合いといるところに偶然居合わせてさ。ちょっと話してすぐ解散したんだけど、中等部の女の子たちからキャーキャー言われてたもん。まあ落ち着いてて格好良いからね、その子たちの気持ちもわからんでもないけど!」

「そうですか……月城先輩は格好良い人の方がお好きなんですか?」

「えー? なぁに、詩乃っち妬いてるのー? あはは、可愛いなぁ。大丈夫、うちが好きなのは詩乃っちだけだよ!」

「せ、先輩……っ」



『誰ですか、その女の子たちとは』

『こっわ。教えないし知らないよ、どうせアンタ碌でもないことしかしないでしょ』

『そんなことはありません。ちょっとリストに加えておくだけです』

『デスノートでも持ってんのか』


 表でも裏でも雫さんの話題が飛び交い、順調に〝氷野川詩乃〟が雫さんに好感を抱くための素材が提供されていく。『秘密の共有』という、人と最も仲を深めるためのチートアイテムすら手に入れた。


 これで次から、私が雫さんに対して積極的に話しかけてもおかしくない状況を作れたはず。


 そう思い、口先だけをペラペラと動かしながら、内心で勝利の笑みを浮かべていると――


「あれぇ〜? わっ、氷野川さんだ〜! 偶然だね〜‼︎」


 ――雫さんの周りを飛び回る悪い虫が、喫茶店の中に紛れ込んできた。



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