広告付き彼女

江賀根

第1話

高齢者介護用に開発された人型ロボットが、技術の進歩で人間と見分けがつかないほど精巧になり、性別・外見・性格をカスタマイズできるようになった。

すると、ロボットを擬似恋人として利用する人々が現れ始めた。

ロボットは、十八歳以上であれば誰でも契約できるため、法律上の問題はなかった。しかし、一部からは倫理的問題を指摘する声も上がっていた。


「——介護以外での利用者増加を受け、政府には早急な法整備を求める声が上がっています」


うるさいんだよ。

ニュースキャスターにそう吐き捨てて、俺はテレビを消した。こっちだって生身の女のほうが良いに決まってる。それができないから必死に金を貯めたんだ。


──ついに、俺は今日、人型ロボットを契約する。

俺は予約の時間に合わせて家を出た。


携帯キャリアショップを思わせる白っぽい店内。そこで俺はタブレットの動画を見ていた。

『愛とAIのある介護〜介護ロボットのご利用について〜』という説明動画だ。

……わかりきっていることばかりで退屈だが、視聴が義務らしい。


動画が終わると、見計らったように担当の女性店員が戻ってきた。

二十代後半くらいか。


「お疲れさまでした。身分証も無事に確認が取れましたので、これからご契約手続きに入ります。まず、ご利用されるのはお客様ご自身ですか?」


「…はい」


「それではですね、こちらに書いてある内容の該当するものにチェックをお願いします」と事務的な口調で言うと、彼女はタブレットの画面を切り替えて、俺の前に置いた。


【ご利用の目的】

⬜︎身体サポート

⬜︎家事代行

⬜︎外出代行

⬜︎外出サポート

⬜︎その他


ええっと──


「一緒に外出をご希望でしたら、“外出サポート”になりますね」

俺の心の中を見透かしたように、店員が営業スマイルを浮かべて言った。来店した時点で、俺の目的はバレている。

その後も店員の案内に従いながら、一つずつ質問に回答していく。


そして最後の質問──プラン選択の画面が表示された。

介護ロボットは悪用防止のため個人所有が禁止されていて、利用にはサブスクリプション契約が一般的になっている。


「どちらのプランになさいますか?」


【ご契約プラン】

*詳細は別紙にてご確認ください


⬜︎プレミアムプラン

 ・時間無制限のご利用(同居可)

 ・費用 ¥〇〇〇万/月〜

 ※専用充電設備の設置が必要です


⬜︎スタンダードプラン

 ・月間100時間までの派遣型利用

 ・1回当たり最長12時間まで

 ・費用 ¥〇〇万/月〜


⬜︎エコノミープラン(広告付き)

 ・月間20時間までの派遣型利用

・1回当たり最長10時間まで

・費用 ¥○万/月〜

※一部サービスに制限があります


*全プラン、専用端末のレンタル料を含みます


俺はタブレットに視線を落としたまま、希望するプランを伝えた。


「……エコノミープランで」


「えっ?」

店員の営業スマイルが一瞬消えて、またすぐに戻った。


「エコノミーで、よろしいんですか?」


……なんなんだその反応は。


「エコノミープランは、ご利用時間が非常に少ないですし、時間当たりに換算すると実質スタンダードプランの方がお得です。それに——」


「エコノミーで、大丈夫です」

俺は店員の言葉を遮った。

利用者の俺がエコノミーって言ってるんだから、それでいいだろ。


「かしこまりました。それではエコノミープランで登録させていただきます」

より事務的な口調で、店員が言った。


その後、いくつか書類に署名をして契約は完了した。

最後に、店員が専用のタブレットを俺に手渡した。


「ご利用の申し込みやロボットのカスタマイズなどは、全てこちらのタブレットから行えます。電源を入れますと、最初にチュートリアルが流れますので、初期設定をお願いします」


「…はい」


「最後に、お客様はエコノミープランでご契約ですので、ご利用中にCMが流れることがあります。その間はサービスがご利用できませんのでご了承ください」


「はい、大丈夫です」


俺は、そう答えて足早に店を出た。


家に帰ると、俺はすぐに端末を立ち上げて、初期設定を行った。

そして、予め考えていた外見や性格にカスタマイズすると、最短利用日の翌週日曜で予約をした。

店員の言っていたCMは流れず、操作は問題なく進んだ。


画面の中でロボット——いや、彼女が「それでは当日までお待ちください」と笑顔で俺に頭を下げた瞬間、俺は早くも緊張を感じていた。

一週間後に、彼女がやって来る。


そこから次の日曜日までは、やけに長く感じられた。


予約の10時きっかりにインターホンが鳴った。

俺は15分ほど前から靴を履いて待機していたが、それを悟られまいと、数秒おいてから、ゆっくりと玄関のドアを開けた。


「おはようございます!愛サポートセンターから参りましたユリです。今日はケント様のお買い物をサポートさせて頂きます。宜しくお願いします!」


彼女は笑顔を浮かべたまま、丁寧に頭を下げた。


——完璧だ。

俺の理想そのもので、人間にしか見えない。

そして「ユリ」と「ケント」という自分で決めた名前が、いざ実際に耳にすると、妙に気恥ずかしい。


「こちらこそ、よろしく……」


「では、早速ですが、今日は何を買いに行きますか?」


「ええっと…」


彼女はまっすぐに俺を見つめて、返事を待っている。


「……今日はドリームランドのフリーパスを買いに行こうかと思って…」


自分の鼓動が耳に伝わってくる。


そして一瞬の沈黙の後、

「…ドリームランド——遊園地のフリーパスですね。かしこまりました!」

と言ってユリが微笑んだ。


よし、計画どおりだ。


「…じゃあ、行こうか」


「はい!ケントさん」


駅まで歩く間も、電車の中でも、ユリはずっと俺の隣にいた。

緊張でぎこちない俺の会話に、たまに噛み合わないこともあったが、ユリは終始笑顔で応じてくれた。


電車が降車駅に着くころには、緊張もだいぶ解け、俺は早くもユリに惹かれ始めていた。


駅を出ると、大通りを挟んだ向かい側にドリームランドの入場ゲートが見えた。


ゲート横のチケット売り場へ行き、券売機で大人2名分のパスを買う。すると、


「お買い上げになった商品は、私がお持ちしましょうか?」


ユリから予想外の言葉が出てきた。


…え?パスのことを言ってる?


直後、後ろに並んでいたカップルの「ロボット…?」という声が耳に入った。


「…いや、大丈夫だから、行こ」

俺はユリを誘って、すぐにその場を離れた。


サポートが仕事のユリにとっては、あれが自然な反応だったのだろう。

パスを持ちましょうか?——可愛いじゃないか。


そう気持ちを切り替えて、入場ゲートへ向かおうとしたときだった。


今度は、

「買い物が終わりましたので帰りますか?今からですとケント様宅への到着予定時刻は…」


またも予想外の言葉が出てきた。


「いや、まだ帰らないよ…もったいないし…」


ユリが一度瞬きをして俺に尋ねた。

「もったいない、とはどういう意味でしょうか?」


「これ、今日しか使えないパスだから、今から使おうと思って…」


ユリの動きが止まり、数秒の沈黙が落ちた。


「承知しました。お買い上げ商品の活用ですね。サポートさせていただきます!」


「うん、ありがとう」


俺の狙いどおりの展開となった。


入場ゲートをくぐると、視界が一気に開け、そこは多くの人々で賑わっていた。


「…なんか、寒いな」


そう言った俺に、ユリが一瞬考えて口を開いた。


「現在の気温は21度です。人間には快適な気温ですが、寒いのですか?」


——確かにそうだ。周りを見れば、半袖の子供もいる。


「いや、体は大丈夫なんだけど…手、手のひらが寒いというか、冷たいというか…」


俺は、彼女が手を繋いでくれることを期待していた。


「手が冷たいのですね。わかりました!」


そう言うと彼女は、俺の両手をつかみ、自分の顔の前へ引き寄せた。

そして「温めます」と言うなり彼女の口元から温風が吹き出しはじめた。


俺の両手がみるみる温められ、周囲の視線で顔まで熱くなる。


「現在のケント様の手のひらの温度は37.2度です。もっと温めますか?」


「いや、もう大丈夫…ありがとう」


期待どおりにはならなかった。

しかし「それは良かったです!」と言ったユリの笑顔を見ると、俺は満足だった。


——やっぱり可愛い。


「何か、乗りたいやつある?せっかくフリーパスだから」


「え?私が決めていいのですか?それじゃあ……あれに乗りましょう!」


彼女が指さしたのは、予想していなかった回転式ジェットコースターだった。


「……うん」


正直、絶叫系は苦手だが、ユリに情けない姿を見せたくない。

それに、一緒に乗れば距離が縮まるかもしれない。


自分にそう言い聞かせて、俺たちはジェットコースターに向かった。


カタカタと音を立てながら、ゆっくりとジェットコースターが動き始めた。

早くも後悔し始めている俺の隣で、ユリは嬉しそうに笑顔を浮かべている。


——こんな状況でも、可愛い。


やがて、コースターは上昇し始めた。

頂上に着いたら、そこから急降下して、そのまま一回転だ。

周囲の景色が、みるみる小さくなっていく。


——思っていた以上に、怖い。


「……これ、落ちたりしないよね…」


思わず不安を口に出してしまった。


その時——

隣のユリが、これまでより数段大きな声で喋り始めた。


「——ケント様!そんなときは、お任せ下さい!」


……え?


驚く俺に構わず彼女は続ける。


「そこのあなた!もしもの事故に備えるのであれば、ぜひアクシス保険サービスへ!

月々わずか〇〇円から加入できます!」


…故障か?


ユリに気を取られているうちにコースターは頂上へ到着し、急降下が始まった。

俺は必死に手摺を握りしめ、目を閉じて歯を食いしばる。隣からはコースターの轟音に交じって、ユリの声が聞こえ続ける。


「なんと他の保険会社から乗り換えた方の98%が満足と回答!」


降下したコースターがそのまま回転へ突っ込んでいく。


「さあ今すぐ無料相談を!」


回転を抜けると、鋭いカーブの連続で体が激しく振られる。


「電話番号はフリーダイヤル、0120…」


何を言っているんだ…


ようやくコースターのスピードが落ち始め、乗降場が近づいてきた。

ユリはまだ何かを喋り続けている。


そしてユリの「お電話、お待ちしてます!」という声が響き渡るのと同時に、コースターは停車した。


係員が驚きの表情で俺たちを見ていた。


安全バーが解除されてユリの方を向くと、彼女は出発したときと同様に、にこやかな表情を浮かべていた。


「ケント様、楽しめましたか?」


俺はユリを連れて、逃げるようにその場を離れた。


「ケント様、何かお急ぎですか?」


俺は混乱したまま彼女に尋ねた。


「…さっきの、何?」


「さっきのと申しますと?」


「いや、乗ってるときに、保険がどうとか電話番号とか言ってたよね…?」


「あれはCMです」


「CM?」


「ケント様は、エコノミープランでご契約ですよね?」


——あのときの店員の言葉がよみがえる。

『お客様はエコノミープランでご契約ですので、状況に応じてCMが流れます』


——え?


「あのタブレットで流れるんじゃないの?」


「いえ、私の口でお伝えします」


……まさか、彼女自身がCMをやるとは思ってもいなかった。


「でもさ…ジェットコースターに乗ってるときじゃなくても良いんじゃない?」

俺の声が、ほんのわずかに強くなった。


「CMは一定の条件を満たすと自動的に始まるので、私では制御できないのです。申し訳ありません」


そう言って頭を下げた彼女は、この日初めて暗い表情を見せた。

——まずい。


「…いや、別に怒ってるわけじゃないんだけど。いきなりでびっくりしたからさ…でも、もう大丈夫。なんか、ごめん…次、行こうか」

「はい!」


彼女に笑顔が戻って俺は安堵した。

たとえCMが流れようと、彼女は彼女だ。


その後、俺は保険に関する話題を避けながら、彼女といろいろな乗り物を楽しみ、園内を散策した。

ふとした瞬間のユリの仕草や視線に何度も目を奪われ、気付くと俺は彼女に夢中になっていた。


「…たくさん歩いたし、少し休んで何か食べようか?」

「充電残量は76%ですので、私はまだ大丈夫ですよ」

「いや、そうでなくて……あ、ソフトクリーム買いに行くから、サポートしてくれる?」

「はい!ケント様」


それから俺たちは売店でソフトクリームを買い、近くのベンチに腰掛けた。


「食べられるんだよね…?味はわかるの?」

「はい、体内に取り込んで成分を分析して、味をお伝えできます」

「……そっか、じゃあ、溶ける前に食べようか」

「はい!」


しばらくのあいだ、俺たちは無言でソフトクリームを食べた。

隣で嬉しそうにソフトクリームを食べるユリは、人間にしか見えなかった。


「…どう?美味しい?」

「冷たくて甘くて、とても美味しいです!」


そう言って、彼女がとびきりの笑顔を浮かべた。

——なんでこんなに可愛いんだ。


ユリに夢中で周りが目に入っていなかったが、ふと気付くと太陽はもう随分と西に傾いていた。

電車の時間を考えると、そろそろ園を出なければならない。


「…最後に、観覧車に乗ってから帰ろうか」

「いいですね!ぜひ乗りましょう!」


この無邪気さが、とても良い。

俺たちは、西陽を背に受けながら観覧車へ向かった。

俺は──ある決意を秘めて。


「はい、どうぞー」と言って係員がゴンドラの扉を開けた。

ユリ、俺の順で乗り込んで、俺は左側のシートに腰掛けた。


すると、向かいに座ると思っていたユリが俺の隣に座った。

体が密着し、人間のような感触に緊張が高まる。

隣に座るのは介護ロボットとしての特性なのだろう。

それでも俺は、言葉にできない何かをユリから感じていた。


「ケント様の心拍数上昇を検知しました。窮屈ですか?」

俺の異変を察知したユリが尋ねてきた。

「…いや、大丈夫だよ…」

このままがいいんだ。


ゴンドラはゆっくりと上昇してゆく。

夕陽によって、あらゆるものがオレンジに色づき始めていた。


「…あの、今日さ…どうだった?」

ユリが一瞬考える。

「どう、とは?私の対応に何か不備がありましたか?」

「いや…えっと……その、俺と2人で過ごしてみて、どうだったかなって…」

「ケント様のお買い物をサポートできて、とても良かったです!まだ他に購入されたいものはございますか?」


俺の期待していた答えとは違ったけど、それでも、これがユリなんだ。

そして俺は、こんなユリが…好きなんだ。


ユリは笑顔のまま、俺が次に何か話すのを待ってくれていた。

…俺は決意した。


「あのさ…俺って、これまで何やっても長続きしなくて。仕事も転職ばかりして、今はアルバイトで何とか食い繋いでる。

これまでは、それを全部まわりのせいにしてた。悪いのは俺じゃなくて、世の中のほうだって、ずっと思ってた」


俺たちを乗せたゴンドラが、一番高い地点を通過していた。

遠くに見える水平線のほうへ、オレンジ色の太陽がゆっくりと傾いていくのが見える。


「……でも、今日2人で過ごしていて思ったんだ。まず自分が変わらなきゃって。

…俺、変わろうと思う。ちゃんと就職して、もっと一生懸命働いてさ、そしたら、いつかはプレミアムプランに…」


真剣な眼差しで、じっとこちらを見つめるユリ。

その視線を受けて、俺は息が詰まりそうになる。


「ケント様!そんなときは、お任せ下さい!」

場違いなユリのハイトーンボイスが、ゴンドラ内に響いた。


「仕事をお探し中のそこのあなた!今すぐスマイルワークサポートへ無料登録を!

業界最大級の求人数から、あなたにぴったりのお仕事をご紹介!」


「………」

また始まってしまった。

ジェットコースターのときと同じで、俺の言葉のどこかに反応すると、始まってしまうようだ。


「書類の作成もしっかりサポート!面倒な手続きはすべてお任せください!

まずは無料登録!お手続きはわずか1分!」


ユリが全力で、俺にスマイルワークサポートの魅力を伝え続ける。

ゴンドラは少しずつ地上に近づいていた。


「さぁ、スマイルワークサポートで、新しい一歩を踏み出しましょう!」


ユリがそう言ったタイミングでゴンドラが到着して、係員がドアを開けた。

元に戻ったユリと俺は、ゴンドラの外へ足を踏み出した。

確かに、新しい一歩かもしれない。


観覧車を降りたあと、俺たちは人影がまばらになった園内を、出口に向かって歩いた。

入ったときには気付かなかったが、入場ゲートを逆側から眺めると『またきてね!』と書いてあった。


——もちろんだ。


遊園地を出て駅に向かう途中、俺たちは大通りの信号で立ち止まった。

「気温が15度になりましたが、手は寒くないですか?」

「え?…ああ、大丈夫だよ」

「そうですか。寒くなったらいつでも言って下さい。

温風を使わずに、私の手で温め続けることもできます」

「えっ…」


俺は思わず隣のユリの顔を見た。

それって、つまり——


「キャ——ッ!」


突然、叫び声が辺りに響いた。

声の方向に目をやると、暴走車が歩道に乗り上げており、人々が逃げまどっている。

まずい——このままだと俺たちの方に来る。

ユリは状況を理解していないのか、いつもの笑顔で俺の方を見ていた。


——俺は変わるんだ。この笑顔を、守る。


説明していては間に合わない。

俺は暴走車の進路上からユリを外そうと、体当たりを試みた。


その瞬間、ユリの衝突物回避センサーが反応して、彼女は素早く俺をかわした。

その結果、俺は自ら暴走車の前に飛び出す形になった。


宙に舞い上がり、これまで聞いたことのない音を立てて俺は地面に落ちた。


「ケント様!大丈夫ですか!

今、私の緊急通報システムで救急車を手配しましたからすぐに来ます!」


「ユ…リ…」

俺は初めてユリの名前を呼んだ。

ユリの声の方向へ手を伸ばしたいが、体が全く動かない。

…ユリに、触れたい。


「ケント様、動いてはダメです。心拍数が落ちています。

救急車はあと2分33秒で到着します。頑張って下さい!」


ありがとう、ユリ。でも…

「…俺…もう、ダメみたい……」


沈黙が続く。

…ユリ、何か言ってくれ。


「——ケント様!そんなときは、お任せください!」


ユリ……。


「社葬から家族葬まで、天寿葬祭があなたの最期をお引き受けします!

安心して旅立ちの時をお迎えください。お申し込みは——」


そんなユリの声と、近づくサイレンを聞きながら意識が遠のくなか、最後に耳に残ったのは葬儀屋の電話番号だった。

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