忍者VS河童 featuring 松尾芭蕉

久佐馬野景

忍者VS河童 featuring 松尾芭蕉

 つまらない小説は主人公が朝目覚めるシーンから始まるので、この小説は主人公が朝目覚めるシーンから始まる。

 主人公は大きくあくびをして、ベッドから身を起こす。これからモーニングルーティンを行い、朝食を食べ、身支度を調えて学校か勤務先か、またはどこか目的地に向かう。主人公は現在主人公としての情報しか有していないので、学生か社会人かそれ以外かといった設定も固まっていない。

 ガシャーン!

 主人公の部屋――一軒家か、アパートやマンションを借りているのかは定かではない――の窓ガラスが砕け散る。主人公は悲鳴を上げて窓のほうを見る。

 忍者だった。

 黒い忍装束に包まれた痩躯。背中には斜めに忍者刀を差し、身体の前で両手で印を結んでいる。

 忍者は手裏剣を投擲する。誰に? 無論、主人公に対してである。この時点で登場人物はこのふたりしか存在しない。

 主人公は眉間に手裏剣を受け、さらに忍者の刀による一閃で絶命する。

 これが忍者の役割であった。つまらないシーンに突然現れ、登場人物を皆殺しにしていく。それよりも面白いものでなければ、文章として記すことや、ましてや映像に残す価値はない。

 忍者は主命によって物語に介入することを命じられている。不満はない。だが甲斐もない。忍者が介入したシーンは、結果的にすべてボツになるからである。いきなり忍者が現れて登場人物を皆殺しにすることはたしかに面白いが、それ以上の出来のシーンを作るための捨て石でしかない。忍者は今日もこうして物語にすらならなかったシーンの主人公の命を奪う。

 さて、やることはやったので早々と立ち去る。どの世界にも属すことのなくなった忍者が己の存在を希薄化させようとしたところに、もう一度。

 ガシャーン!

 部屋中の窓という窓のガラスがいっせいに砕け散る。

「何」

 忍者は思わず驚愕の声を上げる。果たして忍者が発声したのはいつ以来であったか。

「サラァ!」

 部屋に乱入してきたのは、無数の河童たちであった。頭部には皿。背中には甲羅。青緑の体表は水で濡れ、手には水掻き。オーソドックスな、広く認知されている河童の姿だ。

 これは忍者のものほどよくは知られていないが、いきなり河童が現れて登場人物を皆殺しにするシーンよりも面白いシーンはそうそうないと言われている。

 忍者もそんな道理は知るよしもなかったが、この状況でおおよその意味するところを理解する。つまりこの河童たちもまた、己と同類であると。

 ほう。面白い。忍者は面頬の下で口角を吊り上げる。

 手裏剣を投擲。奥のほうにいた河童に突き刺さる。それが開戦の合図となった。

 忍者の術と肉体によるカラテ。河童の腕力と化け物としての強靱な体躯。それらが真っ向からぶつかり合う。

 数分後、荒い呼吸で立っていたのは忍者ひとりだけだった。

 そして主人公がベッドで目を覚ます。

 忍者は目をかっ開いて目の前の光景が移り変わっていることに気づく。河童たちの死体が山と積み上がった部屋ではなく、主人公の寝室。視点はそこに移っている。忍者は部屋の中央に立ったまましばし硬直するが、すぐさま隠れ身の術を使って姿と気配を完全に消す。

 主人公のモーニングルーティンに文字数が割かれ、そのすべてを終えた主人公が部屋から出ていこうとする。

 忍者は逡巡する。これは己が出ていく場面なのか。忍者は主命を忘れることはない。つまらないシーンに介入し、登場人物を皆殺しにせよ、と。

 そこで忍者は気づいた。

 河童が、出てこない。

 主人公は今まさに玄関で靴を履き、家から出ていく寸前である。

 だというのに、河童がいきなり現れて登場人物を皆殺しにしていない。

 これがどういう意味か。忍者はその真実に思い至り、怒りに猛り狂いそうになる。

 河童は主人公を殺しにきたのではない。

 河童は忍者を殺しにきた。

 つまり、いきなり忍者が現れて登場人物を皆殺しにすることが、いきなり河童が現れて登場人物を皆殺しにすることよりもつまらない――ということになる。

 忍者は隠れ身の術を解いて、絶叫しながら手裏剣を投擲する。怒りに任せて放られた手裏剣は主人公の頭部を貫き、一投で絶命させた。

 忍者は肩を震わせ慄然と立ち尽くす。己の使命が、存在意義がつまらないと言い放たれたことは、忍者の心を激しくかき乱していた。

「サラァ!」

 再び部屋の窓ガラスがいっせいに割れ、無数の河童が部屋に乱入してくる。

 つまらない?

 この河童たちよりも?

 忍者は今度は明確な殺意と怒りをもって、河童を皆殺しにしていく。

「――古池や蛙飛び込む水の音」

 すべての河童を殺した忍者の耳に、乾いた声が届く。

「何奴」

 忍者の誰何に、玄関のドアが開いて黒い影のような男が現れる。

「知っていますかな。いきなり松尾芭蕉が現れてすべての犯人にされることより優れたミステリはそうそうない、ということを」

 影――松尾芭蕉はそう言って笑う。

 そして主人公がベッドで目を覚ます。

 忍者はすでに、ストーリーの外に出ていた。文字になる前の不定型な行間に身を挟まれている。窮屈だが、ここが本来の忍者の居場所だった。

 忍者は主命を守ることを忘れない。であるなら、この主人公の前に忍者が現れる必要はない。

 このシーンに忍者が介入することで、連鎖的に河童の介入が起こった。それは明確に忍者の登場がつまらないこと、そしてなにより、河童を介入させてまで忍者を排す必要があることを示している。

 加えて、最後に目にした松尾芭蕉。松尾芭蕉は『ミステリ』と口にした。ならば松尾芭蕉はこの主人公がやがてミステリに呑み込まれていくことを知ったうえで、物語の冒頭に姿を現した。正確には、冒頭から主人公を殺してしまう忍者の前に。

 理解はできた。だが、納得はいかぬ。忍者が今日まで主命とともに守り続けてきた矜持を、河童と松尾芭蕉は踏みにじったに等しい。

 行間を漂う忍者は自然と本来己が殺すはずだった主人公の朝を追っていた。準備を終わらせ、部屋を出ようとする主人公。そこにまた。

 ガシャーン!

「サラァ!」

 部屋中の窓ガラスを突き破り、無数の河童が乱入してくる。異能もチートも暴力も持ち合わせていない主人公に為す術はない。河童に殺されるのが、この主人公の末路なのか。

 否。

「――皇牙おうが、推参」

 とっくに忘れたとばかり思っていた己の名を口にして、忍者はいかづちの如く主人公の前に現れる。

 この主人公は忍者が殺すはずだった。だがそれを止めるべく河童が現れた。それは主人公を助けるためではない。忍者を殺すためだ。忍者の登場と殺戮というシーンが、河童の登場と殺戮というシーンに劣ると判断された。

 であるならばそれをひっくり返すため、河童の登場と殺戮というシーンを忍者自身で上書きする必要がある。いたちごっこになりかねない逆襲だが、この場はそれでよい。

 そのうえで、これから遠く離れた場面で松尾芭蕉と出会う主人公を、河童から守り抜く。

 今の忍者の使命は明確だった。

 河童を皆殺しにした忍者は、背中に主人公の視線を感じていた。本来己が殺すはずだった、実際に何度か殺してきた主人公。だがこの主人公は、忍者も河童も似合わない世界観に生きている。だからこそ忍者が投入されたのだろうが、これ以上の介入は世界観の軸を傾けかねない。

 主人公が何事か口にしようとしかけた時にはもう、忍者は行間のあわいに姿を消している。忍者のいた痕跡はなにもなかった。河童たちの死体も、きれいさっぱり消滅している。

 主人公はしばし呆然と固まっていたが、やがて立ち上がると目的の場所に向かって部屋を出る。

 公民館で開催される「御年381歳! 松尾芭蕉のいきいき長生き講座」へと。

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