「名無しの友人」に関する取材記録
@tamacco
第1話:File_01 卒業アルバムの男
【まえがき】
本稿は、フリーライターである私(筆名:K)が、202X年の初秋から失踪直前まで調査していた一連の奇妙な出来事に関する記録である。
ことの発端は、私の運営するオカルト・都市伝説系のブログに届いた、一通のメールだった。
通常、この手のタレコミは精神的に不安定な人物による妄想か、あるいは既存のネット怪談の焼き直しであることが多い。しかし、そのメールに添付されていた一枚の画像――卒業アルバムのスキャンデータ――には、画像編集ソフトによる加工の痕跡が見られないにもかかわらず、明らかに「奇妙な点」が存在していた。
私は興味本位で、送信者である田所氏(仮名)にコンタクトを取った。
このときはまだ、これが私の生活、そして過去の記憶さえも脅かす事態に発展するとは想像もしていなかった。
以下は、取材の第一段階として行われた、田所氏へのインタビュー記録、および私の取材メモである。
取材日:202X年9月14日
場所:東京都内某所の喫茶店
対象者:田所氏(28歳・会社員)
(録音データの再生開始)
K:改めまして、ライターのKです。本日はわざわざお越しいただきありがとうございます。
田所:いえ、こちらこそ。こんな……変な話を聞いてくださって、ありがとうございます。誰に話しても「考えすぎだ」とか「記憶違いだ」って笑われるだけで。でも、僕にはどうしても納得がいかないんです。
K:メールで頂いた画像、拝見しました。あれは高校時代の卒業アルバムですね?
田所:はい。県立S高校の、僕が3年生だったときのものです。卒業してもう10年になります。
K:問題の写真は、クラスの集合写真でしたね。現物をお持ちいただいたとのことですが。
田所:これです。
(重い冊子がテーブルに置かれる音。ページをめくる音)
田所:ここです。3年B組のページ。
K:……なるほど。メールの画像でも確認しましたが、実物で見るとより鮮明ですね。何の変哲もない、高校生の集合写真に見えます。桜の木の下で、制服を着た生徒たちが並んでいる。
田所:ええ。一見すると普通です。最前列に女子が座って、その後ろに男子が三列。担任の先生が真ん中に座っています。
K:そして、田所さんが「おかしい」とおっしゃっていたのが、この生徒ですね。
田所:はい。後ろから二列目、右から四番目の彼です。
K:眼鏡をかけていて、髪は少し長め。優しそうな顔立ちですね。少し猫背で、カメラに向かって控えめにピースサインをしている。
田所:そうです。
K:彼が、どうかしましたか? 失礼ですが、心霊写真のように透けているわけでも、顔が歪んでいるわけでもないようですが。
田所:そうなんです。そこが怖いんです。Kさん、この写真の下にある、生徒の名簿を見てください。
K:ええ、出席番号順に名前が並んでいますね。
田所:数を、数えてみてください。
K:……1、2、3……全部で38名ですね。男子19名、女子19名。
田所:はい。僕たちのクラスは38人学級でした。それは間違いありません。転校生もいませんでしたし、長期欠席者もいませんでした。
K:38名。
田所:じゃあ、今度は写真に写っている人数を数えてみてください。
K:……ふむ。前列から……ええと……。
(沈黙が続く。私が人数を数えている間、田所氏はカップの縁を指でなぞるような音をさせていた。彼の呼吸が少し荒いことに気づく)
K:……39人、いますね。
田所:そうでしょう? 39人いるんです。名簿には38人しかいないのに、写真には39人写っている。
K:単純に考えれば、撮影当日に欠席していた生徒を後から合成で入れた丸枠の写真があるとか……いや、ここにはありませんね。全員がその場に整列しています。あるいは、先生が写り込んでいるとか?
田所:担任は前列中央にいます。副担任はいませんでした。
K:では、写真屋の手違いでしょうか。撮影の時だけ、別のクラスの生徒が紛れ込んだとか。高校生なら悪ふざけでやりかねないことですが。
田所:僕も最初はそう思いました。「誰だこいつ、他のクラスの奴か?」って。でも、先日行われた同窓会で、この話題が出たんです。「そういえば、アルバムに変な奴が写ってたよな」って話になったわけじゃありません。もっと、なんて言うか……自然な流れで、彼の話題が出たんです。
K:彼の話題? つまり、この「39人目の生徒」の話題ですか?
田所:はい。みんなで酒を飲んでいて、高校時代の思い出話に花が咲きました。文化祭の出し物で失敗したこととか、体育祭のリレーのこととか。その中で、誰かが言ったんです。「そういえば、あいつ、元気にしてるかな」って。
K:「あいつ」というのは?
田所:みんな、そいつの顔を思い浮かべていました。僕もです。文化祭の準備で、買い出しに行ってくれたこと。体育の時間に、足をくじいた僕に肩を貸してくれたこと。修学旅行の夜、先生に見つからないようにトランプをしたこと。……全員が、彼との思い出を持っていたんです。
K:それは……つまり、彼はクラスの一員だったということですね? ならば、名簿の記載漏れという可能性が高いのでは? 印刷ミスというのは稀にありますから。
田所:そう思うでしょう? でも、その時、同級生の一人が言ったんです。「あれ、あいつの名前、なんだっけ?」って。
K:名前を忘れていた?
田所:ええ。卒業して10年ですから、疎遠な人の名前を忘れることはあります。でも、その場にいた15人全員が、誰一人として思い出せなかったんです。顔は浮かぶんです。あのアルバムの写真の通り、眼鏡をかけて、少し猫背で、笑うと目が細くなる彼です。エピソードもどんどん出てくる。「数学が得意だった」とか「弁当の唐揚げをよくくれた」とか。でも、名前を呼ぼうとすると、喉の奥でつっかえて出てこない。
K:……奇妙ですね。あだ名さえも?
田所:はい。「メガネ」とか「ハカセ」とか、そういうありがちなあだ名で呼んでいた気もするんですが、確信が持てない。まるで、彼の名前の部分だけが、記憶のデータベースから削除されているような感覚でした。
K:それで、どうなりましたか?
田所:みんなで気持ち悪がって、その場で店員に頼んで卒業アルバムを持ってきている奴がいないか確認したんですが、誰も持っていなくて。スマホでSNSを検索しようにも、名前が分からないから探せない。結局、その場は「まあ、そんなこともあるか」と無理やり納得して解散しました。でも、僕はどうしても気になって、家に帰ってからすぐにアルバムを開いたんです。
K:そして、39人いることに気づいた。
田所:そうです。名簿と照らし合わせました。一人ずつ、顔と名前を確認していきました。佐藤、鈴木、高橋……。全員、顔と名前が一致します。でも、彼だけが余るんです。どの名前にも当てはまらない。名簿に名前がない。なのに、写真には堂々と写っている。しかも、中心近くに。
K:なるほど。状況は理解しました。田所さんご自身は、彼と個人的に親しかったという記憶はありますか?
田所:……それが、あるような、ないような、不思議な感覚なんです。さっき言ったように、足をくじいた時に助けてもらったような記憶はおぼろげにあります。でも、二人きりで遊んだとか、深い話をしたとか、そういう具体的な「線」の記憶がない。あくまで、クラスの風景の一部として「点」で存在しているような。
K:集合的無意識、あるいはマンデラ効果(事実と異なる記憶を不特定多数が共有している現象)の一種かもしれませんね。人間の記憶は案外いい加減なものですから、誰か一人の「こんな奴がいた気がする」という発言に引っ張られて、偽の記憶が植え付けられた可能性もあります。
田所:僕もそう思いたいんです。でも……。
(衣擦れの音。田所氏が鞄から別のものを取り出したようだ)
田所:これを見てください。
K:これは……スナップ写真ですね。かなり古い。
田所:僕が高校2年の時の、家族旅行の写真です。軽井沢に行った時のものですが。
K:ご家族でバーベキューをしているところですね。楽しそうだ。……おや?
田所:気づきましたか?
K:……ええ。後ろの、木の陰に。
田所:はい。
K:彼が、写っていますね。
田所:……そうなんです。卒業アルバムの彼です。服装は私服ですが、間違いなく同じ顔です。
K:ご友人として、旅行に同行されたのですか?
田所:いいえ。家族水入らずの旅行でした。友人を連れて行った事実はありません。両親にも確認しました。「この時、誰か友達を連れて行ったっけ?」と。両親は「いいえ、家族だけだったじゃない」と言いました。
K:では、これはたまたま彼も同じ場所に旅行に来ていて、偶然写り込んだ?
田所:場所は別荘地の奥まったコテージです。通りすがりの人が写り込むような場所じゃありません。それに、見てください。彼の視線。
K:……カメラを、見ていますね。
田所:それだけじゃありません。彼の右手。
K:……バーベキューコンロの端を、掴んでいるように見えます。
田所:はい。まるで、最初からその輪の中に混ざっていたかのように。僕の隣で、当たり前のように食材が焼けるのを待っているかのように。
K:……これは、少し気味が悪いですね。
田所:母にこの写真を見せたんです。「これ、誰だっけ?」って。そしたら母は、写真をしばらくじっと見てから、こう言いました。「あら、よく遊びに来てた子じゃない。懐かしいわねえ、名前なんて言ったかしら。いつもあーちゃん(田所氏の愛称と思われる)とゲームしてたじゃない」って。
K:お母様は、彼を認識している?
田所:はい。でも、やっぱり名前は出てこない。「礼儀正しくていい子だった」と言うんです。でも、僕は誓って言えますが、彼を家に呼んだことなんて一度もないんです。そもそも、僕は高校時代、部活が忙しくて家で友人と遊ぶことなんてほとんどありませんでした。
K:ご自身の記憶と、お母様の記憶、そして写真という記録。それぞれが食い違っているわけですね。
田所:怖くなったんです。まるで、僕の過去の人生に、異物が混入しているみたいで。アルバムの中だけなら、印刷ミスで済ませられます。でも、家のアルバムにも、母の記憶にも、入り込んでいる。これ以上探したら、もっと出てくるんじゃないかって……。
(再生停止)
【取材メモ・考察】
田所氏の証言は、非常に興味深いものだった。
彼が持参した卒業アルバムとスナップ写真は、一見すると何の変哲もない記録写真だ。しかし、指摘された「彼」に注目すると、奇妙な違和感が浮かび上がってくる。
まず、卒業アルバムの集合写真について。
問題の生徒は、周囲の生徒と比べて画質が粗いわけでも、浮いているわけでもない。光の当たり方も影の落ち方も自然だ。つまり、後からデジタル加工で追加されたものではない可能性が高い。
しかし、彼だけが「名無し」である。
私がその場でスマホを使って、画像検索や顔認証アプリを試してみたが、該当する人物はヒットしなかった。
次に、スナップ写真について。
田所氏の家族旅行の写真に写り込んだ彼は、確かにアルバムの生徒と同一人物に見える。眼鏡のフレーム、髪の分け目、そして何より、あの控えめで、しかしどこか虚ろな笑顔。
彼はバーベキューコンロの端に手をかけていたが、その手の描写に私は寒気を覚えた。
拡大鏡で確認したところ、彼の手指が、コンロの熱せられた金属部分に触れているように見えたからだ。普通なら火傷をするはずの場所に、平然と手を置いている。あるいは、彼には熱さが感じられないのか。それとも、彼という存在自体が、物理的な法則から外れた場所にあるのか。
田所氏への取材を終えた後、私は彼からアルバムと写真を預かることにした。彼は「手元に置いておきたくない」と言って、逃げるように帰っていった。
その夜、私は自室で改めてアルバムを検証した。
3年B組以外のページも確認する。
修学旅行のスナップ、体育祭の集合写真、文化祭のクラスごとの出し物。
驚くべきことに、彼は「いた」。
すべての行事に、彼は参加していた。
キャンプファイヤーの炎の向こう側で笑っている。
バスの座席の隙間から顔を覗かせている。
文化祭の模擬店の看板の端を支えている。
それらの写真に共通しているのは、彼が常に「誰かの後ろ」や「集団の端」に位置していることだ。決して主役にはならない。しかし、常にそこにいる。
まるで、最初からその風景の一部としてデザインされた背景画のように。
私は、田所氏の出身校である県立S高校について調べることにした。
10年前の在籍者リスト、あるいは当時の教職員への接触。
もし彼が実在した生徒なら、必ず痕跡が残っているはずだ。
もし実在しなかったのなら、この数々の写真は一体何なのか。
そして、なぜ田所氏の母親は「よく遊びに来ていた」と証言したのか。
日付が変わる頃、私はある一つの仮説――というよりは、不気味な想像――に取り憑かれていた。
田所氏は「名前を思い出せない」と言った。
だが、本当は逆なのではないか。
「名前がない」からこそ、誰の記憶にも定着せず、しかし誰の記憶にも入り込めるのではないか。
彼は、「友人」という概念そのものが人の形をした存在なのではないか。
思考が空回りし始めたため、私は気分転換にコンビニへ行くことにした。
深夜の住宅街は静まり返っている。
アパートの共用廊下を出て、階段を降りる。
ふと、背後に気配を感じて振り返った。
誰もいない。
ただ、廊下の蛍光灯がチカチカと明滅しているだけだ。
気を取り直して歩き出そうとしたとき、私は足元に落ちているものに気づいた。
小さな、ポラロイド写真のようなものだ。
誰かが落としたのだろうか。
拾い上げて、街灯の明かりにかざしてみる。
それは、私の写真だった。
いつ撮られたものかは分からない。おそらく数年前、私が大学時代のサークル仲間と飲み会をした時のものだ。居酒屋のテーブルを囲んで、私たちがピースサインをしている。
懐かしい写真だ。なぜこんなところに落ちているのか。
私は首をかしげながら、その写真をポケットにねじ込んだ。
部屋に戻り、もう一度その写真を確認して、私は息を飲んだ。
記憶の中のその写真は、私を含めて4人で写っていたはずだった。
しかし、手元の写真には5人写っている。
私の隣、少し後ろの位置に。
眼鏡をかけた、少し猫背の男が、控えめにピースサインをして写っていた。
見覚えがある。
数時間前、田所氏の卒業アルバムで見たばかりの顔だ。
全身の毛穴が開くような感覚。
なぜ、私の写真に彼がいる?
田所氏の高校と、私の大学には何の接点もない。地域も、年代も違う。
なのに、なぜ。
私は慌てて、押入れの奥から自分の卒業アルバムや、古いアルバムを引っ張り出した。
手が震えて、ページがうまくめくれない。
小学校、中学校、高校。
パラパラとページをめくるたびに、私の心臓は早鐘を打つ。
いた。
小学校の運動会、玉入れのカゴの下に。
中学校の合唱コンクール、指揮者の背後に。
高校の卒業式、校門の前で看板を持つ私の肩越しに。
彼は、いた。
ずっと、私の人生のすぐそばに。
私は今まで、一度も彼を認識していなかった。
いや、認識させられていなかったのか。
田所氏の言葉が脳裏をよぎる。
『その人は、あなたの思い出の中にも紛れ込んでいるかもしれない』
私は震える手で、この記録を書き始めた。
これは、ただの都市伝説の取材ではない。
私自身の過去に紛れ込んだ、「名無しの友人」の正体を突き止めるための戦いなのだ。
(第1話 了)
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