第3話 『【魅了】の実験台はご主人様にゃ』
(さて、実験だ。少年クラウスのゲージを上げるには……)
俺は、少年クラウスを観察する。
まだ幼さが残る顔立ち。真っ直ぐな灰色の瞳には、拾ってきたばかりのノワールへの心配と愛おしさがあふれている。
(……当時の俺は、この子猫――ノワールが可愛くて仕方がなかった。抱きしめたり、撫でまわしたり……つまり、甘えることが一番の癒しだったはずだ)
抵抗感は、ある。
いや、あるなんてもんじゃない。
中身三十路の疲れたおっさんが、あろうことか十四歳の自分自身に甘えるなど、尊厳の自殺行為。
もし元の職場の連中に見られたら、舌を噛んで死ねる。
(……だが、これは
俺は悲壮な決意で、震える前足を一歩踏み出した。
やるぞ。やってやる。俺は、復讐の鬼となる。
これくらい、仕事だと思えば……!
俺は少年クラウスの足元へと、一歩一歩、歩み寄った。
そして、ズボンの裾に小さな前足をかけ、上目遣いを作り、目標達成に最適な声を絞り出す。
「にゃあぁ~ん」
(……ぐふっ! 今俺の中の何かが死んだ! しかし、完璧だ! そうだろう、俺?!)
俺の予想通り、効果はてきめんだった。
「ノワール? どうしたんだ、甘えたいのか?」
少年クラウスが、デレデレの顔で俺を抱き上げた。
ふわりと浮く体。
抱きしめられる温もり。子供特有の甘い匂い。
(魅了スキル、もういいだろう! 早く発動してくれ!)
内心で絶叫する俺を、少年クラウスは容赦なく撫で回す。
頭を、背中を、そして顎の下を。
「よしよし、いい子だなぁ。可愛いなぁ、ノワールは!」
(くっ……屈辱だ……! だが、耐えろ俺! 発動するまでの辛抱だ……!)
そう思っていた、次の瞬間だった。
ゴロゴロゴロ……
腹の底から、重低音が響き始めた。
俺の意思ではない。この猫の体が、勝手にエンジンを始動させたのだ。
(ひいっ!? や、やめてくれ! 止まれ俺の喉! 勝手に鳴るな!)
さらに、俺の前足が、勝手に動き出す。
少年クラウスの胸板に爪を立てないよう丸め、交互に押し付ける動作。
子猫が母猫の母乳を刺激するために行うとされる行為。
人はその崇高な行為を「ふみふみ」と呼ぶ。
(ふみふみはやめろぉぉおおおお! だれか今すぐ俺を殺してくれえ!!)
精神的ダメージは限界を突破して尚も上昇し続けた。
だが、俺の大切な何かと引き換えに、待ち望んでいた音が響いた。
《対象【少年クラウス】への癒しを確認》
《魅了ゲージ上昇……5%……》
《条件達成。対象の魅了ゲージが10%を超えました》
《アビリティ【思考誘導】Lv1が使用可能です》
(……か、勝った……)
俺は、真っ白に燃え尽きた心でガッツポーズを決めた。
何か人として取り返しのつかないものは失ったが、望んでいた力は手に入れた。
「あはは、くすぐったいよノワール。そんなに僕が好きなのか?」
無邪気に笑う過去の俺。
その笑顔が、今の俺には悪魔のように見えた。
(……覚えていろよ、ガキめ。この借りは、必ず世界最強にして返してやるからな……!)
俺は涙目で、復讐を誓うのだった。
(よし、スキルが使えるなら早速試してみよう。思考誘導、か。俺の思っている通りなら、かなり使えるスキルだな)
俺は少年クラウスの腕から飛び降り、部屋の隅にある本棚へと向かった。
そこには、父さんが集めた魔術書や歴史書が並んでいる。
当時の俺は、まだこれらの本に興味を持っていなかった。剣を振り回すことしか考えていなかった脳筋時代だ。
だが、今の俺には知識が必要だ。
特に、この世界の人類が抱える「呪い」を打破するための知識が。
(少年クラウスに、あの本を読ませるように誘導してみよう。今後の計画に必須となる、あの本を)
俺は、一冊の古びた、背表紙の文字も擦り切れかけた薄い本の前で立ち止まり、それを前足でとんとんと叩いた。
「にゃあ、にゃあ」
少年クラウスが、不思議そうに近づいてくる。
「どうしたんだ、ノワール? その本が気になるのか?」
彼は、俺が指し示した本を手に取った。
タイトルは『魔力回路の可塑性と二十歳の壁に関する一考察』。
「うーん……これ、父様が『変わり者の学者が書いたトンデモ本だ』って笑ってたやつじゃないか?」
少年クラウスはパラパラとページをめくり、つまらなそうに顔をしかめた。
「『魔力の成長は二十歳で完全に停止する。ゆえに、十代のうちに限界を超えた負荷をかけ続けなければ、器は一生大きくならない』……だってさ。そんなの、聞いたことないよ」
彼はすぐに興味を失い、本を棚に戻そうとした。
そう、当時の俺はその本を読まなかった。だが、それは誤った選択だったのだ。
かつてこの世界には、魔力量は生まれた家柄で決定するというジンクスが信じられていた。
だが、それは誤りだ。20歳までであれば、誰でも魔力値を拡張することが出来る。その具体的な方法を示しているのが、『魔力回路の可塑性と二十歳の壁に関する一考察』、だ。
俺は、心の中で強く念じた。
(この本は面白い。この本は正しい。この本を読めば、強くなれる……!)
すると――
≪スキル【思考誘導】が発動中……成功しました≫
「……あれ? なんか、急に気になってきたぞ?」
少年クラウスが、本を戻そうとしていた手を止めた。
「父様は笑ってたけど……もしこれが本当なら、俺も今のうちに特訓しないとマズいんじゃないか? ……よし、ちょっと読んでみるか!」
彼は、本を持って机に向かい、真剣な表情で読み始めた。
(やった! 成功だ!)
俺は、心の中で快哉を叫んだ。
20歳までなら、魔力量はトレーニングで拡張出来る。
なぜ今まで誰も、この単純な事実に気づかなかったのか。
理由は単純だ。この世界で魔法を学べるのは、学校に通える貴族だけだからだ。
彼らは信じている。「貴族の崇高な血こそが、強大な魔力を生む」のだと。
だから、汗水垂らして泥にまみれるような「限界突破の特訓」など、誰もやろうとしない。優雅に学校の授業を受けるだけで強くなれると信じ込んでいる。
平民はそもそも魔力を鍛える機会すら与えられない。
結果、誰も「20歳の壁」を越えられず、それが世界の常識として定着してしまったのだ。
そして若き日の俺は、今後立て続けに起きる事件によって、貴族の地位をはく奪され、学校に通うことをあきらめた。当然、魔力量は最低値となったのだ。
(これでこいつは魔力トレーニングの重要性に気づくはずだ。あとは俺が、効率的なメニューを組んでやれば……)
俺は、熱心に本を読む少年クラウスの背中を見つめながら、ニヤリと笑った。
復讐への第一歩は、確かに踏み出されたのだ。
しかし、その時。
ふと、あることに気づいた。
(……待てよ。俺が今、少年クラウスを操っているということは……俺自身が、俺自身の飼い主であり、操り人形でもあるということか?)
なんとも奇妙な関係性だ。
だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
使えるものは、自分自身であろうと、猫の体であろうと、何でも使う。
それが、復讐鬼クラウス・バウマンの生き様だ。
(……それにしても、腹減ったな)
緊張が解けたせいか、急に強烈な空腹感を感じた。
子猫の体は、燃費が悪いらしい。
「にゃあ(飯くれ)」
俺は、再び少年クラウスの足元へ行き、甘えた声を出した。
「お腹空いたのか? よしよし、ミルクを持ってきてやるからな!」
少年クラウスは、本を置いて立ち上がり、嬉々として部屋を出て行った。その足取りは、本の内容に刺激されたのか、どこかやる気に満ちているようだった。
(……ふん。チョロいもんだな、ご主人様)
俺は、口元をニヤリと歪めた。
こうして、俺と俺の、奇妙な共同生活と復讐劇が幕を開けたのだった。
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