片付けの多いレストラン

烏川 ハル

片付けの多いレストラン

   

「毎日毎日、食事の用意をするのがどれほど大変か! 主婦の苦労、あなたにわかる?」

 口うるさい妻が、いきなり文句を言い始めた。


 今日は昼過ぎからずっと、私はリビングのソファーで本を読んでいたし、彼女は今の今まで、二階にいたはず。それがいつのまにか、私の前で仁王立ちしているのだ。

 何がきっかけだったのかわからない。しかし、いちいち詮索するだけ無駄なのはわかっていた。私の妻は、そういうタイプの女性なのだから。


「だいたい、昨日だって……」

「じゃあ、たまには外食にしようか」

 さらなる不満をぶちまけそうなところに、私が言葉を挟んで遮ると、彼女は大人しく口を閉じた。

 口の形は、への字。眉間にもしわを寄せたままだが、少しは気持ちも収まったのだろうか。

「……着替えてくるわ。あなたも早く準備して」

   

――――――――――――

   

 愛車の助手席に妻を乗せて、街へ繰り出す。

 街外れのショッピングモールには安い飯屋めしやもたくさん入っているので、そちらへ向かって車を走らせていたのだが……。

 モールの駐車場が見えてきた辺りでスピードを緩めたら、不機嫌そうな声が隣から飛んでくる。

「わざわざ『外で食べよう』って、あなたの方から言い出したのよね? それなのに……」

 視界の片隅でチラリと確認すれば、彼女は私をにらみつけていた。

「……ファストフードやファミレスで、お茶を濁すつもり?」


「いや、そんなつもりはないよ。せっかくだから……」

 妻の機嫌を取るつもりで、急いで言い繕う。

 横からギャーギャーわめかれたら、運転しづらくてたまらないのだ。

「……普段は行かないようなレストランを探して、そこで食べようか」

 ハンドル握る手に力を入れ直し、アクセルペダルを踏み込む。

 モールの庶民的なレストラン街に未練を残しつつも、そのかたわらを素通りするのだった。

   

――――――――――――

   

 街外れのモールということは、その場所を過ぎれば市街地から出てしまうということだ。

 まだあまり開発されていない地域に入り、道路脇の街灯も一気に減る。商業施設どころか民家すら少なくなり、右を見ても左を見ても、緑の木々がほとんどだった。


 こんなところに、手頃なレストランなんてあるのだろうか。もしかすると、隣街まで行く羽目になるかも……。

 いや、それよりも心配なのは妻の態度だ。「食べるところ、何もないじゃないの!」と、また騒ぎ出すのではないか。

 私が内心、そんな不安をいだき始めたタイミングで、彼女が口を開く。

「見て、あれ! 良さげなお店じゃないかしら?」


 私よりも妻の方が視力は良い。

 ちょうど道路は、緩やかにのぼりながら、丘の上でカーブする格好になっていた。だから遠くの建物でも視界に入ったのだろう。

 車のライトに照らし出されていたのは、白い平屋ひらやの建物だった。正面には大きなガラス扉があり、その上に掲げられた看板には、店名こそ書かれていないものの、ナイフとフォークの絵と共に『restaurant』の文字が描かれている。


「じゃあ、あそこで食べようか?」

「ええ、そうしましょう!」

 珍しく弾んだ声の妻に釣られて、助手席の方へチラリと笑顔を向けてから……。

 レストランの駐車スペースへと、私は車を入れるのだった。

   

――――――――――――

   

「いらっしゃいませ」

 私たちを出迎えたのは、黒いベストを着たウェイター。

 店内をザッと見回した限り、従業員は男性ばかりのようで、ウェイトレスは一人もいなかった。

 照明が煌々とついていて、店内は無駄なくらいに明るい。テーブルの数は多いけれど、満席には程遠ほどとおい状態だった。

 客のほとんどは、私たちみたいな二人連れだ。例えば親子で来るような、ファミリー向けのレストランとは違うのだろう。


 案内された席に座ると、うきうきとナプキンを広げる妻を尻目に、私はすぐにメニューを確認していた。

 何千円もするような、いやそれどころか一万円を軽く超えるような、フルコースしかない店だったらどうしようと心配したのだが……。

 料理の写真は豪勢に見えるものの、値段自体は庶民的なファミレスよりも少し高い程度。これならば、何も考えずに注文しても大丈夫だろう。

 ホッとすると同時に、私は妻に微笑みかけた。

「さあ、何を食べようか。どれも美味しそうだよ」

   

――――――――――――

   

「あら! 本当に美味しいわ、これ。特に、上に乗ったエビがプリプリして……」

 コース料理ではないけれど、前菜のつもりだろうか。サラダが最初に運ばれてきた。

 私としては、野菜はメインの肉料理と一緒に食べたかったのだが、この分では先に食べ終わってしまうかもしれない。

 とはいえ、妻はサラダを前菜として満足しているようだ。ならば私も、彼女に合わせておこう。


 続いて、ウェイターがほかの料理も運んでくる。ハンバーグやチキンソテー、ライスやスープなどを次々と……。

 私や妻がそれらを食べているうちに、なぜか手ぶらのウェイターが一人、私たちのテーブルに近寄ってきた。

「お済みのお皿、お下げしてもよろしいですか?」


 まだ私の皿はどれも食べ終わっていないが、妻の方は、既にサラダがからになっている。

 ちょうど彼女は、ナイフとフォークでチキンソテーを切り分けていた最中さいちゅう。その手を一瞬だけ止めて、低い声色こわいろでウェイターに応じていた。

「……ええ、どうぞ」

 そしてウェイターが皿を持ち去ったあと

 テーブルに身を乗り出すようにして、私に顔を近づけながら、小声で文句を言う。

「あのウェイター、ちょっと嫌な感じじゃない? まだ私、食べてる途中なのにさ」

   

――――――――――――

   

「うん、そうだね。ちょっと失礼だね……」

 と、口では妻に同意してみせたが。

 内心では全く違う方向性で、むしろ逆の意見を考えていた。


 どこかで聞いたことがあったのだ。食べ終わった食器を片付けるのは、接客側としては善意でやっているのだ、と。

 何皿も料理を運んでくる場合、終わった皿から順次、下げておかないと、新しい皿を置く場所に困る。それには店側の都合も含まれているかもしれないが、客側から見ても、いた皿が無駄に並んだテーブルよりも、スッキリと片付いたところで食べる方が心地よいはず。

 特に食後のコーヒーとかおしゃべりタイムとかは、食べ終わった食器なんてないような、綺麗なテーブルで楽しみたい。そう思う客が多いからこそ、ウェイターやウェイトレスは、いた皿を積極的に片付けていくという。


 これは納得できる話だった。

 確かに私だって、食べ終わった食器でぎゅうぎゅう詰めのテーブルだったら、居心地が悪いだろう。たとえ料理自体は美味しくても、その美味しさが半減しそうだ。


 しかし、中には逆に「食べている途中でほかの皿を片付けられるのは『早く帰れ』とかされているみたいで気分が悪い」と感じる客もいるらしい。

 どうやら私の妻は、そんな少数派だったようで……。

   

――――――――――――

   

 その後もウェイターは、いた皿を片付けにきた。

 妻が食べるスピードは私よりも速いため、テーブルの上に並ぶ皿の数は、彼女のがわだけ少なくなっていく。

 あっというまに、デザートのアイスクリームとコーヒーのみになる。しかも、まだ私がスープを飲んでいる途中で、それらも全て彼女の腹に収まった。

 すると……。


「お済みのお皿、お下げしてもよろしいですか?」

 近づいてきたウェイターは、妻の返事を確認するより早く、残り二つの食器を運び去ってしまう。

 そんなウェイターの様子を目で追ってから、妻はこちらに向き直る。その顔には、露骨に険しい表情が浮かんでいた。

「ほら! 全部なくなっちゃったじゃないの!」

 プンプンと怒る彼女は、先ほどのウェイターを追いかけて文句を言いそうな勢いだ。それどころか、店の奥まで怒鳴り込んでも不思議ではないほどだった。


 同伴者がこの有様ありさまでは、せっかくの食事も美味しく喉を通らない。

 なぜ私は、こんな女と結婚してしまったのだろう?

 昔はこんなではなかった、いや、昔の私は人を見る目がなかったのか……。

 口には出せないけれど、心の中ではハッキリとした言葉で、後悔の念をいだいた瞬間。

 手ぶらのウェイターが一人、こちらに向かってくる。

 これまでのウェイターとは別人らしく、見たこともないくらいに屈強な男だった。


 まだ私は食べかけであり、テーブルの上にいた皿は一つもない。では彼は一体、何をするつもりだろう?

 不思議に思う私の前まで歩み寄ると、たくましいウェイターが笑顔で告げる。

「お済みの奥様、お下げしてもよろしいですか?」

   

――――――――――――

   

「はあ? 『お済みの奥様』って何よ……?」

 唖然としながらも憤慨する彼女を、彼は椅子から引っ張り上げて、ヒョイッと肩に担ぎ上げた。

「ちょっと、何する気? やめなさい! 訴えるわよ?」

 彼女が手足をバタバタ振り回しても、男は全くひるまなかった。平然とテーブルから歩き去り、さらにカウンターを回り込んで、店の奥へと入っていく。


「……」

 私は絶句するだけ。自分の妻が連れ去られる一部始終を目にしても、止めようという気持ちは全く湧いてこなかった。

 むしろ私の顔には、自然と笑みが浮かんでくる。そのままの笑顔で、コーヒーとデザートの残りをたいらげて……。


 レジで会計をする際、心の中に広がっていたのは、胸のつかえがスッキリと取れたみたいな爽快感。

 財布も少し軽くなったけれど、気持ちの軽くなりようは、それとは比べものにならないほどだった。

「うん、また来よう」

 思わずつぶやきながら、一人で店を出る。


 その時ちょうど、斜め後ろのテーブルから、ウェイターと客の会話が聞こえてきていた。

「お済みのお義母かあ様、お下げしてもよろしいですか?」

「はい、是非お願いします!」




(「片付けの多いレストラン」完)

   

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