決着は放課後に
猫飯 みけ
第1話
天国。それは「人が死んだら向かう楽園だ」と誰かが言った。であるのならば、天国へのチケットはどうやって手に入れるのだろうか。ソクラテスの言う通りに「善く生きる」事が必要なのだろうか?
……それなら天国で待っている両親には会えなさそうだ。
なぜって? それほど簡単な話もないはずだ。だって俺はあの時に諦めてしまったから。善く生きることも、両親にアチラで会うことも。何もかもを。
*
「志和透……お前、私の授業で寝るとは良い度胸をしているな?」
俺が威圧感のある声で目を覚ますと、そこは初夏の教室だった。窓の外では入道雲が優雅に浮かんでいて、その間をぬって太陽が無遠慮に熱を差し込んでくる。その輝かしい光は海を照らし、海面をスパンコールのようにキラキラと反射させていた。
そんな暑苦しくて眩いアオハルの季節にも関わらず。
タイトなシャツとパンツ。そしてショートヘアから覗かせる鋭い眼光。如何にも仕事ができる風貌で、一部の男子生徒から人気が出るのも頷ける。見た目だけは。
そんな冨里先生は指導のために俺を叱っているのではなく、ただ本能のままに怒っている、と思う。額に血管を浮かべながら、バインダーをバンバンと叩いるのがその証拠だ。
「この期に及んで教師を無視とはな……。返事くらいしたらどうなんだ?」
「あの……すんません。本当に」
その顔怖いって。教師が生徒に向ける視線じゃないって。ちょっと寝ていただけなのに、そこまで怒ることないだろう。しかもテスト返却の時間だし、少しくらいは大目に見てくれてもいいのに。
「いくら試験での成績が良かろうと、態度が悪ければその分評価に影響する……。そのくらい知っているだろ?」
俺の机の上には、返却された数学の答案用紙が広げられている。八十九点だった。
そして、黒板には『Average 六十八』という文字が並んでいる。
まぁ、平均点と比べれば頑張った方だろう。そんなことを考えていると「パンッ」という音が頭上で鳴った。音の軽さとは裏腹に頭の芯にまで響く良い音だ。要するにめちゃくちゃ痛い。
「いっ……!」
「叱られている時にそっぽを向く奴があるか。話くらいは最後まで聞け」
でも冨里先生。そんな鋭い眼光が待ち構えていたら、目を逸らしたくなるのは当たり前だと思うんですよ。そう言い返したい気持ちを抑えて、鈍く痛む頭を抑える。
「だからってバインダーで殴らなくても……」
生徒相手の力加減を知らないらしい。ついでに手加減も。
普通なら少し小突いて「ちゃんと授業を聞きなさい!」で終わりだろう。いや、今日では小突くのもダメだろうに。
これでまた「冨里先生は元暴走族」という噂の信ぴょう性が増してしまった。ここは先生のために、俺が忠告してやらねばなるまい。このままだとクレームが来ちゃうからね。決して叩かれた事に対する抗議ではない。
「先生、暴力って時代にそぐわないらしいですよ? 教育委員会にバレたら面倒じゃないですか」
先生はしようもなく嘆息した。そして冷え切った小声で呟く。
「志和は面白い事を言うんだな。……売られた喧嘩は買うぞ?」
「はい、すみません」
寝起きとはいえ調子に乗りました。
「口を開けば揚げ足ばかりとりおってからに……自業自得だ問題児。さっさと目を覚まさんか」
そしてまた頭を叩かれる。しかも今度はバインダーの角で。
「――」
俺は息を吐きながら無力にも悶絶するしかなかった。先生はどうやら非暴力、不服従の概念を会得していないご様子。
「良いか? 二度と寝るんじゃないぞ、二度とな」
低く引き攣った声で先生はそう言い放つ。ご丁寧に去り際にもわざわざ一瞥していった。
先生ってすげぇよな、最後まで怒りたっぷりだもん。お菓子のCMに出れる。味は多分激辛だと思う。
おかげさまでクリアになった思考で痛みに悶えていると、右から馬鹿にしたような笑い声が聞こえてきた。
「ふふっ……問題児だとさ」
頭をさすりながら目をやると、口元を隠して笑っている
先生に聞かれないように、そっと耳打ちをする。
「松永お前……人の不幸を何だと思ってる」
「何だと言われてもな。そもそも不幸じゃなくて、先生の言う通り志和の自業自得だろう?」
目を引くのは顔の小ささと、すっとした鼻筋。まるでセットしたかのように自然にうねったロングヘア。これだけを見れば、小動物のような可愛らしさから、マスコットとして愛されるはずだ。
ただ、その見た目のくせして、この言動だから余計に腹が立つ。
「松永まで自業自得って……くそ、これが資本主義の末路か」
「こればっかりは社会主義でも一緒だと思うぞ」
松永はため息をつくと、話を続けた。
「志和が他責したくなるのは分からなくもないが、これは自分で蒔いた種だろう? 実ったらその分は自分で収穫するべきだと、ボクは思うけどね」
「へぇ~、たんこぶって収穫できるんだな。知らなかった」
「おめでとう志和。これでまた一つ賢くなったな」
この調子だと、改めて笑い話にされるのが目に見えている。もう笑われているけど。今のうちに何とか言い返しておかないと、後々で蒸し返される。そう思ったのに。
「松永、続きを答えろ」
と、先生が彼女を名指してしまった。
諦めて手元にある答案用紙に目をやる。松永の読み上げている場所は、ちょうど最後の自由記述欄だった。期末試験の問題解説はもうすぐ終わるだろう。そうして明日からは待ちに待った夏休みが始まる。
……いや、マジで頭痛いな。
授業の終わりを知らせるチャイムが鳴り、昼休みになると教室は騒がしくなる。
松永は許可もとらずに、机を寄せ正面に付けてきた。どこかで聞いたことのある鼻歌を歌いながら、黒いリュックサックの中身を探っている。
「今日もコンビニか」
「まぁね」
中から出てきた半透明の袋の中には、いくつかの菓子パンと、健康を意識しているのか野菜ジュース。タンパク質が足りてないから低身長なんじゃない? もっと食べなきゃ大きくなれないよ? と母親の気分になっていると、松永がクスッと口元を緩めた。
「どうやら最近の志和は夢心地のようだが、何かあったのか?」
ほらきた。こうやっていつも小馬鹿にしてくる。
「暑くて寝不足なんだ。それだけ」
「ふ~ん、そうかそうか」
俺が否定すればするほど、笑みをこぼしながら訝し気な目線を向けてくる。
「……何だよその目は」
「別に。他意はないぞ?」
「試験期間中に寝不足になるくらい、別に変な話じゃないだろ」
俺は通学カバンから風呂敷に包まれた弁当箱を取り出す。まずはお手製の卵焼きを口に放り込んだ。朝作った時には味見を省略したが、まぁ悪くない出来だ。
「そこまで言うなら。志和の事を信じよう。ただ」
「ただ……?」
随分と含みのある言い方だった。
「……それであんな恥ずかしい寝言を宣うなら、夜更かしは控えた方が良いとは思うな」
寝言? さらに恥ずかしいだと?
「――ちょっと待ってくれ。松永は何を聞いたんだ?」
箸を止め、彼女の整った顔を覗き込む。
松永は目を丸くしたかと思うと、すぐさま腹を抱え笑い出した。
「ははは! 本気にするなって。別に何も言っていなかったさ」
一気に緊張感が抜け大きなため息が出た。
何だコイツ。満足そうな顔しやがって。俺をからかうためにどれだけ不必要な脳のリソースを割いてんだ。
「……質の悪い冗談はやめてくれ。本当に」
「たまには良いじゃないか」
たまにじゃないからダメなの。その意地の悪いからかいはいつもの事なの。
「それに笑うとストレスの軽減になるらしいからね。どうせならこういう会話も混ぜていくべきだろう。なぁ、志和?」
同意を求められても困る。ストレス軽減になってるのは松永だけで、こちとらストレスを貯められているだけだし。
この雑でしつこいからかい……ダル絡みに愛嬌が感じられるのも、その天から授かった顔面偏差値の高さによるものだ。今度両親に感謝しておくんだな。
だが俺とて言われっぱなしではない。松永の話し方を真似して反抗してやる。
「その笑っているのが松永文麻ただ一人だから『質が悪い』って言ってるんだ。どうせなら、俺も笑えるハッピーな冗談にしてくれ」
松永はあっけらかんとしてメロンパンの袋を開け始めた。
「それは難しい相談だね。ボクには人を笑わせるような会話術は持ち合わせていない。もし仮に、君の妹のようなムードメーカーだったら、今頃は周囲は人であふれていたさ。クラスの人気者ってやつだね。卒業アルバムでは最後のページが涙溢れる綺麗な言の葉だらけになる。感動的だ」
周囲を見渡す。教室に残っている十名ほどのクラスメイトは、わざと俺たちから距離をとって食べていた。入学から四ヶ月も経てば、この光景も見慣れてくる。
まぁなんにせよ、松永がムードメーカ―ではないことは見ての通り。あとついでに俺も。
「卒アルが新品レベルで白ければ、古本屋で高値で買い取ってもらえるんじゃないか?」
「買取不可で処分されるだけだ。それに志和は思い出を売っぱらう最低な奴だったのか。失望したよ」
松永は身をよじって俺に軽蔑の眼差しを向けてくる。
なんだよ、せっかく俺が小粋なジョークを披露したのに。
「松永だって卒アルに想いを馳せるタイプでも無いだろ」
「それはそうだが、流石のボクも売る発想はないさ。それはそれとして、志和のせいで空気が重たくなっただろう。せっかくボクが楽しく会話を展開していたのに」
俺をからかっているだけで何が楽しい会話だ。俺だって頑張ったぞ。誰か褒めてほしい。
「ほらほら、責任を取ってくれ。ここで何か面白い話題を一つ」
松永がにんまりと笑うと、うねった髪がふわりと揺れた。
「その嫌な大学生の飲み会にある雑なフリは何なんだよ……。この後に何を言ってもスベるのが相場だぞ」
「そうかそうか。言い訳ばかりで免れようと、そういう魂胆なのか。つまり志和は無責任な奴だったんだな。それは残念だ」
……よっしゃ良いだろう。上等だ。
そこまで言うなら、ここも松永さんの言い方を参考にさせてもらおうじゃないか。
「……それは難しい相談だ。なぜなら俺に談笑できる程の会話のネタが無いからな」
松永は肩を竦め、ニヤリと口角を上げる。
今、言い返されてちょっと嬉しかったろ。
「それなら志和の妹に習うことをお勧めするよ。きっと良いものが得られるぞ? 何か分かったらボクにも共有してくれ」
「お互い様だな。松永も
「ご生憎さま、ボクはコミュニケーション能力に困っていないからね。友人は片手で数えられるくらいでちょうどいい」
「なら俺も困ってないから必要ないな」
「それだと今度はボクが困る。退屈な会話は好きじゃない。志和にはユーモアあふれる人間になってもらわないとな」
目を合わせクスリと笑って会話が終わる。この調子だ、悪友と表現するのが適切なのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます