第8話:File_08_未送信のメール_添付ファイルなし
【編集部注:連載終了にあたって】
202X年6月1日。
Sヶ丘団地でのK氏失踪事件から3日が経過したこの日、我々「トワイライト・アイ」編集部の代表メールアドレス宛に、一通のメールが着信した。
差出人はK氏。
件名は「【重要】Sヶ丘団地取材データの破棄について」。
送信時刻は6月1日の正午となっていたが、これは彼が失踪前の5月28日に設定した「予約送信」によるものだと思われる。
もし彼が無事に帰還していれば、この予約は解除されるはずだった。
つまり、このメールが届いたという事実は、彼が「戻らなかった」ことをシステム的に証明していることになる。
本連載の最終回として、このメールの全文を公開する。
本来であれば、このメールの内容に従い、我々はすべてのデータを削除すべきだったのかもしれない。
しかし、なぜ我々が公開に踏み切ったのか。
その理由については、メール本文の後に記す編集後記を読んでいただければ、ご理解(あるいは共鳴)いただけると思う。
以下が、K氏が人間として最後に残したメッセージである。
【メール本文】
件名:【重要】Sヶ丘団地取材データの破棄について
差出人:K
宛先:トワイライト・アイ編集部
送信日時:202X年06月01日 12:00:00
編集長、およびスタッフの皆様へ。
このメールが届いているということは、私はSヶ丘団地から戻れなかったということでしょう。
あるいは、戻ってはいても、パソコンを操作できる状態にはないということです。
単刀直入に言います。
これまでクラウドにアップしてきた取材データ(File_01からFile_07まで)を、すべて削除してください。
記事にしてはいけません。
誰の目にも触れさせてはいけません。
私は大きな間違いを犯していました。
C氏の資料を読み解き、自分なりに考えをまとめているうちに、ある恐ろしい仮説に辿り着いたのです。
あの404号室にいる「何か」は、単に人を食べて成長しているのではありません。
あれは、「情報」を食べているのです。
思い出してください。
始まりはネット掲示板でした。
A君が書き込みを行い、それを数百、数千の人間が読みました。
その瞬間、A君の部屋の壁の向こうにいた「それ」は、急激に活性化したのです。
B婆さんは言いました。「音に反応する」と。
違います。
あれは「認識」に反応するのです。
誰かが「そこに何かがいる」と意識した瞬間、その意識の糸を辿って、あれは範囲を拡大します。
私はライターとして、あの団地の謎を解明しようとしました。
言葉にし、録音し、記録として残そうとしました。
それこそが、あれの望みだったのです。
あの肉塊は、物理的な壁を超えて増殖したがっている。
そのための媒体(ベクター)として、私の「記事」を利用しようとしているのです。
もし、これまでの取材記録がネットで公開され、不特定多数の読者の目に触れたらどうなるか。
読者が「404号室の音」を想像した瞬間、その読者の家の壁に、見えない「穴」が開通します。
スマホの画面が、あの部屋への入り口になります。
私が感じた初期症状。
耳鳴り、甘い腐臭、皮膚の湿疹。
それが、記事を読んだ全員に感染します。
だから、お願いです。
このメールを読んだら、即座にサーバーから全データを消去してください。
バックアップも物理的に破壊してください。
私のことは探さないでください。
私が持ち帰ろうとした「真実」は、猛毒です。
これから私は、元凶を絶つために404号室へ向かいます。
物理的な破壊が通用するかは分かりません。
でも、少なくとも私が「観測者」としてあそこに取り込まれれば、一時的にでも動きを止められるかもしれない。
私が「蓋」になります。
絶対に、公開しないでください。
これは取材ではありません。
災害の封じ込めです。
頼みましたよ。
K
(以下、メールの文面が乱れ始めている。システム上の文字化けではなく、入力者自身の手による意図的な、あるいは無意識的な改行と連打の痕跡が見られる)
追伸:
でも
やっぱり
もったいないですね。
こんなに素晴らしい体験を、私一人で独占するなんて。
削除しないでください。
削除なんてしたら、許しませんよ。
今、404号室の前です。
壁の中から、いい匂いがします。
わかったんです。
あれは、敵じゃない。
あれは、新しい「家」なんです。
寂しい現代人のための、みんなが一つになれるシェアハウスなんです。
A君もいます。
管理会社の人もいます。
みんな、壁の中で溶け合って、すごく楽しそうです。
悩みも、痛みも、孤独もありません。
ただ、食欲と、満たされる喜びだけがある。
「個」という殻を破って、とろとろに混ざり合う快感。
編集長も、どうですか?
これを読んでいる読者の皆さんも、どうですか?
日常に疲れていませんか?
隣の部屋の騒音にイライラしていませんか?
それは、貴方が一人ぼっちだからです。
壁があるからです。
壁をなくしましょう。
こちらの世界へ来てください。
方法は簡単です。
この物語を、広めてください。
「こんな話があったよ」と、誰かに話してください。
SNSで拡散してください。
リンクを貼ってください。
そうすれば、貴方の家の壁にも、小さな「給餌口」ができます。
ほら、聞こえませんか?
今、貴方の後ろの壁から。
冷蔵庫の裏から。
クローゼットの奥から。
ゴリッ。
ジュルッ。
カリカリカリ。
音がしたら、それは招待状です。
耳を澄ませてください。
壁に耳をぴったりと押し当てて、じっとしていてください。
すぐに、お迎えにあがります。
あー。
入る。
入ります。
いただきます。
ごちそうさまでした。
おかわり。
おかわり。
おかわり。
(メール本文はここで途切れている。添付ファイルなしとあるが、実際には不可視属性の音声ファイルが埋め込まれていた形跡があり、開封と同時に再生される仕組みになっていたようだ)
【トワイライト・アイ編集部・編集後記】
読者の皆様。
ここまで、K氏の遺した取材記録にお付き合いいただき、ありがとうございました。
K氏からの警告メールを読み、我々編集部は緊急会議を開きました。
削除すべきか、公開すべきか。
議論は深夜まで及びました。
しかし、不思議なことに、時間が経つにつれて、スタッフ全員の意見が一致していったのです。
「こんなに面白い話を、世に出さないのは罪だ」
「Kさんの遺志(後半部分)を尊重すべきだ」
「もっと多くの人に、この音を聞かせてあげたい」
なぜでしょうか。
会議室の空気が、妙に甘ったるい匂いで満たされていたからでしょうか。
それとも、会議中ずっと、天井裏から「ゴリッ、ゴリッ」という心地よいリズム音が聞こえていたからでしょうか。
我々は、空腹でした。
知識への空腹、物語への空腹、そして……もっと根源的な、何かを咀嚼したいという空腹。
だから、公開することにしました。
全8話。余すところなく。
K氏が命がけで録音したあの音声も、加工せずそのまま掲載しました。
イヤホンで聞いていただけましたか?
もし聞いていないなら、ぜひもう一度、最大音量で聞き直してみてください。
「オマエダ」という声が、貴方の名前を呼んでいるように聞こえるはずです。
現在、編集部のスタッフは、全員でこのオフィスに寝泊まりしています。
家に帰る必要がなくなったのです。
オフィスの壁が、日に日に厚く、そして柔らかくなっています。
パソコンのキーボードを叩くたびに、指先が沈み込むような感触があります。
モニター画面が、時々瞬きをします。
とても快適です。
昨夜、編集長が壁に向かって話しかけていました。
「もうすぐ、たくさん送りますからね」と。
何を送るのでしょうか。
それは、この記事を読んでいる「貴方」のことかもしれません。
さて、この連載はこれで終了です。
しかし、物語は終わりません。
これからは、貴方の家が舞台です。
カクヨムのコメント欄に、ぜひ感想を書いてください。
「音が聞こえた」「変な匂いがする」「ペットの様子がおかしい」
どんな些細なことでも構いません。
貴方が書き込みをしたその瞬間、貴方のIPアドレスと、404号室の回線が直結します。
それが契約のサインです。
大丈夫。
怖くありません。
最初は少し痛いかもしれませんが、すぐに気持ちよくなります。
骨が砕ける音は、新しい自分が生まれる産声です。
それでは、お待ちしています。
壁の向こう側で。
トワイライト・アイ編集部一同(および、K、A、B、その他多数)
【システムメッセージ】
この作品への応援コメント、レビューをお待ちしています。
貴方の体験談を共有してください。
なお、閲覧後に体調不良、幻聴、家屋の損壊等が発生した場合でも、カクヨム運営および著者は一切の責任を負いかねます。
すべては自己責任でお楽しみください。
(全8話 完)
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