第7話:File_07_深夜の潜入取材_現地録音.wav
【編集部注】
本ファイルは、K氏が失踪現場に残したICレコーダー(TASCAM製ハイレゾ対応機)から回収されたデータである。
第6話で公開したスマートフォンによる音声入力メモは、K氏の脳内で変換された「主観的な世界」であった可能性が高い。
対して、この録音データは、物理的な空気振動を記録した「客観的な事実」である。
しかし、その「事実」こそが、最も受け入れがたいものであった。
彼が幻覚を見ていたとして、では、このレコーダーに記録されている「他者の声」や「粘着質の音」は、一体誰が発したものなのか。
編集部内でも、このデータの公開については議論が分かれた。
あまりにも生理的な嫌悪感を催す音が続き、聴取したスタッフの中に体調不良を訴える者が続出したからだ。
読者諸兄におかれては、十分に心身のコンディションを整えた上で、読み進めていただきたい。
【音声ファイル再生:Rec_Final_0529.wav】
[00:00 - 05:00]
(冒頭、激しい風切り音と、布が擦れる音。K氏が歩いていると思われる)
K氏:……あー、テスト。テスト。
(荒い息遣い)
現在、5月29日、午前0時55分。
現場に到着した。
Sヶ丘団地、4号棟前。
(K氏の独り言。第6話のテキストよりも声が震えており、滑舌が悪い)
K氏:静かだ。誰もいない。
……おい、Bさん。そこにいるのか?
(約10秒の沈黙)
返事がない。でも、そこにいるんだろ? ベンチの上。
入れ歯だけ残して、どこ行ったんだ。
(K氏の足音。砂利を踏む音。時折、よろめくようなリズムの乱れ)
K氏:におう。
ひどい臭いだ。
マスクをしてても入ってくる。
腐った果物と、焼けた肉を混ぜたような……。
(ここで、レコーダーのマイクが、K氏の足音とは別の「音」を拾い始める。非常に小さな音だが、ゲインを上げるとはっきりと聞こえる)
謎の音:……ペタッ……ペタッ……ペタッ……
(濡れた素足でコンクリートを叩くような音が、K氏の後方約10メートル地点からついてきている)
[05:00 - 10:00]
(建物内に入ったと思われる。反響音が変化する)
K氏:階段を上がる。
手すりが……なんだこれ。ヌルヌルする。
誰かがオイルでも撒いたのか?
いや、温かい。
これ、オイルじゃない。体液だ。
(K氏が階段を上る音。ハァハァという呼吸音が大きくなる)
K氏:聞こえるか? この音。
団地全体が鳴ってる。
ドクン、ドクンって。
(編集部注:解析の結果、この時点では環境音に「鼓動」のような音は確認できない。しかし、配管の中を何かが高圧で流れる「ゴウウウウ」という重低音が記録されている)
K氏:3階……次だ。
誰かいる。
踊り場に、誰か立ってる。
(足音が止まる)
K氏:……あんた、406の鈴木さんか?
(沈黙)
顔、どうしたんだ?
のっぺらぼうじゃないか。
おい、何を持ってる。
ホース?
それをどこに繋ぐつもりだ。
(K氏が何かに怯えて後ずさる音。しかし、そこには誰もいないはずである。K氏の独り言だけが空虚に響く)
K氏:やめろ! こっちを見るな!
その裂け目で笑うな!
(K氏がパニックになり、駆け足で階段を上がる音)
[10:00 - 15:00]
(4階に到着したと思われる。K氏の呼吸が過呼吸気味になっている)
K氏:405号室。
ドアが……開いてる。
(第6話では「肉で埋まっている」と記述されていた場面)
なんだこれ。
肉だ。壁じゃない。
脈打ってる。
おい、そこに見えてるのは誰だ?
担当者Bか?
お前、取り込まれたのか。
あはは。あはははは。
(K氏の乾いた笑い声。しかし、その背後で、明らかにK氏のものではない音が混じる)
謎の声:……オ、イ、デ……
謎の声:……コ、コ、ニ……
(複数の声が重なったような、不明瞭な囁き声。風の音のようにも聞こえるが、抑揚が明らかに日本語である)
K氏:そうか。呼んでるのか。
俺はずっと、ここに来たかったんだな。
わかったよ。今、開けてやる。
その皮を剥いで、中に入ってやる。
(金属音がする。K氏がバールやハンマーを取り出した音と思われる)
[15:00 - 20:00]
(激しい打撃音。K氏が壁、あるいはドアに向かってハンマーを振り下ろしている)
音:ガガン!!
音:ガッ!! ドゴッ!!
K氏:硬いな。
でも、柔らかいぞ。
叩くたびに、血が出る。
コンクリートが血を流してる。
(編集部注:打撃音の質感が徐々に変化している。最初は乾いた硬質音だったのが、次第に「グチャッ」「ベチャッ」という、水分を含んだ物体を叩く音に変わっていく)
K氏:見えてきた。
中の血管が見えてきた。
太いな。
ドクドクいってる。
これを切ればいいのか?
それとも、この膜を破ればいいのか?
音:ブシュウウウウッ!!
(ガスが噴き出すような音。K氏が激しく咳き込む)
K氏:くさっ!
ああ、でも、いい匂いだ。
懐かしい匂いだ。
母さんの胎内みたいな匂いだ。
(ここで、レコーダーが異常なノイズを拾う。高周波の耳鳴りのような音と、地鳴りのような低周波が同時に鳴り響く)
謎の声(大音量):……イタク、ナイ……
謎の声(大音量):……モド、ロウ……
K氏:ああ、痛くないよ。
もう痛くない。
爪も、指も、全部溶けていく。
気持ちいい。
(「メリメリ」という音が続く。何かが引き剥がされる音、あるいは骨が砕ける音)
[20:00 - 25:00]
(ここから先は、音が極めて鮮明かつ至近距離で録音されている)
音:ジュルッ……ジュルルル……
(大量の粘液が流れる音。K氏の声が、くぐもったものに変わる。まるで水中、あるいは粘度の高い液体の中で喋っているかのように)
K氏:……みつけた。
かがみだ。
なかに、おれがいる。
まるくなって、ねてる。
かわいいな。
あれがほんとうの、おれだ。
(K氏の声色が、幼児退行を起こしたように高くなる)
K氏:ねえ、あけて。
いれて。
おれも、まぜて。
音:ギギギギギ……パカーン……
(重い鉄の扉が開くような音。あるいは、巨大な貝殻が口を開くような音)
K氏:わあ。
あかい。
あったかい。
みんな、ここにいたんだ。
Bさんも、Aくんも、ミイも。
ごはんの時間だね。
(衣擦れの音が激しくなる。K氏が自ら何かの中に潜り込もうとしている音)
K氏:じゃあ、いきます。
(一呼吸おいて)
いただきます。
音:バクンッ!!
(巨大な肉塊が閉じる音。同時に、濡れた袋の中で野菜を潰すような「グシャアア」という音が響く)
(K氏の絶叫は一切ない。ただ、骨が砕ける音と、空気が抜ける音だけが続く)
[25:00 - 27:00]
(K氏の声が途絶え、静寂が訪れる。レコーダーは床に落ちたまま、録音を続けている)
(約1分間の沈黙の後、新たな音が記録されている)
音:……オギャア。
(赤子の泣き声。しかし、人間の赤ん坊よりも遥かに太く、野太い声)
音:……オギャア……オギャア……
(その声に呼応するように、壁の向こう、あるいは床下から、無数の声が唱和する)
群衆の声:……ウマレタ……
群衆の声:……ウマレタ……
群衆の声:……ツギ、ハ……
(カツカツ、という足音が近づいてくる。革靴の音。しっかりとした人間の足音)
男の声(冷静な口調):……また失敗か。
男の声:個我が強すぎる。混ざりきっていない。
男の声:処理班を呼べ。405は洗浄。404は給餌完了として記録しろ。
(「ピー」という電子音。何かを操作する音)
男の声:おや、これは……。
(衣擦れの音。男がレコーダーを拾い上げたと思われる)
男の声:回っていたのか。
(マイクに向かって息を吹きかける音)
(男の笑い声)
男の声:まあいい。これも「肥料」だ。
これを聞く人間もまた、種を撒かれるのだから。
(録音終了)
【音声解析報告:ラストシーンの「男の声」について】
K氏が消失した直後に現れた謎の男。
この声紋を解析した結果、我々は戦慄すべき事実に直面した。
この男の声は、第3話でK氏が通話した「管理会社担当者B」の声と酷似している。
しかし、それだけではない。
同時に、第2話の「依頼人A氏」、第4話の「B婆さん」、そして「K氏本人」の声の成分も検出されたのだ。
つまり、最後に現れたこの人物は、これまでこの団地に関わり、取り込まれていった人々の声を「合成」して喋っている可能性がある。
あるいは、C氏の仮説通り、彼こそが「孵化」した結果の擬態人間なのかもしれない。
K氏は「いただきます」と言って姿を消した。
彼は食べられたのではない。
彼自身が、あの巨大なシステムの一部となり、新たな「食べる側」へと生まれ変わったのだ。
そして、最後に男が残した言葉。
「これを聞く人間もまた、種を撒かれる」
この音声ファイルを聞いてしまった読者諸兄。
今、耳の奥で、異音はしていないだろうか?
壁の隙間から、甘ったるい匂いはしていないだろうか?
もしそうだとしても、決して壁に耳を当ててはいけない。
向こう側でも、誰かがあなたに耳を当てている。
(File_07 終了)
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