第4話:File_04_古参住民・B婆さんの証言.mp3

【編集部注】


管理会社との通話記録にあった「B婆さん」という単語を手掛かりに、K氏はSヶ丘団地での聞き込み調査を再開した。

「当番」「B婆さん」。この二つのキーワードは、団地の掲示板や回覧板には一切出てこない。

しかし、K氏が公園にたむろする老人たちに煙草を配りながら雑談を交わすと、ある一人の老婆の名前が浮上した。

4号棟1階に住む、自治会の元役員・馬場(仮名)氏である。

彼女は団地が建設された当初からの入居者であり、半世紀以上にわたり、この場所を見続けてきた「生き字引」だという。


本ファイルは、K氏が馬場氏に接触し、半ば強引に聞き出した証言の録音データである。

場所は団地敷地内の公園のベンチ。

背景には子供たちの遊ぶ声が遠く聞こえるが、会話の内容とのギャップが空恐ろしさを助長している。


【K氏の取材メモ:202X年5月25日】


馬場さん(以下、B氏とする)を見つけるのは簡単だった。

彼女は一日中、4号棟の出入り口が見える公園のベンチに座っているからだ。

年齢は80代後半だろうか。

小柄だが眼光は鋭く、通り過ぎる住民一人一人をじっと観察している。

私が近づくと、彼女は露骨に嫌な顔をした。

余所者が入ってくるのを極端に嫌う、排他的な村社会の空気がそこにはあった。


私は「405号室に住んでいた大学生の叔父」という設定を捨て、正直にライターであることを明かした上で、「この団地の歴史について取材したい」と切り出した。

最初は無視されたが、管理会社との電話で聞いた「当番」という言葉を出した瞬間、彼女の顔色が変わった。

彼女は震える手で吸っていた煙草を揉み消すと、私を睨みつけた。


「あんた、聞いたんだね」


それが彼女の第一声だった。


【インタビュー記録データ:Interview_Baba.mp3】


(屋外の環境音。風の音、遠くのカラスの鳴き声)


B氏:……管理の若造が喋ったのか? いや、あいつらは口が堅い。あんた、盗み聞きしたね。


K氏:どうやって知ったかは重要ではありません。ただ、私は405号室の彼を助けたいんです。彼は引っ越した後も、音に苦しめられています。


B氏:助ける? 無理だよ。一度「標的(マーク)」にされたら、どこへ逃げようと同じさ。あれは場所につくんじゃない。人につくんだ。


K氏:あれ、とは何ですか? 404号室にいるもののことですか?


B氏:……404なんて部屋は最初からありゃしないよ。あれは蓋(ふた)だ。


K氏:蓋?


B氏:そうさ。あんた、ここが元々どういう土地か知ってて来たんだろう? 「拝み井戸」ってな。


K氏:ええ、古地図で見ました。井戸があった場所だと。


B氏:井戸なんて可愛らしいもんじゃないよ。あれは「穴」だ。底なしのな。

明治の頃、この辺りで疫病が流行った時も、戦争で空襲があった時も、死体や瓦礫はみんなあの穴に放り込んだ。

焼く手間が省けるからな。

でも不思議なことに、いくら放り込んでも穴は埋まらなかった。

捨てたものが、次の日には消えてるんだ。

そのうち、誰かが言い出した。「穴の中で何かが食ってる」ってな。


K氏:それが、咀嚼音の正体ですか。


B氏:昔の連中は賢かった。穴を埋めるのは無理だと悟って、逆に「祀る」ことにしたんだ。

それが「拝み井戸」だ。

定期的に家畜の肉や、時には……まあ、色んなものを投げ込んで、機嫌をとった。

そうすれば、穴から悪いものが溢れ出してくることはなかったからね。


K氏:でも、高度経済成長期に団地が建設されましたよね。なぜそんな場所に?


B氏:土地が足りなかったのさ。それに、役所の偉いさんたちは迷信だと言って笑った。

ブルドーザーで穴を埋め立てて、その上に分厚いコンクリートを流し込んで、巨大な団地を建てた。

人間が沢山住めば、その「陽の気」で悪いものも消えるだろうってな。

……浅はかだよ。

重石(おもし)を乗せたくらいで、あれが大人しくなるもんか。


K氏:それで、4号棟にああいうスペースを作ったわけですか。


B氏:最初は普通の部屋だったんだよ。404号室もな。

でも、入居した家族が次々とおかしくなった。

壁の中から音がする、床下から声がするって言ってな。

最後に入った家族なんて、一夜にして蒸発しちまった。

家具も、衣服もそのままに、人間だけがいなくなった。

警察が調べても何も出ない。ただ、畳の下のコンクリートに、人が通れるくらいの亀裂が入ってただけだ。


K氏:穴と繋がってしまったんですね。


B氏:そうさ。コンクリートを食い破って、上がってきやがったんだ。

だから公社は慌ててその部屋を封鎖した。

コンクリートを流し込んで、配管スペースという名目にしてな。

それが「特・D-04」、今の404号室だ。

だがあれは生き物だ。呼吸をする。

完全に密閉しちまうと、中でガスが溜まって爆発するか、また別の場所を食い破ろうとする。

だから「息抜き」のための穴が必要だった。

あのベランダの雨戸、あそこは少しだけ開いてるんだよ。外からは見えないようにな。


K氏:では、あの「音」は……。


B氏:腹が減ってる合図さ。

ここ数年、団地の人間が減っただろう?

昔は子供も多くて、団地全体がうるさいくらいだった。

その「生活音」が、あれにとっては食事みたいなもんだったんだよ。

人の声、テレビの音、足音、笑い声。

そういう「人間の営みの音」を聞いていれば、あれは満たされて大人しくしていた。

だが今はどうだい。

老人は静かだ。子供もいない。空室だらけだ。

団地全体が死んだように静まり返ってる。

だから、あれは腹を空かせて暴れ出したんだ。壁をガリガリ削って、隣の部屋の人間を食おうとしてるのさ。


(B氏が咳き込む。乾燥した、肺の奥から響くような咳)


K氏:そこで「当番」の話になるんですね。当番とは何をするんですか?


B氏:……「聞く」のが仕事さ。


K氏:聞く?


B氏:私たち古株の住人が交代で、あの部屋の近くを見回るんだ。

音がどのくらいの大きさか、どんな音か。

「ガリガリ」ならまだいい。「ジュルジュル」なら要注意だ。

そして一番ヤバいのが「言葉」を真似し始めた時だ。


K氏:言葉……。依頼人のAさんは、「オマエダ」と聞こえたと言っていました。私は「タリナイ」と。


B氏:!(息を飲む音)

あんた、それを聞いたのか?

録音じゃなくて、自分の耳で?


K氏:録音を通してですが、聞きました。


B氏:……馬鹿なことをしたねぇ。

あれはな、聞いた人間を覚えるんだよ。

言葉として認識された時点で、そいつとは「縁」がつながっちまう。

糸電話みたいなもんだ。

あんたがどこにいようと、その糸をたぐって、あんたの出す音を啜りに来る。

Aって若者も、もう手遅れだろうよ。


K氏:手遅れって、どうなるんですか?


B氏:じきに、境目がわからなくなる。

壁の向こうの音が、自分の体の中から聞こえるようになる。

自分の心臓の音が、咀嚼音に変わる。

そうして精神をやられて、最後には……自分から「穴」を探して戻ってくるのさ。

404号室の前で、入れてくれって泣き叫ぶようになる。


K氏:……対処法はないんですか? お祓いをするとか。


B氏:お祓い? 神主も坊主も、ここに来て逃げ出したよ。

唯一の方法は「無視」だ。

音に反応するな。聞こえても聞こえないフリをしろ。

こちらの存在を悟られるな。

……ほら、もう来るよ。


K氏:え?


B氏:聞こえないのかい? 足音が。


(録音データには風の音しか入っていない。しかし、B氏は何かに怯えるように視線を泳がせている)


B氏:……ペタ、ペタ、って。濡れた足音が。

公園の入り口だ。

あんた、連れてきたんだね。


K氏:誰もいませんよ。


B氏:いる!

あんたの背中だよ!

あんたのレコーダーの中だよ!

(衣擦れの音。B氏が立ち上がる音)

もう帰んな!

二度とここに来るんじゃない!

4号棟には近づくな!

もし「鈴木」の部屋からチャイムが鳴っても、絶対に出るんじゃないよ!


(B氏の荒い息遣いと、遠ざかる足音。録音はここで唐突に終わっている)


【K氏の取材メモ:インタビュー後記】


B氏は逃げるように去っていった。

彼女が去った後、私はしばらくベンチから動けなかった。

「あんたのレコーダーの中だよ」という言葉が、呪いのように頭を回っていた。

私はヘッドホンをして、今の録音を聞き返してみた。


背筋が凍った。

B氏が「ほら、もう来るよ」と言ったあたりからだ。

風の音に混じって、微かだが、確実に別の音が入っている。


『……ミツケタ……』


A氏の部屋の前で聞いたあの声だ。

さらに、録音の最後、B氏が立ち去った後の無音部分。

私が停止ボタンを押す直前の2秒間。

マイクのすぐ近く、恐らく私の耳元で、こう囁かれている。


『……ツギ、ハ、オマエ、ノ、バン……』


これは、B氏の声ではない。

もっと若く、それでいて性別の判然としない声だ。

「当番」。

B氏は当番を「見守る役」だと言った。

だが、本当は違うのではないか?

「当番」とは、穴の飢えを満たすための「生贄」の順番のことではないのか?


【追記:帰宅後の異変】


自宅アパートに戻ると、郵便受けに一通の封筒が入っていた。

切手は貼られておらず、宛名もない。

直接投函されたものだ。

中身を確認すると、コピー用紙が一枚と、USBメモリが入っていた。


手紙の差出人は「C」となっていた。

文面を読む限り、かつてSヶ丘団地の403号室(404の反対側の隣室)に住んでいた人物らしい。

私が掲示板でA氏と接触していた形跡を見つけ、警告のために送ってきたという。


「貴方が何を知ろうとしているのかは分かります。

B婆さんは嘘をついています。あるいは、彼女も騙されている。

あの部屋は、ただの『蓋』ではありません。

あれは『孵卵器(ふらんき)』です。

私が住んでいた頃に撮りためた記録を同封します。

これを見たら、すぐに手を引いてください。

音を聞くだけならまだ引き返せますが、中身を知ってしまったら、もう逃げられません」


USBメモリをパソコンに挿すのが躊躇われる。

だが、真実を知りたいという欲求には勝てない。

次回は、このC氏からの資料を検証する。


それにしても、部屋の中が臭い。

消臭剤をいくら撒いても、あの甘ったるい腐臭が消えない。

ミイ(猫)が姿を見せない。

いつもなら玄関まで出迎えに来るのに。

探すと、押し入れの奥で丸くなっていた。

声をかけても反応しない。

揺り動かすと、ミイは顔を上げた。

その目が、おかしかった。

黒目が極端に収縮し、焦点が合っていない。

そして、私に向かって「ニャア」と鳴く代わりに、聞いたことのない声を出した。


「……ゴリッ……」


喉の奥で、骨が鳴るような音。

私は思わず手を離した。

ミイはそのまま、また眠るようにうずくまった。

私の日常が、侵食されている。


(File_04 終了)

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