第3話:File_03_管理会社担当者との通話記録.wav
【編集部注】
依頼人・A氏への取材を経てもなお、K氏は事態の核心について懐疑的な姿勢を崩していなかった。
「幽霊や妖怪の類ではなく、何らかの事件、あるいは構造的な欠陥を隠蔽するための作り話ではないか」
K氏はそう推測していた節がある。
本ファイルは、K氏がSヶ丘団地を管理する「公社」の窓口、およびその下請けと思われる管理会社担当者と行った通話の録音記録である。
当初は単なるクレーマーのような扱いを受けていたK氏だが、会話が進むにつれ、担当者の態度は奇妙な変遷を辿る。
特に、後半部分に含まれる「保留音」の中に混入した音声には、注意して耳を傾けていただきたい。
【K氏の取材メモ:202X年5月22日】
A氏から託された「拝み井戸」の地図と、実際の団地の見取り図を照らし合わせた結果、一つの仮説が浮かび上がった。
4号棟404号室に相当する空間は、意図的に「封鎖」されたのではなく、最初から「利用不可能な空間」として設計されたのではないか。
しかし、だとしたら外部にあるベランダや雨戸の存在説明がつかない。
建築基準法上の違反建築か、あるいは手抜き工事によるデッドスペースか。
私はフリーライターという肩書きを伏せ、あくまで「4号棟への入居を検討している親族を持つ者」として、管理会社へ問い合わせを行った。
【通話記録データ:Call_01_MainOffice.wav】
(呼び出し音。3コール目で相手が出る)
担当者A(女性):はい、Sヶ丘住宅管理センターでございます。
K氏:あ、すいません。ちょっとお伺いしたいことがありましてお電話しました。そちらの団地の4号棟についてなんですが。
担当者A:4号棟ですね。入居のご相談でしょうか? 現在、4号棟の新規募集は停止しているはずですが……。
K氏:いえ、募集についてではなくて、構造についての質問なんです。実は親戚が住んでいまして、少し心配な話を聞いたもので。4階の部屋割りについて教えていただけますか?
担当者A:部屋割り、ですか。どのようなご用件でしょう。
K氏:単刀直入に言いますと、404号室がない理由を知りたいんです。403と405の間が欠番になっていますよね? でも外から見ると、明らかに部屋のようなスペースがある。あそこは何なんですか?
(キーボードを叩く音。数秒の沈黙)
担当者A:……確認いたしますので少々お待ちください。
(保留メロディ『愛の挨拶』が流れる。約30秒後、曲が止まる)
お待たせいたしました。お問い合わせの件ですが、当該箇所は「PS(パイプスペース)」となっております。
K氏:パイプスペース? 配管を通すための?
担当者A:はい、さようでございます。4号棟は築年数が古く、大規模修繕の際に給排水管のルートを確保するため、一部の住居スペースを配管設備用に転用している箇所がございます。404号室部分はそれに該当します。
K氏:なるほど、転用したわけですね。しかし、おかしいですね。私、実際に現地を見てきたんですが、あそこはどう見ても普通の2DKくらいの広さがありますよ。配管を通すだけで、50平米も必要ですか?
担当者A:構造上の必要性については、詳細な図面がないためこちらではお答えしかねます。ただ、台帳上は「設備用スペース」となっており、居住用ではございません。
K氏:そうですか。では、その「設備用スペース」に、なぜ雨戸がついていて、しかも閉め切られているんでしょうか。配管に雨戸は必要ないですよね?
担当者A:……外観上の統一感を保つための意匠かと思われます。
K氏:意匠? ダミーということですか? じゃあ、あのベランダもダミー?
担当者A:お客様、先ほどから何を危惧されているのでしょうか。
K氏:いや、そのパイプスペースから「異音」がするという相談を受けましてね。水が流れる音じゃなくて、もっとこう、固形物を砕くような音がすると。中で動物でも死んでるんじゃないか、あるいは誰かが勝手に住み着いてるんじゃないかと心配してるんですよ。管理会社として、あの中を確認することは可能ですか?
(長い沈黙。受話器の向こうで、誰かに相談するような気配)
担当者A:……申し訳ございませんが、担当の者に代わります。そのままお待ちください。
【通話記録データ:Call_02_Manager.wav】
(保留音。今度は『グリーンスリーブス』。音質が悪く、時折音が歪む)
男性の声(担当者B):お電話代わりました。施設管理課のサイトウです。
K氏:どうも。先ほどの件ですが、404号室の中を確認していただきたいんです。
担当者B:……4号棟の4階、旧404号室部分についてですね。先ほどの者からも説明があったかと思いますが、あそこは高圧の配管が通っているパイプシャフトです。危険ですので、立ち入りはできませんし、開錠も不可能です。
K氏:開錠不可能? 点検口くらいあるでしょう。
担当者B:全て溶接されています。
K氏:溶接? 点検できないじゃないですか。もし中で水漏れが起きたらどうするんですか。
担当者B:水漏れは起きません。そういう構造になっています。それに、あの中には水以外のものも通っていますので。
K氏:水以外のもの? ガスですか? 電気?
担当者B:……お客様。失礼ですが、どちら様でしょうか? 本当に入居者のご親族ですか?
K氏:ええ、まあ。405号室に住んでいた大学生の叔父です。彼、ノイローゼになって引っ越したんですよ。隣のその「パイプスペース」がうるさいと言ってね。
(「405号室」と言った瞬間、担当者Bの息を飲む音がはっきりと録音されている)
担当者B:……405号室の。ああ、あそこに入居されていた方ですか。
K氏:何かご存知なんですか?
担当者B:……いいえ。ただ、あのお部屋は、その……入れ替わりが激しいので。
K氏:入れ替わりが激しい理由は、隣の騒音のせいじゃないんですか?
担当者B:騒音ではありません。
K氏:は? 今、騒音じゃないって言い切りましたね? じゃあ何なんですか、あの音は。貴方も知ってるんでしょう?
担当者B:お客様。警告しておきます。あの壁には近づかないでください。耳を当てたり、叩いたりしないでください。
K氏:なぜです?
担当者B:共鳴するからです。
K氏:共鳴?
担当者B:古いコンクリートは、音を増幅するんです。特にあの棟は。下手に刺激すると、中の配管が破裂する恐れがあります。そうなったら、汚水どころの話じゃ済みませんよ。この団地全体の問題になります。
K氏:どういう意味ですか、それは。
担当者B:……これ以上の回答はいたしかねます。とにかく、あの場所は「存在しない」ものとして扱ってください。それがルールです。二度とお電話されないようにお願いします。
(ガチャリ、と乱暴に電話が切れる音)
【K氏の取材メモ:現地調査報告】
電話を切られた後、私の疑念は確信に変わった。
彼らは何かを隠している。それも、単なる手抜き工事や事件事故ではない、もっと根本的な「何か」を。
「溶接されている」「共鳴する」「水以外のものが通っている」。
担当者Bの言葉は、設備管理者のそれというより、まるで爆発物処理班か何かのようだった。
私は居ても立ってもいられず、再びSヶ丘団地へと向かった。
今回は、4号棟の4階廊下を詳細に調べるためだ。
現地は相変わらず閑散としていた。
すれ違う住民は高齢者ばかりで、皆一様にうつむいて歩いている。
4階へ上がり、問題の場所へ立つ。
403号室と405号室の間。
そこには確かに、壁があった。
しかし、よく観察すると、奇妙な痕跡が見つかった。
壁のコンクリートの表面に、長方形の枠のような盛り上がりがうっすらと見える。
かつてここにドア枠があったことを示している。
その枠の内側は、周囲の壁と同じ色で塗装されているが、手触りが違った。
叩いてみる。
「コツ、コツ」
硬い。コンクリートで完全に埋められているようだ。
だが、その下のほう、床に近い部分に、小さな金属製のプレートが半分埋もれているのを見つけた。
塗装が剥げかけたそのプレートには、刻印があった。
『特・D-04 給餌口 開閉厳禁』
給餌口(きゅうじこう)。
見間違いかと思い、スマートフォンのライトを当てて何度も確認した。
給水でも給気でもない。「給餌」。
餌をやるための穴?
パイプスペースに?
その時だった。
背後で「カチャン」と音がした。
振り返ると、向かいの棟の通路から、作業着を着た老人がこちらを見ていた。
管理員か、清掃員だろうか。
彼は私に向かって、バツの字を作るように両手を交差させ、激しく首を振った。
「関わるな」というジェスチャーだ。
私は彼に話を聞こうと駆け出したが、階段を降りて向かいの棟に着いた時には、もう彼の姿はなかった。
【音声解析報告:Call_01_MainOffice.wavの保留音について】
読者諸兄におかれては、先ほどの通話記録にあった「保留音」をどう聞いただろうか。
私はこのデータを編集する際、誤って再生速度を落としてしまったのだが、その時に奇妙な音声が含まれていることに気づいた。
担当者Aが上司(担当者B)に相談している間の保留音だ。
楽曲は『愛の挨拶』。
その背後で、電話機のマイクが拾ってしまったと思われる、オフィスの環境音だ。
ボリュームを上げ、ノイズを除去したものをここに書き起こす。
(以下、保留音の背後の会話)
男の声A(担当者B?):……また4号棟か?
女の声(担当者A):はい。405の親族と名乗っています。パイプスペースの中を見せろと。
男の声A:今月で何件目だ。封鎖が緩んでるんじゃないのか。
男の声B(遠くの声):計器の数値は正常ですけど、昨日の夜、地下ピットのセンサーが反応してます。
男の声A:吸気ダクトか?
男の声B:いいえ。這い上がってきてる可能性があります。
男の声A:クソッ、B婆さん(※第4話登場予定の人物か?)に連絡しろ。当番を強化させろ。
女の声:あの、電話の方はどうしましょう。
男の声A:適当にあしらえ。絶対に近づけるな。「中身」に感づかれるぞ。
女の声:はい……あ、保留切ります。
(書き起こし終了)
この会話が事実なら、私の推測は半分当たりで、半分間違っていたことになる。
彼らは「隠蔽」しているのではない。
「管理」しているのだ。
何か、這い上がってくるものを。
そして「当番」という言葉。
住民たちもまた、この管理システムの一部に組み込まれている可能性がある。
【K氏の私的録音:自宅にて】
202X年5月23日 午前3時。
眠れない。
取材から戻ってきてから、部屋の様子がおかしい。
飼っている猫(ミイ、雌、3歳)が、私のベッドの下に向かって威嚇を続けている。
さっきからずっとだ。
ベッドの下には衣装ケースしかないはずだ。
だが、ミイの毛は逆立ち、喉の奥から聞いたことのないような低い唸り声を上げている。
勇気を出して、スマホのライトでベッドの下を照らしてみた。
何もない。埃が溜まっているだけだ。
いや、違う。
壁際。
衣装ケースの奥の壁に、小さな穴が開いている。
直径1センチもない、画鋲の跡のような穴だ。
こんな穴、前からあっただろうか?
近づいて見てみる。
穴の周りが、黒く変色している。
湿っているようだ。
鼻を近づけると、あの匂いがした。
Sヶ丘団地の405号室の前で嗅いだ、あの甘ったるい腐臭。
まさか。
ついてきたのか?
いや、物理的にありえない。あそこから私の家までは電車で1時間以上かかる。
だが、担当者Bの言葉が脳裏をよぎる。
「共鳴する」
あの団地の空洞は、孤立した空間ではないのかもしれない。
「穴」という概念を通じて、あらゆる場所の隙間と繋がっているとしたら?
今、穴の向こうから音が聞こえた気がした。
耳を澄ませる。
(録音データ:Home_Noise.wav)
……スゥ……ヒュルル……
(微かな呼吸音)
……ミツ、ケ、タ……
気のせいだ。疲れているんだ。
これは風切り音だ。
マンションの気密性が高いから、隙間風が鳴っているだけだ。
そう自分に言い聞かせて、私はガムテープでその穴を塞いだ。
三重に、四重に重ねて塞いだ。
でも、ミイはまだ唸っている。
ガムテープの上から、壁を見つめ続けている。
明日は、今日見かけた「作業着の老人」を探す。
あるいは、古くから住んでいる住民に話を聞く必要がある。
A氏の話では、406号室は「鈴木」という表札だった。
だが、今日見た郵便受けには、別の名前があった気がする。
いや、406だけじゃない。
あの階の住民たちは、本当に「人間」なのだろうか。
そんな妄想に取り憑かれるほど、私は消耗している。
(File_03 終了)
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