第4話 血管直結《ブラッド・コネクト》
「……正気か、お前」
レオンの声が震えていた。
極限の騒音の中でも、その言葉だけはクリアに聞こえた。
「お前の血液量は約5リットル。対して、このエンジンの冷却循環系(ライン)の容量は2000リットルだ! 仮に全血液をブチ撒けたって、冷却液(クーラント)の代わりになんかならねえぞ!」
レオンの指摘は正しい。物理的体積が圧倒的に足りていない。
だが、レンは表情一つ変えず、医療キットから輸血用の太いチューブを取り出した。
「勘違いするな。俺の血で冷やすんじゃない。『詰まりを抜く』んだ」
レンはナイフの切っ先で、自身の左腕の静脈を探る。
「今の配管を詰まらせているのは、酸化して重合した有機系オイルの
「酵素……?」
「人間の血液成分に、ユナの純度100%の魔力を過剰供給して反応させる。すると血液は、あらゆる有機化合物を分解する強酸性の『劇薬』へと変質する」
レンは躊躇なく、点検孔のバルブをレンチでこじ開けた。プシューッ! と熱い蒸気が噴き出す。
「5リットルもあれば十分だ。その『劇薬』が循環系を一周すれば、詰まったヘドロはドロドロに溶けて流動性を取り戻す」
「理論はわかった! だが、それはお前の血管に魔力を……炉心の熱量を直接流し込むってことだぞ!? 血液が沸騰して死ぬぞ!」
「死なない程度に制御するのが、ユナの仕事だ」
レンはチューブの一端を、開いた点検孔のノズルに強引にねじ込んだ。
そして、もう一端の鋭利な針を、己の左腕の肘の内側――太い血管が浮き出る場所へと突き立てた。
ブスリ。
鮮血がチューブを伝い、機械の中へと吸い込まれていく。
「ユナ! 聞こえるか!」
レンが伝声管に向かって叫ぶ。
『き、聞こえるけど……レン君、何してるの!? レン君の匂いがするよ!?』
「配管洗浄を行う。今から俺の体を通して、魔力を冷却パイプへ流し込め」
『え……?』
「やるんだ! あと30秒で俺たちは全員、泥の底だ!」
ユナが息を呑む気配がした。
だが、彼女はプロだ。レンの覚悟を悟り、泣きそうな声で、それでも力強く応答した。
『……わかった。レン君の血、一滴も無駄にしない!』
瞬間。
ドクンッ!!
レンの心臓が、早鐘のように跳ねた。
「ぐ、ぅぅぅぅぅッ!!」
レンの喉から、押し殺した呻き声が漏れる。
ユナから送られてきた魔力が、血管を奔流となって駆け巡る。
熱い。熱いなんてものではない。
まるで溶けた鉛を静脈に流し込まれているような激痛。
レンの左腕の血管が、青白く、毒々しい光を放って発光した。皮膚の下で、変質した血液が脈打つ様子が透けて見える。
「流体反応、開始……! 行けぇッ!」
レンの血が、魔力と反応して白銀色の液体となり、冷却パイプの中へと圧送される。
ジュボボボボボッ!!
パイプの中で、何かが溶ける不気味な音がした。
血管直結(ハード・コネクト)。
人間というパーツを、洗浄装置として機械に組み込む狂気の沙汰。
「お、おい見ろ! 油圧計が!」
レオンが叫ぶ。
死んでいたはずの油圧ゲージの針が、ピクリと反応した。
赤色の危険域から、一気に緑色の適正域へと跳ね上がる。
「循環再開! ヘドロが溶けたぞ! オイルが回り始めた!」
プスン、プスン……ドオォォォォン!!
停止していたジェットエンジンが、咳き込むように煙を吐いた後、爆発的な咆哮を上げて息を吹き返した。
排気口から、再び透明な暴風が噴き出す。
「冷却風、復活! レール硬化確認!」
「よし! 全速離脱だ!」
レオンがスロットルを叩き込む。
硬さを取り戻した鋼のレールを蹴って、列車は泥沼からの脱出を開始した。
背後まで迫っていた空間崩壊の闇が、加速する列車に追いつけず、遠ざかっていく。
「……はは、ざまあみろ! 生き残ったぞ!」
レオンが勝利の拳を突き上げる。
だが、その歓喜の声に応える者はいない。
「……レン?」
レオンが振り返る。
そこには、点検孔からチューブを引き抜き、床に崩れ落ちるレンの姿があった。
顔面は紙のように白く、大量の失血と魔力負荷で、全身がガタガタと震えている。
左腕の穿刺(せんし)箇所からは煙が上がり、周囲の皮膚は赤黒く変色していた。
「おい、しっかりしろ!」
レオンが慌てて駆け寄り、肩を抱く。
レンは虚ろな目で、震える指先で懐の計算尺を探っていた。
「……循環効率、回復……」
レンは、かすれた声で呟く。
「俺の血液……1.2リットルの損失……。だが、列車(こいつ)の修理費よりは……安くついた……」
ガクリ、とレンの頭が垂れる。
気絶したのだ。
「……馬鹿野郎が」
レオンは悪態をつきながら、レンの体を支え直した。その目には、もはや侮蔑の色はない。あるのは、畏怖に近い敬意だけだった。
「お前はイカれた会計士だ。……だが、計算は合ってやがる」
列車は神域の深部へと突き進む。
その鉄の道は、一人の男の血によって贖(あがな)われていた。
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