第3話 河童編

河童編


 赤鉄橋は町と町の間に流れる、四万十川にかかっている。

 文字通り、唐突感の否めない、真っ赤で大きな鉄橋である。

 赤鉄橋を、文芸部の坂森紅子が自転車で渡っていた。眼下の川辺に一条を発見する。彼は釣竿を投げ、糸が光った。

 紅子は渡り終えたところで自転車を止め、土手の階段でおりていく。

「一条部長」

 後ろから声をかけると、一条は振り向いた。

「おお、酒盛りさん」

「坂森です。イントネーションが、違う」

 一条の釣竿は簡素で、リールなどはついていない。

 なぜか大きな金庫がおいてある。

「何を釣ってるんですか」

「河童」

 と言って一条は竿を引く。川面から飛び出た釣糸にはキュウリがついていた。

「河童はキュウリで釣るものだ」

 紅子は(さて)と首をかしげる。

「ここは河童の本場ではありませんよ」

「承知の上だ。しかしね、本場はもっと上流で、棹を垂らしたことがあるんだ。しかしなにも釣れなかった。小学生の僕はとてもがっかりした」

「はあ」

「三泊もしたんだ。しかしなにも釣れなかった」

 親が疲れそうだと思う。

「竿はもう1本ある。坂森氏もやってみたまえ」

 面倒なことに巻き込まれた。紅子は棹を取り、川に投げる。

 ちゃぽんとキュウリと重石の落ちる音。

 一条は棹を小刻みに揺らす。

「上流にいないなら、下流だろう」

「単純ですね」

「そうだろう」

 しばしなにもしない時が過ぎた。紅子はいう。

「これってデフォルトモードネットワークですか」

「何だそれは」

「よく知りませんが」

 二人に呆れた様子で、もう一人の釣り師が声をかけてくる。

「嬢ちゃん、このミミズを使いな。遠慮はいらねえ」

 タッパーのなかにミミズがたくさんうねっている。

「ありがとうございます」

 紅子はミミズを1本つまみ、ふらふらするそれに針をぶっ刺した。

「魚は水のなかにしかいないのに、何で土のものの味がわかるのでしょう」

「知らん。くそう、僕のキュウリじゃ不満か」

「黙っててくれますか」

 紅子のアタリは速かった。次々とよくわからない魚が釣れた。釣り師の魚籠はたちまち一杯になり、タッパーのミミズが空になる。

「魚は全部やるよう」

 と釣り師は破顔したが、紅子は丁重に断った。

 夕暮れが迫っていた。

「ようし、黄昏時は妖怪の時間だ」

「そもそも、なぜ河童を? 河童の世界に行きたいんですか。統合失調症になりたいんですか」

「いや、河童を捕まえて、一躍時の人になりたい」

 ああ、だからでかい金庫があるのか、と紅子は納得する。

 一条は既に河童の世界くらい行ったことがあるのでは、と危ぶむ。

そんなとき、一条の竿がぐんとしなった。

「来たか!」

 と一条は勢いよく棹を立てた。が、プツンと切れた糸のみが上がってくる。

「根掛かりか」

「もう帰りましょう」

「いいや、キュウリはまだ君のが1本ある」

「勝手にしてください」

 土手を上がっていきながら、紅子は思う。(島田くんが一緒にいないのも珍しい。竿は二本あるのに)

 のちに聞いた話では、島田は夏風邪のふりをして断ったという。「釣りにはいい思い出がないんだよ。人の帽子を引っ掻けちゃったり、オマツリしたり、熱射病で死にかけたり」

「一条さんて子供っぽいことするね」

 紅子がそういうと、島田は手を振って否定した。

「違うよ。子供だってあんなことはしない。好奇心は河童をコロがす」

「何それ」

「それより、何で僕を呼んでくれなかったの。飛んでいくのに」

 ああ、面倒くさい関係だなあ、と思いつつ紅子は呟く。

「あなたに、嫌われたくないから」

 すると島田の頬が緩み、「そっかあ」と肩が下がる。

 紅子は口の端をあげ、

 河童の世界みたいに、こちらから食っちゃおうかな。

 なんて思った。


河童編 終

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