第1章 【獄樂京】水底の番人編

第18話 三途の渡り人

俺の憧れで、目標だった。


ある時俺は巡回の最中に1隻の船を見つけた。

SOS信号を発した、レーダーに映らない幽霊船。


船員は引き返そうと言った。

でも俺はどうしてもそれを見過ごすことが出来なかった。

救命用のボートをだし、独断でその船へと向かった。


するとどうだろうか。

どこからともなく聞こえる呻き声。

荒れた海の底から感じる妙な気配。

間違いない、この下に、誰かがいる。


俺はたまらず海に飛び込んだ。

――それが罠とも知らずに。



霧の向こうに広がる世界は、

村とはまるで違う色をしていた。


黒い瓦屋根の上を狐火が駆け、

遠くの楼閣には巨大な影がまたたく。

朱塗りの橋、宙に浮かぶ鳥居、

そして空には何十羽もの黒翼が円を描く。


「……ここが、獄樂京……」


鈴が息を飲むと、隣で夜華が頷いた。


「獄樂京。複数からなる黄泉の国の一国だ。……見ろ、歓迎されてるぞ。」


夜華が顎で示した先で、スザクが全力で手を振っていた。


「お嬢うぅぅ!大将ぉぉぉ! こっちっす!!

 道案内はこのスザクにお任せくだせぇ!!」


「少し声量落とせ、スザク。」


「すんませんッス!!」


獄樂京は人でない者の都――

だが鈴に敵意はなく、むしろ好奇心の視線すら感じる。


ふと、風が止んだ。


次の瞬間。


ちゃぷん。


足元に、水の気配が生まれた。


「……水?」


「……あいつだな」


夜華が視線を向けた先

霧が裂け、静かな川が姿を現した。

その中央に――一艘の黒い舟。


そして、その舟の舳先に立つのは。


水色の髪がゆらりと揺れ、

軍服の肩章が霧の中で光る。


黒い海を思わせる褐色の肌。

右目に走る古い傷。

そして、どこか外国訛りのある低い声。


「――おかえりなさい、大将」


穏やかな笑みとともに、その男は軽く敬礼した。


「アレン、来てたのか」


夜華が僅かに表情を緩める。


その瞬間――

鈴の肩を優しく支えるように、水がさらりと流れた。


アレンは鈴を見ると、柔らかく目を細めた。


「噂の鈴ちゃんって、君?」


「……え?」


「うん、やっぱり。目元、似てるね。」


「……誰に、ですか?」


男は軽く舟を押さえたまま、さらりと言った。


「君のおじいちゃんに」


鈴の心臓が跳ねた。


「――っ!」


隣で夜華が、穏やかに口を開く。


「こいつはアレン。三途の川の番人だ」


「海軍でした、昔ね。よろしく」


にこっと笑い、アレンは帽子に触れて軽く会釈した。

外人らしい距離の近さで、鈴の目を覗き込む。


「しかし……ほんと似てる。あのおじいちゃんの目元そっくり」


胸が熱くなる。


「あの……おじいちゃん、どうして……あなたと……」


「んー?」


アレンは舟の上に片膝をつき、鈴と目線を合わせた。


「君のおじいちゃん、こっち側に来たんだよ。昨夜ね」


鈴は唇を震わせる。


(……やっぱり……)


「でも、安心しなよ」


アレンは優しく笑った。


「君のおじいちゃんは、俺が見てきた誰よりも綺麗に逝った。後悔ゼロ。やりきった顔してたよ」


「……っ」


「大将の……大事な人の、大事な人だからね。特別に伝言、預かってる。本当はダメなんだけどね。」


「……伝言……?」


アレンは片手をひらりと上げ、少し照れくさそうに言った。


「――来世でも、お前のじぃになるからな。って」


鈴の視界が一気に滲んだ。


「……おじい、ちゃん……」


アレンは優しく肩をすくめた。


「愛されてんね、君。あんな言葉、今のご時世滅多に聞けないよ」


夜華は鈴の肩にそっと手を置き、静かに言った。


「君のおじいちゃんは、君を置いてなんかいかない。魂になっても、ずっとずっと見守ってるよ。たとえ向かう先が天国だろうと、地獄だろうとね」


鈴はぎゅっと目を閉じた。

涙が落ち、霧が揺れる。


「……改めて紹介する。三途の川の案内人で、この川の番人――アレンだ」


アレンは胸に手を当て、深々と頭を下げた。


「初めまして。雲津鈴さん。君を三途に引きずり込もうとしていたあいつが消えて、本当に安心したよ」


鈴は思わず息を呑む。


(……この人もしかして、全部、知ってる……?)


アレンは続けた。


「大将が君を守ったことも、君が大将を選んだことも――僕は、全部見ていたから」


その声は海の底のように静かで優しい。

だがどこか寂しげだった。


「それにしても」と夜華が眉を寄せる。


「アレン。……様子がおかしいな」


「うん。ちょっとね」


アレンは軽く笑ったが、その瞳は笑っていない。

スザクがひょこっと顔を出す。


「大将、大変っすよ!三途の川が、現世の海と共鳴してるって……!」


夜華の表情が変わる。


「……共鳴?」


アレンが静かに息をついた。


「……誰かが、海で……沈んでるんだ。でも、手掛かりがなくてね」


「故意か人為的なのかはまだ不明。唯一分かるのは誰かが現世の海で沈んで、三途に引き摺り込まれている。その影響でここと現世の海が変に共鳴しているんだ。」


空気が凍った。

そして、アレンが鈴へ向き直る。


「雲津鈴さん。お願いがある」


「……わたしに?」


「俺たちみたいな存在は現世に上手く関与できない。生きている君ならもしかしたら、助けを求める誰かを救えるかもしれない」


「え……?」


「……きっとあの海は、誰かを孤独の海の底に沈ませようとしている」


アレンの声は震えていた。


「もう二度と……誰も失いたくない。俺と来てほしい。三途の川の、現世の海の異変を、止めるために。」


鈴は息を呑む。

夜華は鈴の肩に手を置いた。


「鈴。アレンの頼みは……重いぞ」


それでも鈴は頷いた。


「行く。……放っておけないよ」


アレンの喉がほんの少しだけ揺れた。


「ありがとう。本当に……ありがとう」


「でもまずは!大将のお嫁さんの顔見せの方が大事だよね!明日また迎えに行くから今日はゆっくりしてて。1日くらい俺の方で何とかするからさ」


アレンは舟を軽く押し、向きを変えた。


「じゃ、俺は仕事に戻るよ。大将――彼女、頼んだ」


「もちろんだ」


アレンは空色の瞳を細め、ふっと笑った。


「またすぐ会うよ、鈴ちゃん。ここから先は、渡り人の縄張りだからね」


軽く手を振り、舟は霧の奥へと消えていった。

残された川だけが、静かに流れている。


鈴は涙を拭って夜華を見た。


「……行こう、夜華」


夜華は鈴の手を握り、


「行くぞ。獄樂京へ」


霧が開き、真紅の灯りが道を照らし始めた。


こうして第1章 水底の番人編が幕を開ける。

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