【短編】時計職人と、ふたりの騎士団長
キタノユ
時計職人と、ふたりの騎士団長
わたくしは、ロストリア王国城下町にて時計屋を営んでおります。
姓をドラギオン。名は曾祖父の名を受け継ぎドミトリアンと申します。
我がドラギオン時計店伝統の自慢は、職人の手作業にこだわっていることにございます。
世に
軍需製造物からはじまり生活用品に至るまで様々な物に機械の手が入る中、我が時計店はあくまでも職人技にこだわっております。機能はもちろん、宝石装飾の技術を取り入れ装飾にも、こだわりがございます。
優美なご婦人にはバラをあしらった華やかなものを。生まれてくる子息様への贈り物だという若い父親には、騎士をあしらった威風漂うものを。それぞれの御客様に合わせて世界に二つとない時計を作ります。
わたくしはもう還暦を迎えまして、そろそろ跡継ぎにこの店を……と考え始めているところです。息子は職人街のマエストロアカデミーで装飾技術の講師をしておりまして、教職の仕事が性に合っているのか、もう少しだけ猶予をくれとせがまれました。
わたくしの引退は日延べとなりましたが、息子に店を継ぐ意思がある事が分かっただけで、いまはヨシとする事にしました。
そのような調子で本日も、平穏な朝が来ます。
わたくしはいつも通りに朝食を済ませた後、店のカウンターに座り、ご婦人のお客様から頼まれました懐中時計の修理を行います。
この時計は装飾がまた美しい代物でして。赤い宝石の淵に彫り物をほどこした貝殻で装飾してあるものなのですが、そこに彫り込まれているのは、絵本に現れるような麗しい王子様です。
もちろん、わたくしが造ってさしあげたものでございますよ。
店を開く準備を終え、お客様を待ちながら店内の掃除をしているうちに正午を迎え、昼を少し過ぎたあたりに常連の御客様が一人、二人ほど御顔を見せにいらっしゃいます。
「それにしても、最近は物騒で怖いものですわね。王都で開かれた祝賀パレードの最中に襲撃騒ぎが起きたのですって」
「襲撃者は即座に捕まったそうだが、不届なものだ」
そんな物騒な世間話に声をひそめあいながら、茶を飲んで、お帰りになる。
再び静かになった店内でひとり、時計カバーに宝石をはめ込んでおりましたら、
「おや?」
店の扉に飾ってある鳴鈴が乾いた音をたてたので、わたくしは作業の手を止めて顔を上げました。
はて、このような時間に珍しい。傍らの壁掛け時計を見れば、まだ昼前。わたくしの店は東向きにあるため、この時間は東からの太陽が天に登りきらない為に店の入り口からいっぱいの光が差し込むのでございます。
真っ白な光のカーテンの中に現れたのは、この店の客としては珍しい、しなやかな人影でした。
「いらっしゃいませ」
眩しさに目を細めながらわたくしがお客様に挨拶いたしますと、長身の人影は丁寧な物腰で会釈を返して下さいました。
はて、これは恐らく高貴な身分の方に違いないと直感いたしました。
「こちらは、ドラギオン時計店でしょうか」
開いた扉と店の入り口の境に立ったままのお客様の声。
凛とした、ずいぶんとお若い方のようです。
「左様でございます。ささ、どうぞ中へ」
「良かった。失礼します」
安堵した声と共にお客様がドアを閉めました。外から溢れ流れ込んでくる大量の光がドアに遮られて、ようやくお客様の御姿をはっきりと目にする事ができるようになりました。
「貴方様は……」
いやはや。
驚きました。
そこに、さきほどまでわたくしが修理をほどこしていた時計カバーに彫られた王子様のごとき、麗しい青年が立っているではありませんか。
藍を極限まで深めたような、艶やかな黒髪と瞳。
少年か少女とも見紛う相貌は、月明かりに照らされた白磁のように繊細で、冷ややかなる美しさを湛えております。
しなやかな柳の枝か、あるいは極限まで引き絞られた
「シオン・フェリアと申します」
名乗ると、青年は腰から上体を折り、深々と頭を下げました。
背筋の伸びやかさと流れるような所作は、東方の国に伝わるという美しい礼節そのもの。
「お忙しいところ、突然申し訳ありません。ですがどうしても貴殿にしか頼めない事なのです」
お声は怜悧でありながら、雪解けの湧水のごとく、わたくしの鼓膜を打ちました。
間違いありません。
このお方は、ロストリアが誇る騎士団の一つ、
「光栄にございますシオン様。なんなりと」
わたくしは内心の動揺を表さぬよう、立ち上がり、いつもの笑みでお答えしました。
ロストリア王国には、対をなす二つの屈強な騎士団がございます。
一つは、漆黒の重装甲に身を包み、魔物討伐や遠征といった最前線で「剛」の武を振るう、攻撃と突破力の要――
もう一つは、白銀をまとい王都の治安維持、遊撃を担い、速さと妙技で敵を穿つ「柔」の盾――
その白隼の長の座に、前例のない若者が就いたことで、城下町は蜂の巣をつついたような騒ぎになっておりました。
とりわけ若いご婦人方の浮き立ちようといったら、それはもう華やいだものでした。
新しく叙任された白き団長様は、かつてないほどの若さで、かつロストリアには珍しい、黒髪に黒い瞳の、東方の出であると。
古き殻を破るロストリアの、新しい時代の幕開けなのだと持て囃す声がある一方で、
「東の果てより流れ着いた、家柄も定かではない若造に、王都の守りを任せていいのか」 と、外様の若者を危ぶむ保守的な批判の声も、よく耳に入ります。
そんな噂の渦中にあるその『東の若者』こそが、目の前に佇むお方なのです。
「そう仰って戴くと心強い」
まだ初々しさが残る笑みを浮かべてシオン様は、懐から何かを取り出しました。
大切そうにレースのハンカチーフで包まれたそれをカウンターに置き、広げていきます。
姿を現したのは、懐中時計でした。
かなり古いものなのでしょう、銀の鎖はところどころくすみかけ、蓋に彫られた文字と絵が研磨されて一部が消えかけております。
ですが、わたくしにはこの時計に見覚えがございました。
世界に二つとない時計の装飾。
自分で行った仕事の成果を忘れる事はございません。
間違いなくこれは、かつてこの店で注文された品です。
「おや」
時計を手に取り、裏返してみて驚きました。
蓋と文字盤に痛々しいほどの大きな傷がついており、盤全体が外側に歪んでしまっておりました。これは、落とした程度でつくものではありません。
「これは?」
わたくしが顔を上げますと、シオン様はその双眸に悲しげな影を落として仰いました。
「それは、私の……私がお慕いする方のものです。とある理由でそのようになってしまい……。裏に彫ってある判から、貴殿の作品だと聞きつけました」
そう。
この店の全ての作品には、この店伝統の匠判を彫らせて戴いております。
蓋の裏を見ますと、確かにそれが。
「その通りでございますね」
わたくしが答えますと、
「どうか、どうか直していただけないでしょうか」
と、シオン様はカウンターに乗り出して仰いました。
「ですが……」
失礼してわたくしは、大きな傷が見えるように、時計をテーブルに置きました。
「この状態ですと、完全に元通りに—というのは難しいと思われます。何せこの店の作品は全て、世界に二つとない異なった装飾を施しております故、装飾の型版などを置いておりません。持ち主の方がお気に召すように、作りなおせるかどうか」
「そうですか……」
どうしよう、とシオン様。
よほど大切なお方の品なのでしょう。
そうでなければわざわざ、騎士団長たる人物がお一人でこのような場所に、お忍びで訪れるはずがありません。
時計の裏にある匠判も、一目ですぐにわかるものではありませんし、恐らくは懸命に調べてここをつきとめたのでしょう。
「それでは、鎖を付け替え、時計の機械部分をまず直すとしましょう」
わたくしは一つ、ご提案を差し上げる事にしました。
「装飾につきましては、持ち主の方におうかがいしてから、手をつける事にいたします」
「そう、ですね!」
途端、シオン様の表情が明るくなりました。
「本人に、ここを訪ねるよう伝えます。きっと、きっと喜んで下さいます!」
「修理は三日もあれば終わりますが、その頃と考えてよろしいでしょうか?」
「三日……」
面持ちを曇らせ、シオン様の瞳が伏せられます。
形の良い顎に指先を当ててしばしのご思案の後、
「一週間……十日後に伺っても、ご都合よろしいでしょうか?」
恐る恐る、といった風に言葉が継げられました。
「ええ。もちろんでございます。いつでも持ち主の方のご都合に合わせて、お越し下さい。綺麗に直して、お待ち申し上げております」
再び、シオン様の相貌が安堵に和らぎました。
本当にこのお方は一挙一動すべてが麗しく、絵になります。
特に今。
愛しそうに壊れた懐中時計を眺めるこの表情が、ことさらに美しく見えます。
時計を通して、大切なお方の事を思っているのでしょう。
その方は、大変な幸せ者ですね。
それからしばし、雑談などを交わされてシオン様は店を後にされました。
光の中へと再び姿を消していった、若き騎士団長様。
寂れた部屋の中は、しばらく華やいだ空気の余韻に包まれておりました。
カウンターの上に置かれた懐中時計を、わたくしは再びレースで綺麗に包みました。
*
そんな突然の出来事から十日ばかりが過ぎました。
カウンターの隅に置かれた小さな宝石箱。
その中に、シオン様からお預かりした時計が入っています。
もちろん、鎖をつけかえ、時計盤も完璧に治っております。
あとは訪れたシオン様のお友達の方がご来店いただき、お好みに合わせた装飾をほどこすだけです。
「ここのところ機嫌が良いな」
茶飲み仲間に先日、そう言われました。
そうかもしれません。
あのシオン様のお友達がいらっしゃるとなれば、嫌でも楽しみと言わざるをえません。
どのような方なのでしょうか。
騎士団のご戦友。
または、可愛らしいお嬢さんが姿を現すのでしょうか。
息子が初めてガールフレンドを連れてくると言った時の気持ちのようでございます。
カランカラン
昼を少し過ぎた時間。
扉の鳴鈴が私を呼びます。
もしや?
「いらっしゃいませ」
「父さん、久しぶり」
現れたのは、息子、アレクスでございます。
「何だ。お前か」
嬉しくない訳ではありませんが、わたくしはつい、いつもこのようにして息子を出迎えてしまいます。
「ひどいなぁ。久しぶりに帰って来たのに。でもそう言うと思って、今日はシェーラとリリとクレシュも一緒だよ」
いつもの事なので、アレクスは苦笑しながら店の中へとやってきます。
その後ろからアレクスには勿体無い、よく出来た嫁のシェーラ。
そして幼いわたくしの孫二人が、シェーラの手に連れられています。
「ごきげんよう。お義父様」
「おじーちゃま」
「おぉ、リリにクレシュ」
親馬鹿ならぬ孫馬鹿でございましょう。
やはりどんな偏屈爺になっても、孫には敵いませんね。
「久しぶりに、外へ食事でもしに行かないか?」
とアレクス。
ですが、私は店を空けるわけには参りません。
シオン様のお友達が、いつご来店されるか分かりませんでしょう?
わたくしが返事に迷っている事に、シェーラが事情を察したようです。
「お客様がいらっしゃるのですか?」
「実はそうなんだ。大切なお客様でね」
おじーちゃま……と、リリとクレシュが悲しげにわたくしを見上げますが、ここは我慢です。
「そう。いつ頃?」
とアレクス。
「さあ。今日か明日か明後日か……」
「きちんと予約をとっていないのか?」
アレクスが、呆れたとばかりに目を丸くしました。シェーラと驚いて顔を見合わせております。
わたくしは、変人呼ばわりされる事には慣れておりますので、気にしてはおりません。
「では、私がお昼ご飯とお菓子を作りますね」
とシェーラがわたくしに笑みを向けます。本当に、よく出来た嫁でございます。
「だからみんなで、おじいちゃまと一緒にお客様をお待ちしましょう」
孫達が歓声を上げて「お待ちするー」と台所がある奥の方へと、かけて行きました。
店のカウンターにわたくしとアレクスが残されました。
「その大切なお客様というのは、どんな方なんだい」
静かになった店の中。
カウンターの上に置かれた工具を何気なく触りながらアレクスが呟きます。
わたくしはカウンターの宝箱から、レースにつつまれた例の時計を取り出しました。アレクスはその何も装飾のない状態の時計に酷く驚いたようです。
「飾りはまだこれからなんだよ。そのお客様がいらしてから、ご相談を受けるんだ」
「でもいつになるか分からないんだろう?」
変わったお客様だと付け加えてアレクスが立ちあがりかけた時、本日二度目の鳴鈴がわたくし達を呼びました。
「「いらっしゃいま――」」
わたくしとアレクスの声が重なります。
そのお客様が、いらっしゃった。
直感で分かりました。
光が
シオン様の時より長く、大柄でした。
そしてまず目に入ったのは、シオン様の白銀と対照的な、深い夜のような漆黒。
隣でアレクスが「あ!」と驚いた声を漏らしたのが聞こえました。
「忙しいところ、申し訳ない」
重厚なバリトンと共に扉が閉められ、わたくし達の前に姿を現したのは、シオン様率いる白隼騎士団と対照的な、「剛」を司る
獅子のたてがみのごとき、黒衣に映える黄金の髪。射抜くような眼光を放つその双眸は、嵐の前の海のごとき
生粋のロストリア人特有の白い肌は精悍に灼け、目尻には積み重ねてきた年月と篤実さを物語る笑い皺が、刻まれております。
女性的な柔和さは微塵もなく、
ロストリアの民の誰もが知る英雄、その御名は—―
「ノーマン・レーヴェンシュタインだ。先日、シオンという者がこちらに何かを預けていったと思うのだが」
何と言うことでしょう。
これでこの十日のうちにこの店にロストリアの騎士団長様がお二人も足をお運びになった事になります。
「はい。承っております。どうぞこちらへ」
こみ上げる興奮を足元にふんずけて抑えこみ、わたくしはいつもの笑みでノーマン様を、カウンターの前の椅子へとお迎え致しました。
「失礼する」
アレクスにも会釈を向けて、長い両足がカウンターの方へと歩みよります。
「?」
その足取りに、わたくしはつい首を傾げました。
微かに体の重心が傾いでいるのです。
身体のどこかを庇っているような歩き方だと思いました。
お怪我をなさったのでしょうか。
それに気がついて、失礼ながら改めてノーマン様を観察してみれば、右手の白い手袋に対して左手は、素手に白い包帯を巻いた状態でした。
「お客様がいらっしゃいましたの?」
奥からシェーラの声がします。スリッパの軽く柔らかい足音が近づき、
「お客様も、お茶をいか……」
ノーマン様におどろいたのでしょう。
語尾が間の抜けたように途切れてしまっておりました。
「あー! 騎士様!」
「騎士様だ!」
すぐ後ろから今度は幼子達の声です。
店の中が突如に騒がしくなってしまいました。
「こら! も、申し訳ございません」
シェーラが、ノーマン様に駆け寄ろうとした子供達を、慌てて後ろから捕まえます。「やーだー」と手足をバタつかせる孫たち。
「っはは」
小さく笑ってノーマン様はまずシェーラに会釈をみせられ、そしてその場に片膝をついて孫達に視線を合わせると、
「ノーマン・レーヴェンシュタインだ。よろしくな」
とクレシュの頭を撫で、リリの小さな手を取りキスをされました。
さすが騎士様。リリは頬を染めて無邪気に喜んでいます。
すっかり恐縮して言葉を無くしてしまった息子夫婦をよそに、わたくしは改めてノーマン様に椅子をすすめました。
カウンターの上に置かれたそれに目を留められたノーマン様の双眸が、驚きに見開かれました。
「これ、は……」
何故ここにこれが?
と言う戸惑いの色を双眸に表し、恐る恐る懐中時計を手に取られました。
鎖がぶつかり合う不安定な響きが、室内に転がります。
「すっかり直りました。後は装飾をつけるだけです」
「直、った?」
何やらお話が通じていないご様子。
わたくしはひとまず、シオン様がご来店なさりこの時計を置いて行かれるまでの経緯をご説明申し上げました。
「ええ。だいぶひどく傷がつき、歪んでしまっていたので」
「…………」
「これは、ノーマン様の時計だとうかがったのですが?」
「ああ」
眉目に影を落とされたノーマン様は、ですが私の問いに顔を上げて笑みを見せてくださいました。
「これは、二十年以上も前に母がここで購入したものだ。その時、俺も一緒だったらしいのだが、覚えていなくてな」
ノーマン様のそのお言葉に、わたくしの脳裏に光が灯されました。
そう。
わたくしは、自分の作品を決して忘れない。
そして、その作品を作り上げる時に想ったお客様のことも。
ノーマン様のお顔を間近で見て思い出しました。
店にやって来られた、黒髪の女性。
目立つような美人というのではなく、たおやかで清潔的な雰囲気のお綺麗な方でした。
確かに、彼女の片手には、幼い少年の手がつながれていました。
無口であまり喋りませんでしたが、利発そうな少年でした。
「おお……あの時の」
わたくしは懐かしさのあまり、何度も頷き返してしまいました。
「騎士団に入団する時に、守りにと母から譲り受けて以来、ずっと身につけていたのだ」
「そうでしたか」
ほう、と後ろの方からアレクスの溜息が聞こえてきました。
少しはこの老いぼれの事を見なおしでもしたかと期待したいところです。
話の区切りと見て、シェーラもお茶の用意をしに奥へと戻っていきました。
子供達は、部屋の隅にある椅子に腰掛けて、おとなしくノーマン様を眺めています。
「失礼ですが」
ノーマン様のお口が止まったところで、わたくしはずっと疑問に思っていたことを打ち明けることにしました。
「シオン様がこの時計を持ってこられた時には、蓋に酷い傷がつき、文字盤も歪んでおりました。一体どうなされたのですか。そう滅多なことでは」
すると、それと分かるくらいに、ノーマン様の双眸に悲しい影が落ちました。
自らを恥じるように。
「すまない。恐らくそれは」
といいながらノーマン様は包帯がされた左手をカウンターに乗せられました。
「先日、不覚にも刺客による襲撃を受け、その時に」
「まもののこと??」
「こわーい!」
子供達の声がノーマン様の言葉を遮って響きました。
「これ! 大人しくしていなさい」
アレクスに注意を受けて子供達は身をすぼめて大人しくなってしまいました。
「その時に、お怪我をなさったのですね?」
痛々しい包帯に私が目をやると、少し恥じらいを含んだ苦笑でノーマン様は深く頷かれました。
「三日三晩、意識が無かったようだ。未熟で恥ずかしい話だが」
「……」
ちょうどお茶を運んできたシェーラが絶句しております。
「そのとき、ノーマン様はこの時計をどこに装着なさっていたので?」
わたくしの質問にきょとんと子供っぽく目を丸くされて、ノーマン様は自らの左胸に手を当てられました。
「首にかけて、内側の胸ポケットに」
「さようでございましたか」
脳裏で蟠っていた謎が全て氷解しました。
シオン様が数日前にこの壊れた時計を持ってきたこと、一週間以上経ってから現れたお怪我をなさった様子のノーマン様。
「それはきっと、この時計が、お母上がノーマン様のお命を守ってくれたのでしょう」
「!」
ノーマン様の瞳が真直ぐにこちらを見つめます。
わたくしが満面の笑みと頷くと、ノーマン様は左手を左胸元に添えました。
恐らくは、そこに酷いお怪我をされたのでしょう。
寸でのところでこの時計が命を救ってくれたのだと、今ここで実感なさっているのかもしれません。
「シオン様が、それはご熱心に、わたくしにこの時計を直してくれと懇願されました。一週間以上前の事ですから、ノーマン様が臥せっておられた頃ですね。貴方様の御快復を真剣に願うお心故でしょう」
「シオンが……」
命を救ったこの時計を直せば、ノーマン様が目を覚まされるのではないか。
そんな神か藁でも、この際この町外れの時計職人でもいいからすがりたいという健気なお気持ちが、ひどく尊いものに感じられます。
「…………」
ノーマン様は、時計を見つめて無言です。
整った口元が、溢れる感情を堪えるように、唇を噛んでいます。
泣き出すのを我慢している、幼い頃の息子のよう。
カウンターの端に座っているアレクスも、先ほどからノーマン様のご様子を見つめたまま、言葉を無くしています。
お茶を載せた盆を持ったままのシェーラも、背中で感じられる空気から、恐らくは同じように立ち尽くしているのでしょう。
騒がしかった子供達でさえ、肩を寄せ合って黒い騎士様のお顔を覗き込んでいます。
やれやれ。
騎士団長様といえ、わたくしのような年寄りからすれば、やはり愛らしい幼子と一緒ですな。
「さて」
わたくしはカウンターの引き出しからスケッチブックとペンを取り出しました。
「?」
ようやく顔を上げたノーマン様に、わたくしは満面の笑顔を向け、こういいました。
「ノーマン様に、最もお似合いになる装飾をおつけしますよ」
わたくしは、ロストリア城下町にて時計屋を営んでおります。
姓をドラギオン。
名は曾祖父の名を受け継ぎ、ドミトリアンと申します。
しがない下町の時計職人。
本日も、お客様のために世界に二つとない時計をお作りしております。
終
【短編】時計職人と、ふたりの騎士団長 キタノユ @hokkyokuen
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