【完結済】勇者召喚の魔法使いに選ばれた俺は、勇者が嫌い。

キノア9g

第1話 召喚の儀と二人の不運



 焼けつくような熱気が、肌をじりじりと焦がした。


 高い天井を支える大理石の柱が立ち並ぶ王宮の大広間は、通常なら涼しげな空間だっただろう。しかし今日は、四方から集められた二百人もの魔法使いたちの体温と、緊張した吐息によって、まるで蒸し風呂のような状態になっている。

 

 祭壇の中央に置かれた巨大な魔法陣──直径十メートルはあろうかという円形の石板に、複雑な幾何学模様が刻まれている。その溝の一つ一つに、赤い宝石の粉末が埋め込まれ、鈍い光を発しながら、まるで生き物の心臓のように脈打っていた。


 俺──アリアス・ヴァルターは、祭壇を囲む魔法使いたちの最前列に立たされ、その異様な光景をただ茫然と見つめていた。


 隣に立つ、村で顔見知りの老魔法使いマルクス爺さんが、枯れ木のような指で杖を握りしめながら、不安げにため息をつく。振り返ると、普段の温和な表情とは打って変わって、その皺だらけの顔は青ざめていた。


「また、あの悪夢が繰り返されるのか…」


 マルクス爺さんの震え声が、重苦しい空気を破る。その隣では、黒いローブを着た中年の女性魔法使いが、胸元で十字を切るようにして何事かを呟いているのが見えた。


 まさか、自分がこんな場所に立たされる日が来るなんて。


 十八年という短い人生のうちに、両親と同じ運命を辿ることになるとは思いもしなかった。


 五年前、あの忌まわしい勇者召喚の儀で、父も母も、そして百人の魔法使いたちが、魔力枯渇により命を落とした。失敗に終わった召喚の代償は、あまりにも大きかった。


 あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。王宮からやってきた使者が、村の中央広場で巻物を広げ、読み上げた死者の名前。父の名前「エドワード・ヴァルター」、母の名前「エリザベス・ヴァルター」が呼ばれた瞬間、俺の足は崩れ落ち、石畳の上で泣きじゃくった。


 あのとき、村の長老が皺だらけの手をそっと俺の頭に乗せてくれた言葉が、今でも胸に残っている。


「アリアス、お前は生き延びるんだよ」


 そして今、再び勇者召喚のため、国中の魔法使いが集められた。成人した俺にも、王家の印章が押された拒否権のない召集状が届けられた。羊皮紙に書かれた文字は、まるで死刑宣告のようだった。


 出発の日、見送りに来てくれた幼馴染の少女・リリアが、村はずれの丘で涙をためた緑の瞳で俺を見上げていた。彼女の肩まで伸びた茶色の髪が、朝の風に揺れている。


「アリアス……どうか、無事で帰ってきて」


 リリアの言葉を受けて、俺は無理に笑顔を作ろうとしたが、唇が震えるばかりだった。


 親しい村の人々も皆、家々の窓から、農作業の手を止めて、悲しげな目で俺を見送っていた。勇者召喚の儀で家族を失った者たちが集まり、ひっそりと暮らすこの村では、王族や召喚に対する憎しみに似た怨嗟の声が絶えなかった。


「一体、いつまでこんなことを繰り返すんだ!」


 村の鍛冶屋の男が、壁板を拳で叩きながら叫んだ低い声が、今も耳に焼き付いている。


 前世の記憶がなければ、俺もただ恐怖に震えるだけだっただろう。日本で暮らしていた頃、漫画やゲームを通じて知った知識から、勇者召喚の儀式がどのようなものかは理解していた。異世界から特別な力を持つ人間を呼び出し、この世界を救おうとする試み──理屈は、わかっているつもりだ。


 でも、本当にそれが、両親の命を差し出すほどの価値があるのか。


「頼むから、もう誰も死なせないでくれ…」


 心の中でそう叫んでも、誰にも届くはずがなかった。割り切れない想いが、胸の奥で渦巻いていた。



 ◇◇◇


 やがて、祭壇の奥から白い法衣をまとった大司祭が現れた。その後ろには、金の刺繍が施された紫の衣装を着た王族らしき人たちが続く。最後に王と王妃が並んだ。


 大司祭が魔法陣の前に立ち、両手を天に向けて高々と掲げる。その瞬間、広間全体に静寂が訪れた。


「古の盟約に従い、今ここに勇者を召喚せん!」


 大司祭の宣言とともに、魔法陣の光が徐々に強さを増していく。赤い宝石の粉末が、まるで溶岩のように煮えたぎり始めた。


 後方の魔法使いたちは、まるで見えない糸で操られる人形のように、一斉に祭壇へ向けて両手をかざし、魔力を注ぎ始めた。


 俺の左隣にいる若い女性魔法使いが、それを見て顔を青ざめさせている。


「う……くそ……!」


 後方で呻き声を漏らす者もいる。中年の男性魔法使いが額に脂汗を滲ませ、杖を支えにして必死に立っていた。


 魔法陣の光がさらに強くなり、広間全体が真昼のような明るさに包まれる。


 俺たちの番が来た。


 祭壇に向かって両手を掲げた瞬間、体の中から何かが一気に流れ出ていくのを感じた。それは、これまで大切に育んできた、微かな魔力だった。


「やめろ…!」


 逃げ出したくても、足が床に張り付いたように動かない。祭壇の石は、まるで巨大な掃除機のように、俺の魔力を際限なく吸い上げていく。


 隣の若い女性魔法使いが悲鳴を上げ、膝から崩れ落ちた。彼女の茶色い髪が床に散らばり、その瞳は虚ろになっている。


「お母さん…!」


 観客席の方から、小さな子どもの声が虚しく響いた。声のする方を見ると、小さな影が手すりにしがみつき、倒れた母親らしき人の名前を呼び続けているのが見えた。


 周囲では、同じように苦悶の表情を浮かべた魔法使いたちが、バタリ、バタリと音を立てて倒れていった。まるで、咲き誇った花が、嵐に打たれて無残に散っていくかのようだった。


 観客席から誰かが叫んだ。


「また、失敗するのか!」


 俺の体も限界が近かった。立っているのがやっとで、視界が歪み、足元が揺らいで膝が石床に崩れ落ちた。冷たい大理石の感触が、頬に伝わってくる。それでも、体から魔力が奪われ続けていく。


「もう、だめだ――」


 そう思った瞬間、周囲から信じられないような歓声が上がった。


「来るぞ! 勇者様だ!」


 眩い光が、祭壇の中心で爆発した。あまりのまぶしさに、思わず腕で目を覆う。隣で倒れかけていたマルクス爺さんが、震える声で言った。


「本当に……現れたのか……?」


 やがて光が収まると、そこに人影が立っていた。


 信じられない光景だった。光の中から現れたのは、この世界の誰とも異なる──俺の”元の世界”と同じ格好をした人間だった。


 黒いスーツに革靴。ネクタイはやや緩められ、シャツの袖は少し汚れている。手には茶色の革のバッグと、片方にはコンビニのビニール袋。袋の中には、弁当らしきものが入っているのが見える。


「え…? ここは…?」


 二十代前半ぐらいの男性が、きょろきょろと周囲を見回しながら呟いた。その表情は、まるで電車を乗り間違えたサラリーマンのような当惑ぶりだった。


 歓声はさらに大きくなり、王族らしき者たちが歓喜の涙を流して男に駆け寄っていく。王の靴が、石床を踏み鳴らす音が響いた。


「よくぞ、この世界においでくださいました!」


 王が深々と頭を下げる。その光景を、意識が薄れゆく中で、俺はただぼんやりと眺めていた。


「これで、世界は救われる!」


 大司祭がそう叫び、両手を天に向けて掲げた。


 人生って、本当にままならない。


 俺は一体、誰を責めればいいのだろう? こんな目に遭わされても、耐えることしかできない非力な自分たちを? それとも、こんな儀式を強行し続ける王族を? それとも──あの何も知らない勇者を?


「父さん……母さん……」


 小さく呟いた言葉は、王宮の喧騒の中へと、かき消されていった。


 最後に見えたのは──光の中で戸惑いを浮かべる、その男の顔。黒縁の眼鏡をかけた、どこか懐かしさを覚える表情に、胸が締めつけられる。


「一体……何が……?」


 勇者らしき男が、コンビニ袋を握りしめながら困惑している。その姿は、まるで俺がかつて日本で見た、終電を逃して途方に暮れるサラリーマンそのものだった。


 ふいに、遠い故郷の匂いがした気がした。


 そして俺の意識は、完全に闇の底へと沈んでいった。

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