第2話 新入生歓迎会

 寮の大広間は、ざわつく空気で満たされていた。


 大きな天井照明。

 初々しい一年生たちの笑い声。

 軽食のいい匂い。


 でも――櫻の隣の少女だけは、

 そのぜんぶから距離を置いているように見えた。


 アネモネは腕を組み、壁際で黙って立っていた。


「少し…疲れちゃった?」


「別に。

 ただ、みんなが騒がしいだけ」



 櫻は何も言わず、隣に立ち続けることを決めた。

 無理に輪へ引き込むのは違う。

 まずは、ここで“味方”だと伝えたかった。


 


 トークイベント、ビンゴ大会が進む。

 女子たちの笑い声。拍手。

 アネモネは興味無さげに、眠そうな横顔。


 けれど――


「アネモネさん」


「……なに」


「手、冷たいよ。緊張してる?」


 触れた指先は、氷みたいだった。


「離して」


 拒んでいるのに震える声。


「大丈夫。私がいるよ」


 櫻はただ、静かに言った。

 それだけでよかった。


 アネモネは、かすかに目を見開き、

 唇を噛んで視線を落とした。


 



 歓迎会が終わると、案の定

 アネモネはひとりで部屋へ戻ろうとした。


「アネモネさん、待って」


 櫻が呼ぶと、彼女は足を止めた。


「……なんなの。つきまとうのやめて」


「心細いかなって思って」


「わたしは、一人でも平気」


 強がる肩が、小さく震えていた。


「ほんとに?」


 小さな声で訊くと、

 アネモネは言葉を失ったように硬直した。


 


 寮の廊下。

 夜の冷えた空気。


「……櫻は“優しい”のね」


「え?」


「そういうの、嫌いじゃないけど……

 慣れてない」


 その言葉は、

 長い長い孤独の証のようで。


 


 部屋へ戻るまでの短い距離、

 櫻はそっと前を歩いた。



 怖くて、振り返れない。


 


 ベッドの上に座るアネモネは、

 制服の裾をぎゅっと握りしめていた。


「……ごめん。

 さっきの、ちょっと意地悪言った」


「ううん。言ってくれてありがとう」


「でも、勘違いしないで。

 櫻が特別なわけじゃ――」


 ぷつん、と言葉が途切れる。


 櫻の手が、そっと彼女の指に触れたから。


「特別になりたいな」


「――!」


 アネモネの瞳が揺れる。

 怒りでも拒絶でもない。

 たぶん――期待と、不安。


「……本気で言ってるの」


「うん」


「そんなの、まだ早い」


「じゃあ、ゆっくり仲良くなれたら」


「…………」


 長い沈黙。


 櫻は、アネモネの冷たい指先を

 ただ包み続けた。


 やがて――


「……明日も、隣にいて」


「もちろん」


「……じゃあ、寝る」


「うん。おやすみ」


「……夜、怖くなったら……

 呼んでもいい?」


 小さな声で、すがるように。


「いつでも。絶対行く」


 櫻が微笑むと、


「…………おやすみ、櫻」


 アネモネは、羽のような声で言った。


 


 寮の灯りが静かに落ちていく。


 同じ部屋、同じ空気。

 同じ鼓動が、静かに夜を満たす。


 


 誰かを信じることを、

 彼女は今、少しだけ思い出した。

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