第3話 好奇の目

「あっ」


 すれ違った看護師さんの顔が引きつったのが分かる。俺が軽くしやくすると、表情をすぐに穏やかなものに変えて通り過ぎていった。

 うん、プロの仕事だ。いくら引っかかることがあっても、表情に出さないのはすがだな。


 俺は点滴を引きずって病院の廊下を歩く。多少ふらつくが、これは寝ぼけているだけだ。体が重かったり、意識がよどんでいたり、そんなことはない。


「ねぇ、あの子」

「たぶん、そう。犯人、捕まってないんだって?」


 はい、そこ。当事者に聞こえるようにうわさばなしするんじゃありません。俺が目覚めたときに傍にいた看護師さんとか、さっきの人とかを見習って欲しい。

 横から聞こえてきた声に大きく嘆息する。視線を向けると、こちらを見ていた二人と目が合った。そんな俺を見てか、そそくさと離れていった。

 聞かれてはまずい、とは思ったんだろう。悪意なく思わず口にしてしまったことなら、まぁ、いいか。


 廊下を歩きながら、ぼんやりと医者の話を思い出す。


――特に問題はありませんね。


 医者は検査の後、そう言った。しかし、妙に自信なさげだった。何とか平静を装っていたが、俺を見ている目が明らかに動揺しているのが分かった。

 それは、分かる。俺だって、今の俺が信じられない。そもそも、自覚がない状態で聞かされた話が衝撃だった。


「何で、生きてるんだろうな、俺は」

 もう一度、小さく息を吐く。その話はようやく飲み込むことができたが、まだ消化できていない。


 いわく、俺は血だまりで倒れていたと。何だ、その事件現場。俺に何があったんだ。全く記憶に残っていない。

 緊急搬送されたのが、この病院だ。失血のショックで意識を失った俺は、輸血をされて数日眠り続けていたらしい。


「……何があったんだろうか」

 自分のことなのに、他人事のような感想を持ってしまう。実際、他人事だ。だって、何も覚えていない。俺はただ見知らぬベッドで目覚めただけだ。


 そんな状態だったのが、少し前のこと。記憶も無ければ、自覚もない。なんせ、目覚めたすぐあとにこんなに動けている。普通、リハビリとか必要なんじゃ無いか。

 ちなみにそれを聞いたら医者の顔が引きつった。俺に聞くな、という感情だったんだろうな、きっと。


 胸をなでる。特に細くなった印象は無い。そして、これが一番の問題なのだが。


「どこにも傷跡無いんだよなぁ」


 血が足りなかったのは事実だ。血だまり、というのも自分の血だったのだろう。それなのに、救急車が駆けつけたときには傷がほとんどふさがっていたらしい。止血の必要がなくて、逆に救急隊員の仕事が無くて焦ったとのこと。

 なんだ、それ。思い出したら頭が痛くなってきた。俺はいつのまにかアメリカのヒーローにでもなったんだろうか、とみるみるうちに傷がふさがっていく映画のワンシーンを思い出した。


 俺が目を覚ましたとのことで警察もやってきたが、俺がこんな状態なので落胆して帰って行った。すみませんね、役に立てなくて。


 ちなみに警察の人からは、俺が倒れてたのがビル街の地下駐車場だと教えてもらった。駅にも近く、普段は人が多いのに、その日に限って誰もいなかったそうだ。

 防犯カメラも故障していて使い物にならなかったそう。そんなポンコツ、交換しとけよ、ほんと。


 だから、か。警察の人が、期待に満ちた瞳をしていたのは。すぐに曇ってしまったが。本当に申し訳ない。


「はぁ」


 そんなわけで俺は、俺のことなのに何も分からず途方に暮れている。何だろう、このふわふわと、地面を歩いているのに浮かんでいるような感覚は。


 考え事をしつつ歩いていたら目的地が見えてきた。病院の中にあるコーヒーショップだ。食事制限の無い入院患者とか、見舞いに来た人なんかが利用している。

 今日は待ち合わせをしている。目的は一応お礼。あと、できれば何か教えて欲しい。


「神谷、もう来てるかな」


 かみみお

 お隣さんで、同学年。ただ、どうも生活のリズムが違うのか、話をしたことはあまりない。挨拶をするぐらいかな。近所付き合いとして。仲は悪くないけど、よくもない感じ。クラスも違うから、同じ学校に通っていても交流は無い。

 そもそも女子に積極的に話しかけたことが無い俺が、本来なら絡むことの無い相手だ。ただ、そこに「発見者」という肩書きがついてくると話が変わる。


 店に入る。店員さんに待ち合わせなことを告げて、奥に進んだ。

 目の前に、ショートカットの女の子が座っているのが見えた。俺は、なぜか緊張しつつ、恐る恐る近づいた。


 俺が声をかけるよりも早く気づいた彼女が顔をあげた。ストローをくわえていた口が半開きになる。そのまま、ストローが口から離れた。

 カランと、ストローのせいで動いた氷がグラスの中で音を立てた。

「こ、こんにちは」

 引きつった声で挨拶すると、神谷は大きい目をまん丸にして俺を見つめる。


「しゃべってる」


 いや、そりゃ、しゃべるだろうよ。

 それは、俺が目覚めたときに彼女がしていた顔に似ていた。あのときは、意味が分からず珍獣扱いに憤ったが、今は何となく分かる。

 不思議だろうな、安定してるのに全く目覚めることなく眠り続けている相手が急にしゃべりだしたら。加えて、真っ赤な血を流して倒れていた相手なら、なおさらだ。


 とりあえず、俺は彼女の前に座る。その一挙手一投足を、神谷はじっと見つめていた。見極められている気がする。背筋がくすぐったい。

 まぁ、そんなことよりも、まずはお礼を言っとかないとな。目覚めたときはお互い混乱してて、何も話せていなかったから。


「ありがとう。神谷が救急車呼んでくれたって?」

「別に」

 俺の問いに、神谷は視線をそらして答えた。

「あのまま死んじゃったら、さすがに気分が悪いって思っただけ」


 おっと。


 神谷の冷たい言い回しに、俺は面食らった。やんわりとした拒絶を感じて、俺は続きの言葉をちゆうちよする。

 まぁ、でも、本当に嫌だったら来てはくれないよな。今日は母さんに頼んで、神谷から事情を聞きたいと連絡取ってもらったわけだし。


 意を決して俺は口を開いた。


「えっと、俺って、どんな感じだったの?」


 我ながら言葉足らずな問いになってしまった。ドキドキしながら神谷を見ていると、一瞬だけこちらを見た。

 彼女は目を伏せ、少しだけ息を吐く。そして、口を開いた。


「あたしも、よく分かんないことばっかりだからね」


 そんな注釈を言いながら、彼女は意外と素直に語ってくれた。神谷が、倒れている俺を見つけてくれた夜の話を。

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ソウル・エコーズ~精霊達への鎮魂歌~ 想兼 ヒロ @gensoryoki

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