第3話
僕は生後6ヶ月になった。まだ、かろうじてハイハイをしはじめた赤ん坊だ。
穏やかな陽光が大きな窓から降り注いでいる。
僕はレースのたくさんついたクッションの上に座らされていた。すぐそばのソファでは、美しい母・ママスティーナが優雅に本を読んでいる。
なんという平和な光景だろうか。
「坊ちゃま、こちらをどうぞ」
侍女のジージョが、僕の目の前に一つの物体を差し出した。
それは、赤ん坊のおもちゃ。ガラガラだ。
だが、ただのガラガラではない。
父であるチチフォンスが
「我が息子の知育玩具に、そこらのガラクタなど使えるか!」
と、国中の職人を集めて作らせたという、超弩級の逸品だ。
柄の部分は聖なる力を宿す「ミスリル銀」。先端の球体は磨き上げられた「太陽石」でできており、中には「妖精の涙」と呼ばれる小さな宝石がいくつも入っている。
振れば、聖鈴のように澄んだ音色が響く。もはや国宝級のおもちゃである。
「あー、うー……」(うむ、ご苦労)
僕は、言葉を発したが、口からでてくるのは赤ん坊らしい意味不明な声のみ。
とりあえずガラガラを受け取る。
よし、訓練の時間だ。
今日のメニューは【ガラガラを用いた、魔力制御と遠隔操作魔法の基礎訓練】。
将来、剣や杖に魔力を導通して戦うための、これは重要な第一歩なのだ。
僕はまず、ミスリル銀の柄をぷにぷにした赤ん坊の両手でしっかりと握りしめた。
ひんやりとした感触が心地よい。
(ふむ。まずは、この物体との同調からだ。僕の魔力と、このガラガラが持つ魔力を馴染ませる)
僕は深呼吸のつもりで、スーハーと息をする。体内で循環させている微弱な魔力を、指先からガラガラへとそっと流し込みはじめた。
前世で摩耗しきった僕の回路とは違い、この赤ん坊の身体にある『
魔力が、するするとガラガラへと染み込んでいく。
(出力は慎重に。この身体はまだ未熟。加減を間違えれば、この小さな身体が耐えきれない)
細い糸を針の穴に通すような、繊細なコントロール。
僕が全神経を集中させていた、その時だった。
カッ!
ガラガラの先端にある太陽石が、一瞬だけ、太陽の光を反射したかのように強く輝いた。
マズイ!
「あら?」
ソファの母が、本のページから顔を上げた。「今、何かが光ったような……?」
「あうあう! きゃっきゃっ!」
僕はすぐさま、普通の赤ん坊のふりをした。ガラガラを振り回し、無邪気な笑い声を上げる。
カラン、コロン、と澄んだ音が部屋に響く。
それを見た母は、ふわりと微笑んだ。
「ふふ、ごめんなさい。ナラクがガラガラを窓の光にかざしただけでしたのね。上手にできたわねえ」
しばらく、母が僕をあやす。僕は、母が再び読書に集中するのを待った。
数分後、母の意識が完全に本の世界へと戻ったのを確認する。僕は訓練の第二段階へと移行した。
今度は、ガラガラを振るのではない。
握りしめたまま、動かさずに、魔力だけを使って内部の『妖精の涙』を微細に振動させるのだ。
(イメージしろ。僕の魔力を、髪の毛よりも細い糸に変えて、宝石の一つ一つを的確に震わせる。指先でハープを奏でるような、精密なコントロールを!)
僕の額に、じわりと汗が滲む。
全身の魔力を、指先に集中させる。
すると――。
チリ……チリリ……。
僕の手の中で、ガラガラが鳴った。
手を全く動かしていないのに、か細く。しかし確かに、内部の宝石だけが震えて音を奏でている。
外から見れば、ただ僕がガラガラを握りしめているだけだ。誰も、この超絶技巧に気づく者はいない。
(よし……! いいぞ! この感覚だ!)
僕が達成感に浸っていると、ふいに母が顔を上げた。
僕は即座に魔力を切り、何食わぬ顔でガラガラを口元へ運び、あむあむと舐めはじめた。赤ん坊の十八番、とりあえず何でも口に入れる作戦だ。
「あらあら、お腹が空いたのかしら? もうすぐミルクの時間ですよ」
母は優しく微笑む。
さらにしばらくして――
穏やかな陽光と、静かな読書の時間が、母を心地よい眠りの世界へと誘ったらしい。ソファの上で、母はすー、すー、と穏やかな寝息を立て始めた。
さらに、僕は魔法の訓練をつづける。僕は強くならなくてはならない。誰よりも強く、大事な人たちをいつだって守れるように――。
物体に触れず、魔力だけで動かす魔法の基礎中の基礎。
(……浮け。浮け……僕の魔力に応えろ!)
僕は両手をガラガラにかざし、念を、魔力を、ありったけ注ぎ込む。
赤ん坊の身体が、ぷるぷると震える。
身体の
やはり、赤ん坊の身体では、この魔力量には耐えられないか?
(うおおおおおっ! 浮けぇっ!)
その瞬間……、
手の中のガラガラが、ふわり、と宙に浮いた。
ほんの数ミリ。一瞬にも満たない時間。
だが、確かに浮いたのだ!
(やった!)
僕が歓喜に打ち震えたのも束の間、ブツン、と体内の魔力が途切れる感覚があった。
魔力切れだ。
僕の意思を離れたガラガラは、力なく床に落ちた。
コトン。
疲れたせいか、強烈な眠気に襲われる。
僕はそのまま眠ってしまっていた。
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